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Amazon.co.jp ・本 (504ページ) / ISBN・EAN: 9784622090359
作品紹介・あらすじ
東アジアの戦後秩序はどのように形成されたのか、それは必然だったのか。本書は20世紀前半に東アジアで戦われた戦争に焦点を絞り、軍事研究の側からこの問いに答えようしている。なぜならそれは、もっぱら戦争に関わるからである。その際本書は、諸戦争の複雑な相互関係と全体像をとらえるために多重戦争(nested wars)という概念を導入している。それは「内戦」「地域戦争」「世界戦争」が入れ子式に重なった一塊のものとして歴史を見る。
1911年の清朝崩壊に端を発し1949年の中華人民共和国誕生で終息を見た国民党と共産党の長い「内戦」。満洲事変に始まる日中戦争という「地域戦争」。太平洋戦争を含む「世界戦争」。これらの戦争は互いに重なるだけでなく、一方が他方の原因となり結果となることで、密接に絡み合っていた。諸戦を別々に扱う歴史叙述には欠けがちな重要側面である。
著者はアメリカ海軍大学校戦略・政策学科で教鞭を執る。そこでは「大きく考える」ことが求められるという。軍事研究は「軍事」という狭い領域の学問と思われがちだが、本書は逆に、軍事の視点から歴史の新たな全体像を描き出している。歴史学と軍事研究をつなぎ、日英中露語の史料を駆使した意欲作。
感想・レビュー・書評
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"アジアの多重戦争"とは、中国で行われた複雑な多重構造の戦争を指している。
第二次世界大戦、日中戦争、中国の内戦は別々の出来事ではなく、先行する戦いから派生しており、根源にあるのは中国の内戦。
つまり、中国の長い内戦が中国と日本による地域戦争を呼び込むことになり、このアジアの地域戦争がヨーロッパの地域戦争を世界戦争に変容させることになり、世界中の多くの国々を巻き込んでいったのだ。
このような複数の層からなる多重戦争だったという視点がどうして重要かと言うと、これにより各国の戦いぶりや思惑が綺麗に整理されるからだ。
考えてみれば、何が不可解で奇妙かと言って、アメリカは日本にとって最も重要な貿易相手国で、中国での戦いを続けるのに必要な軍需物資の供給国である国にわざわざ攻撃を仕掛けるというのは、あまりに代償の大きい行為なのだが、日本側から見れば謎でも何でもない。
なぜなら、日本にとって主戦域は終始一貫して中国だったからで、太平洋地域のアメリカやイギリス、オランダの権益を攻撃し世界戦争に発展しても、もっぱら中国との地域戦争に精力を傾け続けた。
つまり日本は、世界戦争を周辺戦略に位置づけて、地域戦争に勝利しようとしていた。
中国は中国で、自国の内戦が地域戦争、さらには世界戦争に発展していることを自覚していたが、彼らの主眼は徹頭徹尾、彼らにとっての最終戦争である内戦に向けられていて、世界戦争に注力するアメリカにとっては最後まで理解することができなかった。
だから戦後、中国の内戦に影響を及ぼそうとして、何十億ドルもの支援を行うが、盛大な浪費に帰結している。
アメリカの戦略も想像力に欠けていて、中国が日本陸軍の大半の兵力をアメリカの進行ルートから遠く離れた場所に張りつけさせていなければ、アメリカによる日本への攻勢もあり得なかった。
各国がこの3層のいずれかに固執しすぎて、他が疎かになっていたのに比べれば、ロシアだけは世界戦争に主眼を置きつつも、他の地域戦争や内戦にも細心の注意を払い続けた。
なぜならこの3層のいずれもが、国の安全保障に直接影響を及ぼすものだったためだ。
そこでロシアは、中国の内戦の停止を仲介して中国が日本と戦うように仕向け、それによって自国が二正面の世界戦争を強いられることを巧みに避けつつ、敵対するすべての当事者に資金を提供することで内戦を長引かせ、中国を弱体化させ、国境沿いに大国をつくらせないよう周到な工作を行なった。
しかしスターリンも決定的な過ちを犯す。
独ソ不可侵条約というヒトラーとの単独和平を結んだのだ。
しかし、
「東ヨーロッパの分割とそれにともなう通商協定は、はからずもドイツに、ロシア侵攻に必要な資源と地理的条件を与えることになった。ドイツが世界戦争を戦うには、金属や製造業、燃料、食糧、人的資源が必要だったが、征服活動によってそのほとんどを手中におさめたのである。こうしてロシアの外交もまた、本来阻もうとしていた結果をみずから引き寄せる結果になった」。
アジアで実に巧みな外交を展開した割には、ヨーロッパでは拙劣だった。
アメリカも日本も中国も、各国が一様に、互いに相手の軍事行動の抑止を目指しながら、実際は阻もうとしていた当の軍事行動を呼び込んでしまうというジレンマに陥った。
