- Amazon.co.jp ・本 (688ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622089605
作品紹介・あらすじ
ユダヤ人移送を計画・運営し大量虐殺を実現したアドルフ・アイヒマンは、大組織の小役人にすぎない「悪の凡庸さ」を体現する人物なのか。逃亡先のアルゼンチンで、彼は旧ナチ党員に囲まれ大いに語った。その録音と、刑死までに書いた1300枚の文章が示すのは、第三帝国賛美、ユダヤ人虐殺という仕事への自負、自己への執着。本書はこの膨大な史料に初めて体系的に取り組み、ナチズム研究の一画期をなした。待望の日本語版。
感想・レビュー・書評
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タイトルから想像されるようにアーレントの「エルサレムのアイヒマン」の「以前」、つまり、アイヒマンのナチス時代、アルゼンチンでの亡命時代についての本。
中心は、アルゼンチン時代のアイヒマンの亡命ナチなどとの集まりでの座談会の録音とスクリプトの分析。これが圧巻。
アーレントは、アイヒマン裁判での答弁を傍聴し、裁判の膨大な資料を読んで、「エルサレムのアイヒマン」を書いたわけだが、そこで有名となった「悪の凡庸さ」と表現された「ただのサラリーマン」はここにはいない。
「アルゼンチンのアイヒマン」は、確信的なナチであり、徹底的な反ユダヤ主義者。
アルゼンチンに亡命したナチの残党は、ホロコーストはユダヤ人のプロパガンダで本当はそこまでの実態はなかったと考えている。その認識をベースに自分とナチ運動を正統化し、社会への復帰のきっかけを期待し、その証拠をアイヒマンの話しに求める。が、その希望はアイヒマンによって打ち砕かれる。
そこにいたのは、ナチの残党でも引いてしまうほどの確信犯的な反ユダヤ主義者だったのだ。自分のやった「業績」を誇ることはあれ、全く反省はない。
アイヒマンは、アルゼンチンでの議論を踏まえて、自分のやったことが他者にどう受け止められるかをさまざまな形で考えていたので、エルサレムでは、「組織の歯車」「いわれたことをやっただけ」「それは事実ではない」を繰り返すことで、「凡庸な」サラリーマン、官僚を見事に演じて、アーレントもだまされてしまった、ということなる。
また、アーレントが、アイヒマンに「考えないこと」という特質を見出し、この考えないことが全体主義を生み出したのだとして、後期の「精神の生活」にその思索をふかめたのだが、実は、アイヒマンは、すごく「考える」人だったのだ。その思想は、身勝手で、邪悪なものであったが、常に独自の世界観を深めていて、自分の世界観とナチの世界観の関係がどうなっているのかを主体的に考え続けていたのだ。
アーレントが裁判当時に利用可能であったテキストは限界があり、事実関係としては、間違いなくこの本のほうが、真実に近いところに迫っていると思う。(著者によると、まだまだ開示されていない文書がたくさんある。現時点でも、それが開示されないのは、この文書がまだまだ社会的に影響がある人、国際関係があるというこを意味する。また、ドイツは、アイヒマンの逃亡先などの情報はかなり早く知っていたにもかかわらず、行動を起こさなかった可能性もありそう)
今後、全体主義について考えるときに欠かせない本になると思う。
アーレントの「悪の凡庸さ」の議論との関係では、それはアイヒマンの評価としては、的外れであった。とはいえ、アーレントもアイヒマンがただ言われたことをやっただけの歯車とは思っていなくて、ナチ思想を「考えもなしに」受け入れたうえで、それを着実に実行した凡庸な「悪人」と考えていたと思う。(上述したようにアイヒマンは、実は「考えていた」のだが)
アイヒマンは確信犯であったかもしれないが、ナチを支えた「悪の凡庸さ」を体現する「普通の人々」はたくさんいたはずで、アーレントの議論の骨格は、実はそれほど揺らがない気もする。
