本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784622089926
作品紹介・あらすじ
ある患者は違法薬物を用いて仕事への活力を繋ぎ、ある患者はトラウマ的な記憶から自分を守るために、自らの身体に刃を向けた。またある患者は仕事も家族も失ったのち、街の灯りを、人の営みを眺めながら海へ身を投げた。
いったい、彼らを救う正しい方法などあったのだろうか? ときに医師として無力感さえ感じながら、著者は患者たちの訴えに秘められた悲哀と苦悩の歴史のなかに、心の傷への寄り添い方を見つけていく。
同時に、身を削がれるような臨床の日々に蓄積した嗜癖障害という病いの正しい知識を、著者は発信しつづけた。「何か」に依存する患者を適切に治療し、社会復帰へと導くためには、メディアや社会も変わるべきだ――人びとを孤立から救い、安心して「誰か」に依存できる社会を作ることこそ、嗜癖障害への最大の治療なのだ。
読む者は壮絶な筆致に身を委ねるうちに著者の人生を追体験し、患者を通して見える社会の病理に否応なく気づかされるだろう。嗜癖障害臨床の最前線で怒り、挑み、闘いつづけてきた精神科医の半生記。
感想・レビュー・書評
-
「世の中には、生きるために不健康や痛さを必要とする人がいる。」(本文P56より)
衝撃的な一文だが、私たち日本人大好きな「ちゃんとやる」「頑張る」などの精神論では片付かない問題が私たちの心にも社会にも存在している。
依存症や嗜癖障害で苦しむ人たちに伴走してこられた精神科医 松本俊彦さんの1冊。
松本さんが医者、それも精神科、さらに依存症を専門とする道を目指した経緯や、とても個人的なイタリア車への熱い思いやコーヒーカフェイン依存症であった事柄など、お人柄が伺える内容も満載。
酒や薬物がなぜ違法の扱いを各国で受けるようになったのかという社会的背景が、ご自身の考察として述べられ、興味深い。
第一次大戦当時、禁欲主義的プロテスタント移民の精神と、酒造メーカーの多くがドイツ系のため嫌悪感による相乗効果が禁酒ムーブメントに繋がったとのこと。
大麻については同様に、メキシコ系移民への差別感情や文化的反発が背景からとの説明。人はやはり異物異質に不安や嫌悪を抱く生き物だと納得する。
薬物やアルコール依存患者については、日本はワイドショーやもやはワイドショーと大差ない報道番組が「定型」や「標準」を確立してしまっている。
すなわちダメな人。弱い人。快楽ばかりを追い求め、努力も我慢も足りないどうしようもない人と。
カメラが追いかけ、本人が深く謝罪し、世間が納得するまで責め続ける。ヤフコメもね。
門外漢の芸能人やコメンテーターが「世論」の代表者として弾じ、処罰感情を扇動する。街録インタビューでもう一押し。
松本さんもこうしたメディアのポピュリズム扇動による処罰感情の行き過ぎを懸念され、また一部のみを切り取り単純化する放送の在り方について過去の出演時の苦い経験を説かれている。
「分かりやすさ」は危険だなあと再認識。
印象的だった箇所:
●「生き延びるための不健康」
本文P.56より:
何かの依存症を抱える人だけのものではないのかもしれないと思う。一見すると健康そうに日々のルーティンを生きている人たちのなかにも、ささやかな不健康や痛みでバランスをとっている人は少なくないのではないかとのこと。
例として
蕎麦を覆い尽くすほど大量に振りかけられた唐辛子の真赤な色。本来痛みしかないはず。
●生き延びるために、子どもの頃から「気分を変える、逸らす」物質が必要であった人生史がある。
本文P.4より:
忘れてはならないのは、人生早期より「気分を変える」物質を必要とした背景には、しばしば過酷な成育歴が存在するということだ。
