ハッピークラシー 「幸せ」願望に支配される日常

  • みすず書房 (2022年11月4日発売)
3.82
  • (10)
  • (12)
  • (7)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 400
感想 : 21
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784622095491

作品紹介・あらすじ

「現代の資本主義が抱える幸せへの強迫観念。善意によって築かれた理想像を企業と政府が蝕むにまかせる怪しげな科学。これらに対する洞察力あふれた批判」『ニューサイエンティスト』誌

「幸せの産業は、よい人生についての私たちの考えをどう変えてきたのだろう? そしてその代償はなんだったのだろう? エドガー・カバナスとエヴァ・イルーズはその批判的研究によって、蔓延する新自由主義の論理と、幸せをめぐる現代政治がもたらす有害な帰結を効果的に論証している」ディディエ・ファサン(プリンストン大学 社会学教授)

「本書は新自由主義社会において人びとが幸せ探しの下僕と化している状況を明察している」『サイコロジスト・マガジン』

「それは涵養され、理論化され、ビジネスの道具となり、書籍となり、セミナーとなり……さらには生産性の原動力にさえなった。社会でも職場でも、幸せは至上命令となった」『ルモンド』紙

「鮮やかな調査研究と見事な議論によって、本書は現代社会における幸せへの執着を痛烈に批判している。エドガー・カバナスとエヴァ・イルーズは幸せの科学の欠陥、無定見、短絡を追及し、それが経済格差の原因は個人の心理レベルにあり社会構造の問題ではないという論調の骨格となってきたことを示した。新自由主義がいかにして心理学の流儀への傾斜を強め、それによって「自信」「レジリエンス」「ポジティブな感情」を善として喧伝してきたかを理解するための必読書」ロザリンド・ギル(ロンドン大学シティ校 文化社会分析学教授)

「幸せの追求はじつのところ、アメリカ文化のもっとも特徴的な輸出品かつ重要な政治的地平であり、自己啓発本の著者、コーチ、[…]心理学者をはじめとするさまざまな非政治的な関係者らの力によって広められ、推進されてきた。だが幸せの追求がアメリカの政治的地平にとどまらず、経験科学とともに(それを共犯者として)機能するグローバル産業へと成長したのは最近のことだ」(「序」より)。
ここで言及される経験科学とは、90年代末に創設されたポジティブ心理学である。「幸せの科学」を謳うこの心理学については、過去にも批判的指摘が数多くなされてきた。本書はそれらをふまえつつ、心理学者と社会学者の共著によって問題を多元的にとらえた先駆的研究である。
「ハッピークラシー」は「幸せHappy」による「支配-cracy」を意味する造語。誰もが「幸せ」をめざすべき、「幸せ」なことが大事――社会に溢れるこうしたメッセージは、人びとを際限のない自己啓発、自分らしさ探し、自己管理に向かわせ、問題の解決をつねに自己の内面に求めさせる。それは社会構造的な問題から目を逸らさせる装置としても働き、怒りなどの感情はネガティブ=悪と退けられ、ポジティブであることが善とされる。新自由主義経済と自己責任社会に好都合なこの「幸せ」の興隆は、いかにして作られてきたのか。フランス発ベストセラー待望の翻訳。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 私たちは「何のために生きているのか?」と問われると答えに窮するが、「幸せになるため」だという解に異議を唱えることは難しい。しかし、マーティン・セリグマンなどが提唱する「ポジティブ心理学」によってさも科学的であるかのように下支えされた幸福信奉に対して私たちは一歩立ち止まって批判的であるべきだと著者は主張する。なぜなら、この考え方には「幸せになれるかなれないかは当人の努力・能力に依存する」、「不幸であることはネガティブである」という、個人主義・能力主義・還元主義・優生学的な思想を強化するからだ。そして、これらは新自由主義的資本主義と好相性であることから、政治的・経済的な問題にも援用されることとなる。主観的な幸福という自明に見える共通価値観を「科学的」に数値化し、政策的意思決定にも利用する考え方は、一見すると功利主義的には公平で合理的に感じられる。しかし、その主観的幸福は経済的豊かさ・所得格差と相関するという研究結果もある。だとすれば、「最大多数の最大幸福」の実現は政策の誤謬となりかねない。
    そして、自己の幸福追求には決して終わりがない。そこには、永遠に満たされることのない渇望と増大する不安感・不全感、人生の目的の内面化、そして不幸な他者への無関心や侮蔑を招き、個人主義を加速させていきかねない。外的・構造的な問題を矮小化させ、多くをセルフコントロール可能なものであるかのように責任を過度に個人へと転嫁させた先には、道徳的・倫理的によりよい社会は見えないのではないか?──。
    幸福のみを過度に追求し、ネガティブな感情や絶望を軽視することのリスクを本書は示している。社会は極めて複雑で多様であり、不幸な現実に立ち向かうための希望は、幸福の追求にではなく知性と正義にあると言う。しかし、絶対的な正義や解などは存在せず、その対立には必然的に不幸も生まれることになる──。だからといって、安易に幸福の追求に逃げることは思考停止となる。答えは決して出ないのだろうが、現代の行き過ぎた自己幸福優先的な状況を私たちは見つめ直す必要があるのではないだろうか。