ちなみに、この本は、著者はどんな人なのか、あまり気にせずに読んだ。著者の意見・解釈はしばしば入るが、著者の書き振りがしっかりとしていて、とても客観的なものとして読めたからだと思う。全部読み終わったところで、著者の名前をみると、Bettina Stagneth。ドイツの哲学者ということだが、名前が女性ぽいなと思って調べると女性でした。
つまり、本を読んでいて、著者は男性であると無意識のうちに前提を置いていたことに気づき、衝撃をうけた。そっか〜、気をつけなきゃ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<「他人は話した。今度は私が話す番だ!」 饒舌すぎるほど饒舌な語りの向こうに見えてくる真の姿はどのようなものか?>
アドルフ・アイヒマン(1906-1962)。ナチ親衛隊員にして、ユダヤ人移送局長官。多くのユダヤ人の収容所移送で指導的役割を果たし、つまりは大量殺戮の一端を担った人物である。戦後はアルゼンチンに逃れ、潜伏生活を送っていたが、1960年、イスラエル諜報特務庁(モサド)に捕らえられ、イスラエルに連行される。そこで裁判に掛けられ、絞首刑に処される。
イスラエルでの裁判を傍聴し、その顛末を記したのが、ハンナ・アーレントによる『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』である。アイヒマンは裁判で、一貫して自らの責任を認めなかった。大量殺人など自分は知らなかった。ただ官僚として職務を果たしただけである。自分の職務は移送のみで、その先に何があったかは感知するものではなかった。自分はユダヤ人に害意などなかったのだ、と。アーレントは著書の中で、アイヒマンの「悪」を「陳腐(banality)」と呼ぶ。強大で邪なものではなくとも、唯々諾々と命令に従うものがいれば、何百万人もの殺戮が可能であるのだ。それはむしろ、なまじ強大なものよりもよほど怖ろしいことであるのかもしれない。
アーレントの著作は物議を醸した。批判も大きかったが、人々に衝撃を与える考察を含み、アイヒマンを考えるうえで、避けては通れない著作となった。
だが、実のところ、その時点では十分には明らかになっていない一連の資料があった。それがアルゼンチン潜伏時代のアイヒマンの記録である。
ジャーナリストであるヴィレム・サッセンはアルゼンチン時代にアイヒマンの知己を得て、インタビューに成功している。1対1のものではなく、アイヒマンを囲み、何人かが話を聞く、座談会のようなものである。この間、テープが回され、のちにこの録音がテープ起こしされて、大量のトランスクリプトが生まれた。
これに加えて、アイヒマン自身の手稿も整理され、1300ページを超える書類となった。
冒頭の「他人は話した。今度は私が話す番だ!」というのは、アイヒマンによる1956年の手稿の一節である。自身についてさまざまなことが語られているが、そろそろ俺にも話させろ、というわけだ。そこには、アイヒマン裁判で見せた顔とは異なる顔が覗く。
本書はアルゼンチン資料をもとに、エルサレム、つまりアルゼンチン時代、そして法廷に立つ前のアイヒマンの「真の」姿に迫ろうというものである。もちろん、タイトルが示唆するように、本書もまた、アーレントの巨大な著作に向き合おうというものでもある。
読みにくい手書き文字、時に誰が話したか判然としないトランスクリプトの分析は、相当の困難を要したことは想像に難くない。しかもアイヒマンは饒舌で執筆意欲も高く、とにかく資料が膨大である。何しろエルサレムにいる間だけでも8000ページもの雑多な文書を遺したというのだから、潜伏時代にどれほどのものを書き散らしたのか推して知るべしである。
それらを読み解いていくと、彼が受け身なだけの人物ではなく、復権を願っていたこと、ユダヤ人に対する敵意があったこと、(ぼんやりとではあっても)敵(イスラエル)の敵である「東方」と組む構想もあったことなども見えてくる。
彼はナチス時代を悔いていたり恥じていたりしたわけではなかった。むしろ、公的生活に戻るにはどういった手立てがあるのか、自らの「名誉」を取り戻すにはどうすればよいのか、ずっと考え続けていた節がある。
これらの資料はアイヒマン裁判の時点では十分に明らかになってはいなかった。