●本文P.20より:
患者たちは安心して人に依存できない人たち、あるいは、心にぽっかりと心を開いた穴を、「人とのつながり」ではなく、クスリという「物」で埋めようとする人たちだ。
●本文P.74より:
「コミュニティとは、結局、それまで出会った人たちの集合体、集団である。」
人は信頼する集団の規範、自分にとって大切な集団の規範だけを尊重し、遵守するものである。
●本文P.38より:
「神様、私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そして、その2つを見分ける賢さを」
(ダルクの誓いの言葉より)
「好きなものを嫌いにさせる」ことはできない。つまり誰も人を変えることはできない、変えられるものは自分だけなのである…。
以上。
「ちゃんとすれば」「しっかりやれば」「我慢すれば」万事解決というのは幻だよなあ。もちろん努力せずに結果や幸運を手にすることはそもそも難しいが。
「手のかからない患者」は実は深刻な問題を抱え込んでいていう事実も推して知るべし。
元来、「人間一般に対する信頼感、期待感なさと表裏一体のもので、実は援助希求性の乏しさ。『人に依存できない』人。」というのは私そのもの。少しずつ荷を下ろせたらいいのだけれど。
嗜癖や依存症に限らず、「生きづらさ」を感じる人には救いとなる言葉がいっぱい。
今回も松本先生の著作は救いに満ちた言葉溢れる一冊でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔、アルコール依存症の患者に対してひどい対応をしてしまった自分をいつまでも悔いています。その反省からアディクションの本を読んだりしながら、この方に辿り着きました。ここに書かれた依存症の方たちはもしかしたら自分だったかもしれない。そんな思いが自分の中にいつも流れています。心が弱いとか、犯罪者だとか、そういうことじゃなくて、本当にみんなただ何気ない話を誰かとしたいだけなんですよね。綺麗ごとじゃないです、みんな一緒に頑張ろう。
「誰も人を変えることはできない、変えられるのは自分だけなのである・・・。」 -
覚醒剤と言えば、ダメ、ゼッタイ。のイメージが強すぎて、それ以上の事は深く知ろうとは思わなかったけれど、今回この本を読んですごく勉強になった。ぜひおすすめしたい。
覚醒剤依存の本質は快楽ではなく、苦痛。
依存症になる位薬に頼ってしまう人は何かしらの心の苦痛を取り除きたいから。
だから私達は法規制をむやみに増やすよりも痛みを抱えた人の支援が必要との事。
依存症の子の言葉
「人は裏切る、クスリは裏切らない。」
すごい言葉だね。
でも私だって人に頼るのが難しい場合がある、その場合はモノに頼ってしまう事だってきっとあるし、何か心に大きい傷が出来たら依存症に転ばないとも限らない。どんな人だって依存症になるリスクはある。
そう言う人が少しでも減る様な社会を目指す為、少しでも著者の考えが広まると良いと思う。
-
松本先生の本はどれを読んでも面白い。医学と患者の狭間で悩み戦い続けている姿を見て、自分も頑張ろうと勇気をもらえるので、定期的に読みたいと思える内容だった。
「人は裏切るけど、シンナーは裏切らない」これは松本先生の中学の同級生の言葉。このことばを聞いて、自分の頭をガツンと殴られた感覚だった。シンナーだけにかぎったことではなく、他の薬物やアルコール、リストカットなどの事象行為。さまざまなものに当てはまる。
人に依存できないからこそ、何かに依存する。とは理解していたものの、反対に言えば、人は裏切るからだということに思いもよらなかった。
