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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784622090694
作品紹介・あらすじ
自殺をしてはいけない。この言葉は、どのように根拠づけられるのだろうか?
この問いへの答えを求めて、古代ローマの歴史的資料や古代ギリシャの哲学者たちの思索をはじめ、戯曲や芸術、キリスト教やイスラム教といった宗教思想、宗教から距離を置いた哲学、社会学的な取り扱いまでをも含んだ広い視野で「自殺」がどう考えられてきたのかをまとめ上げる。
古くは宗教的な罪とされていた自殺は、精神医学の発展に伴って倫理的に中立なものになり、現代では選択肢や権利として肯定する立場さえある。このような思想の変遷の中にも、自殺を肯定しない考え方が確かに生き残ってきた。
誰もが納得する答えを出すことがむずかしい問いである。それでも、生きることをやめないでほしい、という切実な思いに向き合い、生きることをやめるべきではない理由とその論理をたどることが、この生に踏みとどまる助けになりうるし、切実な悩みに応えるためのヒントになりうるだろう。
「生き続けるべきだという主張と証拠について考え、それを選ぶことがはじめの一歩になる。そのあとはどんなことも起こりうる。まず、生き続けることを選んでほしい」(本文より)
感想・レビュー・書評
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名誉のための自殺が英雄的だと讃えられた古代ギリシャの時代から、自殺を厳罰化したキリスト教の中世、自殺肯定に世論が傾いた啓蒙主義の18世紀、そして現代。歴史学者が自殺をめぐる言説の変遷を辿りながら、希死念慮に抗うための哲学を拾いあげていく。
不思議な本だ。著者は知人が二人続けて自死したことをきっかけに、自死を考えている人に「生きてほしい」というメッセージを送りたくてこの本を執筆したという。だけど読んでいて印象に残るのは、自死者の遺体を見せしめにして死後財産を没収し、遺族まで辱めたキリスト教の不寛容さだったり、そうした宗教社会に反発したモンテーニュの自死に対する理解の言葉だったりする。
18世紀以降、自死を強く非難する言説がグッと少なくなるのは、西洋社会が個人主義に移行していったからだろう。近代で一番強い言葉で自死するなと言っているのはチェスタトンで、さすがカトリックに改宗しただけある。カントの道徳律に基づく自死の否定は一番説得力があり、すっきりとわかりやすかった。
著者が希死念慮にとらわれた人を引き止めるのに「社会が/共同体があなたを必要としている」と繰り返すことに最初は窮屈さを感じたけど、日本とは異なるレベルで個人主義が進んだ西洋ではまた違って響くのだろう。私は既に自死を選んだ人たちを否定したくなくて、どちらかといえば自死肯定寄りだったけれど、それは"弱い"とみなした人を周縁化して排除しようとする社会システム側の問題を内面化しているのと同じかもしれないと思った。
本書には「生き続けることは尽くすことだ」というパンチラインがでてくる。当然「尽くすために生きろ」ということではなくて、自死を考える境地に達しても生き続けることを選択したあなたはこの世界に貢献している、という意味だ。別に貢献しなくたっていいのだが、自分を非生産的で無意味だと感じている人には必要な言葉だろう。死の想念にとらわれながらも「生きろ」というメッセージを探し求めて夜を彷徨い歩く人はいる。そして、その経験を持ちながら生きていく人たちによって共同体は少しずつ変わっていけるかもしれない。
たぶん私たちはいつも「答えをださずにたえず問い続ける」という哲学の在り方に戻ってくるしかないのだ。本書は自死を肯定する思想も自死を許さない社会の不寛容さも綴っているので、自死を引き止めるという目的に一見反しているように思えなくもないが、自死について"考える"ことができるのは生きているからだ。他者の「自殺の思想」を通して自分に取り憑いた死を客観的に眺めてみること、「自殺の思想」を交換し合うことが心を掬い上げることもあるということは、文学や音楽の世界でも証明されている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
親しい友人を亡くし、それを止められたかもしれない言葉を求めて書いたのだそう。
得た理由はおそらくは弱くてあまりにも力がないように思います。
でも同じような悩みを抱えた人(著者あるいは友人)にはとても力になる本です。
自殺あるいは死について書かれたたくさんの文献リストに目を通すだけでもいいでしょう。 -