アメリカによる段階的に厳しくしてきた日本への禁輸は、アメリカ側にとっては日本の行動を思いとどまらせようとしたのかもしれないが、抑制するどころか、日本の軍事行動はそれによりさらに加速する方向に働いた。
日本も自国の安全保障上、自給自足経済を作り出そうとして起こした行動が、結果的に中国経済の崩壊を引き起こし、ひいては自国の経済を弱体化させてしまう。
いまメディアで、「プーチンがウクライナ建国の父として記憶されるだろう」と言われているのには理由がある。
ハルキウやルガンスク、マリウポリ、オデッサなど、これらの都市は、国籍的にはウクライナだが、民族的にはロシア語を喋るロシア人の街。
そこにミサイルや砲弾を無差別に降らせて、小さな子どもたちまで殺している。
こんなことをやって、ウクライナ人がロシア人を恨まないはずがない。
ウクライナ人も、もともとはロシアと民族的には近しい間柄だよなと思っていてくれていたのに、まさにプーチンがその感覚を無茶苦茶に破壊している。
これまではウクライナのアイデンティティがあやふやだった。
それなのに、ロシアがこんな侵略をしたために、結果としてウクライナ人が「我々はロシア人とは違う。ロシアの奴らは許さん」という気持ちを持ってしまった。
こういう記憶は何世紀も続くだろうが、実はこれに似た過ちを90年前に犯したのが日本だった。
清朝末期からの中国国内は、多数の軍閥や諸勢力が割拠する混沌状態だった。
この多者間の長きにわたる内戦を国民党と共産党という2者間の内戦に変容させ、反日感情によって、共通の国民意識を醸成したのは日本だった。
「日本は自分たちの選んだ軍事戦略の結果、意図せずして中国のナショナリズムを呼び起こした。日本軍による容赦のない侵略と占領を前にして、中国人は自分たちの結びつきを、かつてないほどはっきりと自覚するようになったからである」
「日本は、まさにみずからの軍事戦略こそが、通常の状況なら互いに敵だったはずの諸勢力による、異例の協力体制を生み出したことに無自覚だった。これらの勢力はほとんどの点で一致していなかったが、唯一、日本に対する憎しみだけは共有していた」
日本が国民党や共産党を助け、中国をまとめ上げるかたちになった。
「歴史学とは選択を問うものであり、変えることのできない運命について学ぶものではない」とする著者は、本書で壮大なIFを提示する。
もし日本が、拡張を満洲でとどめていれば、おそらく満洲の支配を続けられていたのではないか。
しかも、ロシアの封じ込めと中国での共産党の排除で日本は蒋と協力できていたのではないか。
日本とドイツが蒋介石と同盟を組むのは、ロシアとの対抗上、自然な成り行きで、3者は、長期的には共産主義こそもっとも重大な脅威だという認識で一致していたのではないか。
日本による満洲の経済開発はめざましい成功をおさめていた。
日本は、自国を大国化するために用いた経済モデルを、北海道に続き、朝鮮や台湾、満州にも適用し、重点的な投資を行なった。
そのなかでも満州には対外投資が集中し、日本本土以外ではアジアでもっとも工業化した地域になっていた。
日本が満洲に有していた資産の規模は、朝鮮と台湾、長城以南の中国での保有資産の全体よりも大きかった。
もし中国が、日本の得意とする分野である経済開発に関して、日本の助言にあらがうのではなく従っていれば、ウィンウィンの結果になっていたのではないか。
満洲の経済を急速に安定させ、将来の世代に役立つインフラを整備するなど、日本はここに死活的に重要な経済的・軍事的利益を有していること、仮に日本が撤退すれば共産主義が中国全土に広がることになるため、欧米はむしろ防共の最前線に立つ日本を支援しなければならないのだ、とする日本の言い分には十分に説得力があったし、「アメリカは運河のためにパナマをコロンビアから切り離した。だとしたら、日本鉄道のために満洲を中国から切り離してなぜいけないのか?」と反論を試みることもできたのではないかと著者は主張している。
しかし、
「日本軍はどこへ行っても現地の住民を離反させた。日本はまた、アメリカ、ドイツ、中国、ロシアを相手にそれぞれ外交を行ったが、やはりどの国も離反させる結果になった。中国では日本の苛酷な支配が、ばらばらだった国民を結束させ、強力な敵に変えた。満洲国で示してみせたように、日本は経済開発こそ得意だったが、必要もないのに残忍に振る舞ったために、理解者にできたかもしれない相手を憎悪に燃える敵にした」
日本の残酷な仕打ちは相手の敵愾心をあおり、対抗する同盟を生み出し、外交面で意図と逆の結果を招くことになった。
著者の「満州でとどめていれば」という議論は説得力に乏しく、地理的に海洋国家であるはずなのに、自国を大陸国家と認識していたことを日本の過ちとしている自らの主張と矛盾している。