そう考えた時に、自分が今まで安易にかけていた言葉が走馬灯のように思い出された。
何かあれば相談してください。そう言った言葉をかけたっきり何も音沙汰のないことが多い。うまくいって本当に相談事がない人もいるかもしれないが、おそらくはほとんどが、どうせ相談しても解決にならないと思って何も言ってこない、あるいは、相談への敷居が高く声をかけづらい。そんなことがあるような気がした。
そんなことを思い出した一方で、自分の持つ時間も限られているため、安意に意識して改善していこうとも思えない。
そんな自分の力のなさを自覚させられたのだった。
このような感じで、心に突き刺さる言葉がたくさんあり、読み終わった後には気力がかなり消耗したものの、考えるきっかけになった、私にとってとても貴重な内容だった。 -
今週の本棚:渡邊十絲子・評 『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』=松本俊彦・著 | 毎日新聞(有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20210515/ddm/015/070/007000c
誰がために医師はいる | みすず書房
https://www.msz.co.jp/book/detail/08992/ -
本書で取り上げられているのは”嗜癖障害”(addiction)という、とても重たい問題なのだが、著者が精神科医師として様々な患者たちと向き合ってきた経験を通して感得し学んできたことを率直に発言しているところに心打たれたし、特に薬物のことについては大いに啓発されるものがあった。
著者の言わんとすることは「あとがき」にまとめられている。
「この世には、よい薬物も悪い薬物もない、あるのはよい使い方と悪い使い方だけ。そして、悪い使い方をする人は、何か他の困りごとがあるのだ……「困った人」は「困っている人」なのだ、と。だから、国が薬物対策としてすべきことは、法規制を増やして無用に犯罪者を作り出すことではない。薬物という「物」に耽溺せざるを得ない、痛みを抱えた「人」への支援が必要なのだ」
「ダメ。ゼッタイ。」の薬物乱用防止キャンペーンの中で育ってきて、覚せい剤というと幻覚や妄想で人を殺傷したり、フラッシュバックが起こってしまうといった犯罪や悪いものというイメージとしてしか捉えてきていなかったし、すべてを治療という枠組みで対処することが適当なのかという疑問は残りはするものの、依存に陥ってしまう一人ひとりの患者の苦しみを少しは理解することができたような気がする。 -
自身の興味のある領域とも似通う部分がありなかなか教訓となる内容だった。医者はともかく精神科医ならば読んでおいて損はない。
個人的に、依存症も過食摂食障害も反社会的行動も手段は違えど全て愛情の飢餓を代償しているに過ぎないと思っている。
しかし、その大元を辿ることを大半の医者は放棄せざるを得ないのが今の医療の現実であるとともに、患者もまた辿られることに恐怖を覚えている。
そのジレンマとどう向き合っていくかが精神科医の勘案すべき所なのかもしれない。
✏一般に若さとは心の可塑性の高さを意味し、精神科治療においてプラスに働くことが多いが、依存症治療にかぎっていえば必ずしもそうとはかぎらない。むしろ若さとは「失うもののなさ」を意味し、ともすれば、破滅に向かって真っ逆さまに転落するかのような自己破壊的な行動につながりやすい面もある。
✏しかし、ひねくれ、挑戦的な表現とはいえ、人に対する絶望をあえて誰かに伝える、という矛盾した行為そのものが、「人とのつながり」を求める気持ちの表れとはいえまいか?