自殺を否定しようとする人が宗教や哲学の文献を引用して自殺するべきでない理由を並べているという感じ。ゆえに納得感はあまりなかった。G.K.チェスタトンのように自殺する人に対して、この世とそこで生きる私の価値を否定されたような気持ちを抱くのは共感できる。日本も自殺が多い国で、みすず書房はそういうことも考えて出版したのだと思う。もっとミクロな視点で、なぜ自殺か、なぜ男性に多いのか、なぜLGBTQに多いのか、なぜ彼/彼女は、、、という視点で考えてみたいテーマだ。
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筆者の主な主張
「自殺は、共同体。大きく傷つける。自殺のもっともわかりやすい予兆のひとつは自殺を知ること。つまり、自殺をすれば、やがて人を殺すことになる。だからあなたは生き続けなければいけない」(本書「まえがき」より)、ということ。
最初の方が、「〜は自殺ついて〜と考えていた」の繰り返しで単調に感じてしまい、途中で読むのをやめてしまった。
『ノルウェイの森』の主人公ワタナベノボルが、大学で勉強しているエウリピデスの自殺に対する考えを知れてよかった。
本文引用
p24
エウリピデス(紀元前四八〇頃―紀元前四〇六頃)は、こんにちまで作品が残っている三人の古代ギリシャの劇作家のうち、もっとも現代的な考え方を示し、『アウリスのイピゲネイア』で、「見事に死んでいくより、つらくても生きているほうがましです」と書いている。『ヘラクレス』では「だが、わたしは考えている。苦しみのうちにあって――命を絶ち、自分が育児なしであることを認めるのか?いや……勇ましく死を待とう」とヘラクレスに言わせている。
p32
命あるもののうちに数えられてさえいれば
まだ安心だ。犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりましだ。生きているものは、少なくとも知っている
自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく
彼らの名は忘れられる。その愛も憎しみも、情熱も、既に消えうせ
太陽の下に起こることのどれひとつにももう何のかかわりもない。
(コヘレトの言葉九章四節―六節)
p34
現に存するとき煩わすことのないものは、予期されることによってわれわれを悩ますとしても、何の根拠もなしに悩ましているにすぎないからである。それゆえに、死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、われわれは存しないからである。
(『エピクロス――教説と手紙』) -
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自殺否定の立場から、自殺思想史を論述している。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/780592 -
九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1411011 -
米国の歴史学者が、親友2人を相次いで自殺で喪った衝撃から、自殺の歴史を辿り始めた。本書はその研究の集大成だ。西洋の思想史に絞られており、他は日本の切腹に触れられる程度。
「抗って生きるために」という副題や原題「STAY」が示すとおり、著者の眼目は「自殺を止めるための根拠」を思想史の中から見いだすことにある。
古代から現代までの、自殺を否定する思想の系譜――宗教以外の(宗教では非宗教者には無関係になってしまうから)――を辿っていくのだ。
目からウロコが落ちる話がたくさん出てくる。
・自殺反対を初めて唱えたのはたぶんピタゴラス
・キリストの死を自殺として捉える神学者も多い
・中世キリスト教社会では自殺は悪魔に魅入られた罪と見做され、自殺者も遺族も厳しく罰せられた。自殺者の遺骸を拷問(!)したりした。 -
東2法経図・6F開架:368.3A/H51j//K
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読みやすくていいのではないか。学生様と読んでみたいタイプの本ではあるが、まあ題材としては適切ではないわね。内容としてはこんなもんだろう。自殺の理由、とくに絶望とか恥辱、賠償、それに向社会的自殺みたいなのはもっと論じられるとは思う。ハラキリ!セップク!
著者プロフィール
月沢李歌子の作品
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