アイヒマンは、無知であったふりをして、死刑を逃れようとしたが失敗した、という見方もできる。彼の演技にアーレントも一部、乗せられた面も否定できない。
アイヒマンの思想に加え、アルゼンチンでの生活ぶりも興味深い。当時のアルゼンチンにはナチスも多く逃れ、一種のコミュニティが出来ていたという。社交もあったし、仕事の紹介なども互いに行っていたようだ。
同時に、ユダヤ人でも南米に逃れた人が多く、実は隣人がかつての仇敵ということも珍しくなかったようだ。
アイヒマンについては、アイヒマン自身が遺した記録に加え、多くの研究も続けられており、全貌を解きほぐすのは相当な労力を要するだろう。いや、そもそも「全貌」などわからないのかもしれない。
ことを困難にしているのは、アイヒマンに関わる人物も多いことだろう。すべてが明るみに出た場合、まずい立場に立たされる人は今現在でもそれなりにいるのではないだろうか。これはそれほど遠い昔のことではないのだから。
著者は日本の読者向けのあとがきも記している。ともかくも長大で、そして決して愉快ではない本作は、以下の言葉で締められる。
起きなければよかったこと、本当は誰も語る必要などなければよかったことについて書かねばならなかった旅路を、ともにたどってくださることに感謝します。私たちの子孫が過去を探求するときには、これほどの力を求められないように、全力を尽くしたいものです!
研究者諸氏の地道な努力に敬意を表したい。 -
東洋経済2022430掲載 評者:田野大輔(歴史社会学)
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田野さんの書評から 2022-05-02
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4.75/86
『強制収容所へのユダヤ人移送責任者として絶滅計画の主翼を担ったアドルフ・アイヒマン。このナチ親衛隊中佐については議論が尽くされた感もあるが、じつは肝心な史料の大部分が放置されていた。アイヒマン自身の文章と音声録音である。
戦後アイヒマンが逃亡したアルゼンチンには旧ナチ共同体が築かれていた。アイヒマンはそこで、元武装SS隊員W・サッセン主催の座談会に参加する。サッセンはそれを録音し、テープ巻数にして70以上になる音声のトランスクリプトを作成していた。アルゼンチンのアイヒマンは大量の独白を記し、エルサレムの囚人となった後も8000枚にわたって自己正当化を書き連ねた。
こうした史料が網羅的に研究されてこなかったのは驚くべきことであるが、それは各所に散在し、分量は膨大で内容は耐え難い。さらに、アルゼンチンでのあけすけな記録を本人が偽と証言したため、史料としての価値を確立する仕事が後の研究者に重くのしかかった。本書は一人の哲学者が成し遂げた気の遠くなるような偉業であり、先駆者ハンナ・アーレントとの対話である。
「エルサレムでのアイヒマンの自己演出が、この犯罪者と、そして彼の殺人者としての成功といかに関係しているかを知りたいと願うなら、エルサレム以前のアイヒマンにさかのぼり、また、後の時代に作られたアイヒマン像に基づく解釈の裏に踏み込むことがどうしても必要である」(序章より)。』
(「みすず書房」サイトより)
原書名:『Eichmann vor Jerusalem Das unbehelligte Leben eines Massenmörders』(英語版『Eichmann Before Jerusalem: The Unexamined Life of a Mass Murderer』)
著者:ベッティーナ・シュタングネト (Bettina Stangneth)
訳者:香月 恵里
出版社 : みすず書房
単行本 : 688ページ -
【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/540952
著者プロフィール
香月恵里の作品






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