✏彼の指摘はまさに正鵠を射ていた。説教や叱責といったものは、それこそ彼の周囲にいる素人の人たちが無償でやっていることだ。それと同じものを、いやしくも国家資格を持つ専門家が有償で提供してはいけない。
✏浮き輪を投げて、彼らが陸地を目指して泳がなかったとしても、そのことに関して私たちはどうにも責任のとりようがない。しかし、それは無責任とは違う。当事者の健康さを信じ、相手の「心の自由」を保証するがゆえの配慮なのだ。
✏なにしろ、依存症という病気は本質的には「治りたくない」病だ。
✏これはもはや治療ではない。営業、いや誘惑といったほうがよいかもしれない。
✏依存症は否認の病といわれているが、実は、心的外傷後ストレス障害にもまた否認の病としての特徴がある。トラウマを抱えた患者の多くは、「悪いのは自分、だから、罰として、毎晩こんなつらい思いをしなければならないんだ」と思い込んでいて、このうえ自分が「病気」に罹患していると認めるのは、ただでさえどん底状態の自尊心をさらに傷つけることになりかねない。だから否認するのだ。
✏「心の痛みを身体の痛みに置き換えているんです。心の痛みは何かわけわかんなくて怖いんです。でも、こうやって腕に傷をつければ、「痛いのはここなんだ」って自分に言い聞かせることができるんです。
✏要するに、安心できない場所では自傷行為さえできない、ということなのだ。自傷行為は、少しならば安心できる環境、多少は自分の苦痛を理解してくれる人がいるかもしれない環境で起こる現象なのである。
✏少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、「困った人は困っている人かもしれない」ということ、そしてもう一つは、「暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである」ということだ。
✏人は誰しも生産的な存在でありたいと願う動物だ。
✏断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚せい剤とは比較にならない。
✏多くの国でアルコールが許容されているのは、おそらく二つの理由によるのだろう。一つは、その歴史の長さと社会浸透度ゆえであり、もう一つは、現状の世界では、「ワインは神聖なるキリストの血」と見なす宗教的世界観が主流だから、というものだ。
✏この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけである、ということだ。
✏この答えには続きがある。「悪い使い方」をする人は、必ずや薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。それこそが、私が医師として薬物依存症患者と向き合いつづけている理由なのだ。
✏先輩の一人はある格言を教えてくれた。曰く、「内科医はなんでも知っているが何もできない。外科医はなんでもやるが何も知らない。精神科医は何も知らないし、何もできない」。
✏ラベリングにはさしたる意味はない。彼女の生きざまというか、痛みに満ちた人生の物語を理解していれば、それで十分寄り添える。
✏そのときようやく気づいたのは、ご婦人の「手のかからなさ」とは、実は、援助希求性の乏しさや、人間一般に対する信頼感、期待感のなさと表裏一体のものであった、ということだった。
✏切れ味のよい、「あの薬のおかげで救われた!」という効果が自覚できる薬は、長期的には好ましくない。そして、その人が抱える心の傷が深刻なものであればあるほど、劇的な効果をもたらす薬は危険である。そう考えるからだ。
✏「法に触れることは、「ダメ。ゼッタイ。」」という道徳教育が、日本人の「逮捕されずにハイになる」ことへの執念を育んだともいえるだろう。
✏アディクション(依存症)の反対語は、「しらふ」ではなく、コネクション(つながり)
✏「アヤナイ」は「相手とのあいだに垣根を作らない。相手を自分のことのように思う」という態度なのだ。 この言葉は、そのときの私たちにぴったりだった。支援者/被支援者、あるいは専門家/当事者という垣根を越えて、音楽という「化学物質なしの酔い」を介してつながっていたからだ。 -
本当に素晴らしい本。すべての人に読んでほしい。
