美しい痕跡 手書きへの讃歌

  • みすず書房 (2020年4月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (210ページ) / ISBN・EAN: 9784622088820

作品紹介・あらすじ

〈手で書かれたものは動いた跡であり、手が筆記具を介して媒体に痕跡を残す。何世紀ものあいだ、人間はさまざまな道具や文字、媒体を使い、書くことで考えや知識を記録してきた。
私たちはいま、速さという誘惑に身を任せ、質や唯一性、物語といったものを犠牲にしている〉

書かれた文字の豊かさに魅せられ、自らも文字による表現の可能性を押し広げてきたイタリアのカリグラファー、フランチェスカ・ビアゼットン。長年の活動を通しめぐらせてきた思索と作品が一書となった。
人が文字を書く姿への慈しみにみちた、ビアゼットンからのメッセージ。
附録、ヴァチカンの書記たちが使ったカンチェッレレスカ体(イタリック体)の教本『ラ・オペリーナ』(1522)は必見。本邦初訳。

感想・レビュー・書評

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  • プロのカリグラファーが「手で書くこと」について語るエッセイ。


    著者はトリノ五輪のスローガンも書いたというイタリアの有名カリグラファーで、手書き文化の衰退を危惧している。アルファベット文化圏で今後選ばれし者しか読み書きできなくなるかもしれない筆記体を、日本語に置き換えるならくずし字だろうか。特権的で非ユニバーサルな書き方だから仕方ない気もする。ただ、インスタに手書きノートを載せる文化などを見ると、今は「美しい字を書くこと」がいつになく主体的に選ばれている時代じゃないかとも思うのだ。
    私自身は指先を動かす微細運動能力にデジタルネイティヴ世代と差があるのかどうかよくわからないが、スマホに文字入力することと紙に書くことには確かな違いを感じている。内容からして変わってしまうのだ。
    私は紙に書く文章はかなり文語っぽくなり、PCでのキーボード入力→スマホ入力の順で文体がくだけていく傾向がある。意識せず自然とそうなる。それから万年筆を使って書くと少しカッコつけた文章になる。ブクログの感想は紙のノートに万年筆で書いた文章を、時折デジタル向けにフランクな感じに直しつつ入力したものだ。たまにスマホで書いてそのまま上げることもあるが、見返すとテンションが浮いていてちょっと気になったりする。作家にもワープロ使いから手書き原稿に切り替えた古川日出男みたいな人がいたりするが、身体性というか道具に引っ張られる感覚を上手く利用して、書きたいものに合わせて使い分けられたら良いのだと思う。

  • 『手で書く時間は、考える時間を尊重する。むしろ手で書いていると、考える時間が作られ、そこから表現が生まれる。コンピューターでは、意図的にではないにせよ、過剰に時間に負荷をかけ、ある意味、考えがまとまる前に書こうとする。つねに考える前に、考えを決めようとしてしまうのである(アルベルト・アゾル・ローザ)』―『第4章 書く時間は考える時間』

    役者が美しい台詞を口にしている内に話す言葉も洗練され、あたかも哲学者が語るような箴言を自分の言葉として口にする。ふと、そんな事を誰かが言っていたのを思い出した。本書に引かれる数々の言葉たち。それはどれも手書きのもたらす効用を説得力を持って投げかけるもの。その言葉を引き寄せたのは、カリグラファーの本能か、それとも、職業的危機意識なのか。

    本書の随所に、頭ではなく身体が語る言葉がある。ものごとの本質に迫る言葉はいつも決まって身体と分かちがたく結びついたもの。それでも外部からの入力情報の大半を占めるという視覚情報ですら、脳の各分野との信号処理の遣り取りに比して視覚から入ってくる外部情報の占める割合は存外低いという。つまり脳は勝手に情報を見たいように解釈するとも言える。手の動きに限らず、環境からのフィードバックを伝える筈の身体からの信号が締め出されてしまったら、脳の活動は既に蓄積されたものの使いまわしばかりとなり、新しいものは生まれ難くなる。そこには確かに著者フランチェスカ・ビアゼットンの憂いが現実としてあるかも知れない。

    しかし、すべからく道具は利便性を追求した人間によって進化し、人もまたその変化に合わせて思考方法を変化させてきた筈。例えば、文字の無い時代では情報へのアクセスは口伝で伝わる物語を通して為され、必然的に記憶へのアクセスはシーケンシャル(頭から順番にチェックしていく方法)であっただろうが、文字が生まれ情報へのランダムアクセスが可能になったことによって人の思考方法がどれだけ変化したかを想像する。手書きが廃れ多くの人々がキーボードやタッチスクリーンで考えを文字に起こす時代。当然のことながら人間の思考方法も相当に変化していくだろう。それは連綿と続いてきた人の営みそのものであるようなきがする。今現在起きつつある変化以前の人の在り方だけを善と捉える節が著者にはあるようだが、それはどうだろう。手書きが与えてくれるインスピレーションのようなものは経験として思い当たらないではないけれど、キーボードで綴ることによる同様のシナプスの発火もまたそれなりに起きているような気がする。

    『物事には尺度がある。定まった境界線があり、あちら側やこちら側に、正しさはない』―『付録 ルドヴィーコ・ヴィチェンティーノによる小品カンチェッレレスカ体の書き方を学ぶために(1522年)』

  • 『美しい痕跡 手書きへの讃歌』(みすず書房) - 著者:フランチェスカ・ビアゼットン 翻訳:萱野 有美 - 武田 砂鉄による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
    https://allreviews.jp/review/4810

    Francesca Biasetton(@francescabiasetton) • Instagram写真と動画
    https://www.instagram.com/francescabiasetton/?hl=ja

    美しい痕跡:みすず書房
    https://www.msz.co.jp/book/detail/08882.html

  • 第12章で述べられる学びの指針はカリグラフィに限ったことではない。

  • 「手で書くこと」についての古今東西のことが書いてある。
    なんのことはないが、上質な文章という感じがした。

  • 期待していた本でしたがその期待を超える本で原著を購入しました.再読した際に発見がありそうです. 引用が多いので著者が咀嚼した言葉で読みたかったという思いもあります.

    文字を手描きで美しく書くことはlogosへの配慮であり,プラトン的な意味での「善く生きる」ことになるのでは.cf. p.23

    「液晶画面では、画素数の高い低いが基となり知覚されるため、精神的、非肉体的、論理的なアプローチを助長する」。p.52

    私達が抽象度の高い世界に生きている理由の一つは「液晶画面」にあるかもしれません.

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著者プロフィール

1961-。ジェノヴァ生まれ。カリグラファー、イラストレーター。イタリアカリグラフィ協会会長。ファッション雑誌でイラストレーターとして活動を始めた後、イギリス、ベルギー、ドイツ、イタリアでカリグラフィを学ぶ。1997年からカリグラフィ協会(ACI)をはじめ、新芸術アカデミー(NABA)、ヨーロッパ・デザイン学院(IED)で講師を務める。主な作品に、ジュゼッペ・トルナトーレ監督『海の上のピアニスト』(1998)の題字、 2006年トリノ冬季オリンピックのテーマ文字など。また、作品の一部はベルリン芸術アカデミー(ベルリン・サムムルン・カリグラフィ)のコレクションとなっている。その他、小中学生用教材のイラストやカリグラフィも数多く手がけ、演劇「Abbecedario(ABCのこと)」(2001)ではアルファベットを書くライブ・パフォーマンスを行う。同名の絵本『Abbecedario』は、2003年にイタリア・アンデルセン賞、2004年にストレーガガット出版賞を受賞している。

「2020年 『美しい痕跡 手書きへの讃歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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