また、日清・日露の戦争は、「日本が勝った」というよりは、「相手側が負けた」というほうが実態に近く、軍事的な卓越さというより敵失だという主張も、あるいは日本は経済開発など技術的な面には通じていたが、植民地政策などの人的側面や政治連合づくりなどの外交面はからっきしダメだったという主張も、一面的に過ぎる感がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
222.07||Pa
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東2法経図・6F開架:222.07A/P16a//K
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中国の長い内戦(1911〜49)、地域戦争=日中戦争(1931〜45)、世界戦争=WWII(1939〜45)を三層と捉え、これら相互の影響などの複雑な関係を示す。
内戦には日露も直接間接の当事者として参加。その中で満洲事変、そして1937年には日中の軍事的エスカレーション。日独と蒋介石は反共で同盟を組むのが自然な成り行きだったのに、中国にかけ続けた軍事的な圧力のため、日本は国共露の共通の敵となってしまう。露は中国に日本と戦わせるために国共合作。中国の泥沼から脱出するためのパールハーバー。そして、日中戦争による国民党の弱体化と、その終戦による政治空白がもたらした共産党の伸張。
簡単に単純化できないほど、著者は多面的に目を向ける。各戦争が必然的に進んでいったともしない。転機となる出来事、個々の当事者の決断、更には偶然性も指摘する。同時に、パールハーバーに始まり一直線に1945年に繋がったという米で一般的な認識に反論もしている。
日本に関しても、意思決定プロセスを理解していることがうかがえる。中堅クラスによる政策の起案、まとめない曖昧な政策決定、後付けの戦争目的。軍部の暴走だけで片付けられない、文民の松岡や近衛の責任。一方、阿南や梅津のポツダム宣言受諾反対など、個別の著者の評価には異論もあるかもしれない。 -
『アジアの多重戦争1911-1949――日本・中国・ロシア』
原題:THE WARS FOR ASIA 1911-1949
著者:S. C. M. Paine
監訳:荒川憲一
訳者:江戸伸禎
判型 四六判 タテ188mm×ヨコ128mm
頁数 504頁
定価 5,940円 (本体:5,400円)
ISBN 978-4-622-09035-9
Cコード C1020
発行日 2021年11月16日
東アジアの戦後秩序はどのように形成されたのか、それは必然だったのか。本書は20世紀前半に東アジアで戦われた戦争に焦点を絞り、軍事研究の側からこの問いに答えようしている。なぜならそれは、もっぱら戦争に関わるからである。その際本書は、諸戦争の複雑な相互関係と全体像をとらえるために多重戦争(nested wars)という概念を導入している。それは「内戦」「地域戦争」「世界戦争」が入れ子式に重なった一塊のものとして歴史を見る。
1911年の清朝崩壊に端を発し1949年の中華人民共和国誕生で終息を見た国民党と共産党の長い「内戦」。満洲事変に始まる日中戦争という「地域戦争」。太平洋戦争を含む「世界戦争」。これらの戦争は互いに重なるだけでなく、一方が他方の原因となり結果となることで、密接に絡み合っていた。諸戦を別々に扱う歴史叙述には欠けがちな重要側面である。
著者はアメリカ海軍大学校戦略・政策学科で教鞭を執る。そこでは「大きく考える」ことが求められるという。軍事研究は「軍事」という狭い領域の学問と思われがちだが、本書は逆に、軍事の視点から歴史の新たな全体像を描き出している。歴史学と軍事研究をつなぎ、日英中露語の史料を駆使した意欲作。
〈https://www.msz.co.jp/book/detail/09035/〉
【目次】
謝辞
表記について
第一部 恐怖と野心――日本、中国、ロシア
第一章 序論――第二次世界大戦のアジアにおける起源
第二章 日本 1931-36年――ロシアの封じ込めと「昭和維新」
第三章 中国 1926-36年――混沌、そして天命の探究
第四章 ロシア 1917-36年――迫り来る二正面戦争と世界革命
第二部 多重戦争――世界戦争のなかの地域戦争、地域戦争のなかの内戦
第五章 1911年、中国の長い内戦の始まり
第六章 地域戦争――日中戦争
第七章 世界戦争――第二次世界大戦
第八章 長い内戦の終幕
第九章 結論――地域戦争の序幕、世界戦争の終幕としての内戦
監訳者あとがき
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索引
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