辛い状況にいる人は、こういう頼りになるお医者さんがいることが、心の支えになる。
辛い状況の人が周りに一人もいない、見たことも聞いたこともない、って人はいないと思う。(ニコチンやカフェインやアルコール含む)に依存しないと生きていけない人と接することはあるし、自分や大切な人が依存症に陥る可能性もある。
何より、絶対にそうならないとしても、依存症から立ち直ろうとする人を偏見によって叩きのめす可能性が減らせる。
精神医療に関わる医師、看護師、カウンセラー、問題児童・生徒を抱える学校の先生にもぜひ読んでほしい。
あまりに響く言葉ばかりで、引用したらほぼ全文になってしまいそうなくらい。
ヤンキー(不良)全盛期に中学時代を過ごし、大切な友人を薬物で失った経験、自身もカフェインやニコチン、ゲーム、車の改造に依存した経験を率直にかたっているからこそ、この人の患者に対する思いが「本物」であることがわかる。
初めから名医だったわけではなく、様々な患者さんから教えてもらって今があるのだ、という姿勢も好ましい。
特に衝撃を受けたのは、刑務所で自殺した覚せい剤依存症の女性のエピソードと、多重人格を「詐病」とされて少年院出所直後に殺人未遂事件を起こした少年のエピソード。これらの人は本当は救えたのである。それを罰するばかりでケアを怠った結果、第三者にまで危害が及ぶことになってしまった。
依存症を犯罪として取り締まっても、解決にはならないということ。
依存症の人は「人に依存できない」「自分のコミュニティに信頼がおけない」状態にある、と。そこを解決しなければ何度逮捕して服役しても、また繰り返すことになる。
日本の司法と精神医療が変わることを願ってやまない。
特に虐待を受けた子どもたちをケアすることは喫緊の課題である。
虐待に気づかれないまま大人になってしまった当事者が味わう地獄のような苦しみ、それを紛らわすための薬物依存は、適切なケアを行うことで治療することができ、人生を取り戻せる。それは、本当に日本人全員が知っておくべきことだと思う。 -
もう目から鱗がバラバラ落ちた。「蒙を啓かれる」とはこういうことかも。誰だったか、優れた知見は、読むとまるで以前から知っていた当然のことのような気がすると言っていたが、まさにそれ。非常に読みやすい文章で、すいすい読み終え、もう一度付箋を貼りながら読み返したら、付箋だらけになった。
みすずの本なので、ちょっと構えて読み出したのだけど(裏表紙の紹介もガチガチだし)、自分の来し方を交えながら綴られていて、思っていたよりずっとソフトな読み心地だった。いやもちろん、著者は依存症を主に診る精神科医なので、ハードな話もたくさん出てくる。それでも、陰惨な雰囲気にはならないのは、著者が、依存症を含めた精神疾患の患者に対して、とてもオープンな気持ちで向かい合っているからだと思う。薬物依存など「市民社会」とは切り離された闇の世界の話だと思っていたが、それは刷り込まれた思いこみだったのだと教えられた。
薬物(主に覚醒剤など)への自分の知識は、まさに著者が批判する「人間やめますか」とか「ダメ。ゼッタイ」とかの言葉を掲げて行われてきたキャンペーンによるものだ。薬物に関わると人間ではなくなる、薬物を一度でも摂取したら一生幻覚やフラッシュバックから逃れられない、だからダメ、ゼッタイ。そうした知識は誤っているし、薬物への対策として効果がないうえに、薬物に依存することでしか生きられない人をより孤立に追いやるものだ。臨床経験と依存症自助グループとの関わりから、著者はそうした考えにたどりつく。変わるべきは社会の側。耐えられないほどの苦痛を持つ人が、薬物にではなく、「人」に頼れる社会が必要だという、その提言は鋭く、重い。
以下は覚え書き。
・同じ依存症でも、アルコールと薬物では様々な違いがあり、特に違うのが発症年齢。アルコールは中高年(ほとんど男性)。薬物の多くは10代半ばで社会不適応行動(非行)の一つとして乱用が始まる。
「忘れてはならないのは、人生早期より『気分を変える』物質を必要とする背景には、しばしば過酷な生育歴が存在するということだ」「誰もがそうなる(違法薬物に耽溺する)わけではない。なるのは決まって心の痛みを抱えている者だ」
・「『依存症は、道徳心の欠如や意志の弱さのせいではない。病気なのだ』ということを最初に唱えたのは、医者ではなく、自助グループを立ち上げた当事者だった」「要するに、依存症という病気は、まずは当事者によって発見され、医学は長いことそれを疑った後にようやく追認し、その後、今日まで当事者の経験と知恵を学んで(もしくは、盗んで)きたわけだ」
・ある女性患者の死に衝撃を受けた著者は、時間をかけて二つの視点を持つに至る。一つは、トラウマ体験が引き起こす深刻な影響。もう一つは薬物依存症の本質は「快感」ではなく「苦痛」であるという認識。患者は「快感」が忘れられないから薬物を手放せない(世間の認識)のではなく、薬物が、ずっと自分を苛んできた「苦痛」を一時的に消してくれるから手放せないのだ。
・同様のことが自傷行為や過食・嘔吐にも言える。トラウマ記憶という自分ではコントロールできない痛みから、ほんの一瞬でもいいから気を逸らすために、コントロールできる痛みを用いる。
「世の中には、生きるためには不健康さや痛みを必要とする人がいる-」
・「虐待行為と自傷行為は密接な関係があるが、虐待を受けている家のなかで自傷行為をくりかえす子どもはきわめてまれである」「要するに、安心できない場所では自傷行為さえできない、ということなのだ」
・「少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、『困った人は困っている人かもしれない』ということ、そしてもう一つは、『暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである』ということだ」「なぜ一部の人はコミュニティの規範を軽視し、それを逸脱するのか。その答えはあまりにも明瞭ではないか。それは、その人がコミュニティに対する信頼感を抱けていないからなのだ。コミュニティとは、結局、それまで出会った人たちの集合体、集団である。そして、人は信頼する集団の規範、自分にとって大切な集団の規範だけを尊重し、遵守するものである」
・著者は若い頃、古いアルファロメオをせっせと改造して乗っていたそうだ。
「いまある自分(の車)との折り合いをつける方法という点で、身体改造(タトゥーやピアス)と車の改造は共通している気がした。いいかえれば、いまの自分は認められないが、だからといって自分を完全否定するつもりはないということだ」
・「四半世紀におよぶ依存症臨床の経験を経て確信しているのは、あらゆる薬物のなかでもっとも心身の健康被害が深刻なのは、まちがいなくアルコールであるということだ」「断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚醒剤とは比較にならない」
権威ある医学雑誌に掲載された研究においても「害の総合得点がもっとも高い薬物はアルコールであり、アルコールの場合、特に社会への害が他の薬物から突出していたのだ」「要するに、アルコールは、自他に対する衝動性・攻撃性を刺激し、解き放つのだ」
・「最近つくづく思うことがある。それは、この世には『よい薬物』も『悪い薬物』もなく、あるのは薬物の『よい使い方』と『悪い使い方』だけである、ということだ。これが、『なぜアルコールはよくて、覚せい剤がダメなのか』というあの患者の問いかけに対する、私なりの答えだ」「そして、この答えには続きがある。『悪い使い方』をする人は、必ずや薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。それこそが、私が医師として薬物依存症患者と向き合いつづけている理由なのだ」
・「薬害というものの大半は、医師の悪意ではなく、善意によって作り出される。つまり、人は自分の痛みに弱いだけでなく、目の前にいる他人の痛みにも弱い生き物なのだ」
・最近四半世紀の「薬物乱用栄枯盛衰」。90年代には、80年代一世を風靡したシンナーが急速に人気を失い、覚醒剤が一気に台頭。2000年代に入ると、未規制薬物(マジックマッシュルームなど)が登場し、順次規制される。処方薬リタリンの乱用。
「そして2010年代、あの忌まわしい危険ドラッグが登場し、国内全域を覆い尽くすような『ブーム』へと突入することとなったのだ」「規制側と開発者側とのイタチごっこの末に、モンスターのような危険きわまりない薬物が誕生し、国内各地で多くの中毒死と交通事故を発生させたのだ。最終的には販売店舗の撤退によってこの一禍は表面上鎮静したものの、あの数年間は、やみくもな規制がいかに使用者個人と社会を危険に曝すのかを証明する、一つの壮大な社会実験だったと思う」
危険ドラッグを使っていた人の一部が、代わりになるものとしてハマるのがやはりアルコールで、好まれるのは「ストロング系」。自助グループの施設長の言葉「やっぱり最後にたどり着くのは、世界最古にして最悪の薬物、アルコールなんだな」
・著者が過酷な虐待による解離性同一性障害(いわゆる二重人格)と診断した少年が、少年院で適切な治療が受けられず、出院後殺人未遂事件を起こした、とある。
「矯正施設の堅牢な管理体制は、解離性同一性障害を抱える者の暴力的人格をしばしば悪化させる。その管理的環境に適応的で従順な交代人格を作り出し、施設内では一見平穏に過ごすものの、抑圧された怒りや憎悪の感情は確実に暴力的人格を肥大させてしまうからだ。そして、悲劇は決まって地域に戻ってから起こる。鎖を解き放たれた内面のモンスターは、施設内で増強された暴力性を地域に出てから爆発させるのだ」
上記の危険ドラッグの件とあわせて、もっとも衝撃を受けた。事件・事故の背後に潜む薬物(とりわけアルコール)の影響や、犯罪者の生育歴(被虐待歴)について、もっと目が向けられ、地道な対策が練られなければならないと強く思った。 -
ある依存症専門医の半生記,といった感じか。同じ専門職として,偶然と必然の中で専門性を確立していく姿に共感を覚える。精神科業界でどのような評価をされているのかは良く知らないのだけど,たぶん異端だろうし,煙たがる人も多いのかなと思う。まぁ,精神科的にはマイナーな分野なので,そもそも医師としての認知度もないのかもしれない。
筆者の治療者としての考えやアプローチがどこまで普遍性を持つのかを判断する知識も経験もないのだが,いち医師として松本俊彦は信頼に足る人物であることは分かった。 -
-
薬物依存症患者の治療を専門とする精神科医である松本氏による著書。
薬物依存症の真の姿を知る意味でも、また、人間としての医者を知る意味でも、とてもよい本だと思います。
覚せい剤や大麻よりも、アルコールの方が薬物として悪質、というのは、みんなが知っておくべきことだと思いました。
この本にもある「世界最古にして最悪の薬物」という表現は、そのことを浸透させる意味で、とてもよい表現だと思います。
「困った人」は「困っている人」とか、「人間は薬を使う動物」とか、「ダメ。ゼッタイ。」では絶対ダメとか、示唆に富む言葉も多く、とても勉強になりました。
「薬物依存」は、なかなか重いテーマだと思うのですが、そういったテーマを読みやすい形で文章や言葉にできる著者は、本当に力のある精神科医なのだと思います。 -
一気に読み終えた。著者が悩みながら、自身も依存症を自覚しながら、薬を処方する立場の精神科医としてどう患者と対峙しているのかを赤裸々に綴っている。素晴らしい一冊。
-
想像していた以上におもしろくて、一気に読んでしまいました。中でもセガラリーのお話やイタリア車のお話に愛を感じ、ぐっと引き込まれました。(そこかいっ!笑)
あ、メインはアディクション臨床のお話です。
誰にでも、は勧められないけれど、アディクション臨床に興味があって、40代50代で車が好きな方には読みやすい本なのではないかと思います。
個人的には自分がなぜこの領域に魅了され続けているのかを確認する時間にもなりました。
今年のお気に入り本の一冊になりそうです。 -
非常に魅力あふれる先生の人柄が感じられた。
薬物に対する誤った認識(即中毒、即ゾンビ人間)は私も持っていた。そして実はアルコールの方が社会的にも内臓的にも有害ということも知った。
世の中のアルコール愛飲者の多くは依存症ステージⅠ〜Ⅱの人がほとんどなのではないだろうか。
アル中のイメージがステージⅤの離脱症状が出ることや振戦、社会生活に支障を来たすイメージで自身がアディクションではないと思っている人が大変であることに危惧を覚える。そしてアルコールももっと厳しい法整備がなされることを強く願う。 -
誰かを助けたい気持ちが自分自身を救うことにつながるんじゃないかと思えた
-
著者の経験を元に書かれているからか内容がとても頭に入ってきやすい。難しい題材にもかかわらず、とても読みやすい本であった。
依存症の原因、個人の背景にアプローチし、解決を目指す。その方法があたりまえであるとなる社会に遅くとも10年以内にはなってほしい。
アディクションの反対はしらふではなく、コネクション。 -
なぜ精神科医の書くエッセイはこんなに面白いのか。
『刑務所の精神科医』しかり当たりしかない。その考えに共鳴でき知識を学べるだけでなく、読み物として抜群に面白い。
筆者は薬物依存の専門家。
まず冒頭のシンナー氾濫の中学時代の述懐から引き込まれる。
他の精神疾患と違って薬物治療ができない依存症治療の難しさや、筆者がそれに引き込まれていく過程がつぶさに描かれ、とても興味深い。
その中で筆者がたどり着いたのが、薬物依存に陥る人は必ず何か別の生きづらさを抱えていて、それを見つけて耳を傾けないと、治療はできないという結論だった。
自助グループで出会った「神様、私にお与えください/変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものを変えられる勇気を/そして、その二つを見分ける賢さを」という言葉には私もとても胸を打たれた。
精神疾患とともに生きる自分の大事な人のことをおもった。
薬物依存症患者には刑罰ではなくて治療を、と主張すると炎上するのは、残念だけど日本社会の現実。
「人々は刑罰の効果を無邪気に信じている」というのは着目したい論点だなと思った。
筆者が実習中に精神科医になろうと改めて決心したのは、解剖でただの肉片と化した人間の遺体を棺桶に片付ける時、その人の名前が見えた時だった。
「大仰に聞こえるかもしれないが、そのときすべてを悟った気がした。名前こそがー固有名詞こそがーその人の生きた証なのだ、と。誰かに愛しい思いを込めて呼ばれ、あるいは、憎しみをもって呼び捨てられるなど、名前をめぐってさまざまな関係性や物語があったはずだ。そして私は考えたのだ。身体のどこかの部位や臓器ではなく、そのような関係性や物語を扱う医者は一体何科だろうか、と」
もし自分が高校生の頃にこれを読んでいたら、精神科医を目指したんじゃないか。
医者は学力的に難しくても少なくとも心理職は目指したのではないだろうか。
私は根っからの文系頭で、気づいたらすでに文系科目は優秀で理系科目はからっきしダメという学生だった。
理系科目は興味もなかったから試験のために勉強するだけだったし、試験に合格するという必要以上にできるようになりたいと思ったこともなかった。
そして、なぜ自分はこんなに理系科目ができないんだろう?とかいう問題意識を持ったことすらほとんどなかった。ことに本書を読んでいて気づいた。
なんというか、こういう疑問を持ったことがないくらい興味がなかったんだな、と改めて気づいて驚いた。
もし高校生の時に読んでいたら、理系の道に進んでみたくなって、(私の脳みそのレベル的に劇的に理系科目ができるようになることはなかったとしても)少なくともなぜ自分は理系科目ができないんだろう?と真剣に考えてみただろうな。
その考えの結果によっては、今と全く違う人生を歩んでいたかもしれない。
良い本は、自分が考えもしなかった自分のことについて考えさせてくれる。
-
非常に面白い。薬物の依存症当事者に対する理解が深まるだけでなく、単純に読み物として面白い。
小中学校で「ダメ!絶対!」という標語を用いた薬物濫用防止教育を受けた人はみんなこの本を読むべきだ。 -
松本医師とはほぼ同世代なので経験してきた事が似ていることにまずはびっくり。我々が中学高校生の頃はお酒も煙草もハードルが低くて、「嫌煙権」なんて考え方すら無かった事を考えると世間の評価も変われば変わるもの。たしかに、事件、事故を引き起こす頻度や直接の死因となればクスリよりもお酒の方がはるかに危険なのかもしれない。今のところ我々世代のお酒は野放しだけど、若い人は飲まなくなって来ているのも自然な流れなのかな。
-
学術書みたいだしみすずだし難しそうだったが
すごい面白い
よい薬物悪い薬物はない
よい使い方悪い使い方があるだけ
コーヒーやアルコールも客観視して
ドラッグとして見る本に触れたことはあるが
精神科医からの視点で見るととても説得力がある
日常生活で役立つかというと
そうでもないけど
マスコミが薬物について報道するとき
少しだけ上から目線で見ることができそうだ
著者プロフィール
松本俊彦の作品
本棚登録 :
感想 :