  • これはこのぼく自身の安易な人生観・倫理観の寝首をかくクリティカルな1冊だと唸る。ぼくもまた心のどこかで(多分にフランクル的に)自分の心の持ちようにこそ「幸せ」の源泉を見出していたのだけど、肝心の「では、その『幸せ』とはそもそもどう定義づけられうるものか」が問われないままイージーに「幸せ」を蜃気楼よろしく追い求め続けてむなしく生きているのが実態かもしれないな、と本書の議論を追いつつ思ってしまったのだ。この本から見えてくる、個人の私的な領域としての「幸福観」までもが「専制」の対象となる実態について考え直したい

  • 自分が、幸せを強要する様な自己啓発本が嫌いな理由が言語化されてた
    最初の章と最後の結論は読み応えがあったけど、他は事実をさらう内容だからあんまし入り込めない
    周りくどい本って言ってる人いたけどたしかに

  • 「幸せ」願望に支配される日常という邦訳の主題の通り、いつまでも追い続けるものとして「幸せ」が捉えられている。

    ====
    幸せは何よりもまず連続体だ。つまり人生の特別なステージや最終ステージではなく、進行中の、終わらない個人的改善のプロセスであり、そこでは個人は、自分についてどう感じているのかにかかわらず、つねにより高レベルの幸せを目指すべきだということだ。つねに改善の余地があるというのが前提になっている。その意味では、幸せの追求は個人を終わりなき自己形成のプロセスに従事させるとも言える。(p.125)
    ====

    自己追跡アプリを使っている時も、「完璧な自己管理」によって、新しい形の不満が促進されることに繋がり、期待が脅威(常に自己監視をしていないと不幸になるという不安)に変わる。
    ポジティブであることが専制的になる世の中への懸念を最後に示し、ネガティブな気持ちをポジティブで覆い隠すべきでないという趣旨に至る。SNSを含め、幸福追求の世の中で新しい形での疲れということで、色々余計なものが見えすぎてしまう難しさを「ハッピークラシー」というタイトルで表したのだなと興味深く読む事が出来た。

    ====
    幸せはわれわれの生活を操るのに便利なものになった。なぜならわれわれが執拗な幸せさがしの僕になったからだ。(p.198)
    ====

  • 日本でも広く浸透している「幸せの追求」に対する批判的な主張。
    今まで何の疑いもなく"幸せを追求することは無条件に良いことである"と思い込まされていた私にとっては多くの気づきがあり、とても勉強になった。
    「ネガティブ」な感情は悪ではなく、寧ろそういった感情が歴史的にも改革を起こした重要な感情であるとして、「ポジティブ」になることだけが目的ではなく、批判的思考等の「ネガティブ」な考え方も道徳的目的でありつづける、ということ。また、企業文化や企業のpurposeを従業員に内在化させ、「ポジティブ」な社員を増やすことによって企業の生産性や業績向上に繋がるという逆の方程式に対する批判(本来は企業が努力すべきことを社員に責任転嫁しているという主張)。
    それら本書の主張や批判については否定するつもりはない。
    一方で、それでは我々個人はどうしていくべきなのか、に対する筆者の考えは明確には述べられないまま本書が終わってしまったことは残念。

  • ポジティブシンキングからの決別ができそう。四半世紀、この考えと付き合ってきたけれど、そうじゃないともう部分も増えてきた。そうじゃないが語られている本で、自分の感覚に言葉を与えてくれる。

  • 資料

  • イエットアナザー・ポジティブ心理学批判。「新自由主義「を研究してきた人みたい。「幸せの科学はわれわれに幸せになることを強いるだけでなく、もっとも幸せで成功した人生を送らないのをわれわれの責任にする」。少しまじめに読むかな、とおもったが、内容が薄くて特にコメントするべきことがない。

  • ポジティブ心理学というか、個人主義に対する批判かなと思った。
    今の世の中が個人主義だから「幸せ」にフォーカスが当たっていて、幸せになるために「ポジティブでいること」は「個人」に限定して言うと間違ってないかなとは思う。

    でも確かに社会が「幸せ」という主観的な物差しを軸に政策を実行するのは良くないと思う。

    でもそもそも、
    ポジティブ心理学がここまで台頭してきたから批判されてるんだろうなと思う。
    ポジティブ心理学を提唱した人は、あくまでも個人の幸せに関することを提唱しただけで、社会的な影響の事なんてあまり考えてないんじゃないかな?と思ったり。。。知らんけど。。

  • 幸せの唱道者たちが問題の解決策だと保証したものは「内に逃げろ」ということにすぎなかった
    『ハッピークラシー』P.73 より

    マインドフルネスに感じる薄っぺらさはこういうことだったのか?と幸せ信仰の虚像を明らかにしてくれる一冊

  • 難しかった!ポジティブ心理学の危うさについては理解出来たが、この本全体で何を言おうとしているのかは私にはわからなかった。

    今日聞いたラジオで偶然聞いた言葉「隣のレジは早く進む)の方が心に刺さった。

  • タイトルにググッと惹かれて購読。本書では、アメリカを発信地に「幸福」であることを最上の価値とし、それを実現するためには個人の意識改革が不可欠という流れを鋭く批判する。個人の努力こそが、仕事の成果や幸福に直結するという考え方が行き過ぎると、幸福ではない人は努力が足りないということになる。政治でも経営戦略でも家柄でもなく、個人の努力が全てというのは、権力者にとっては都合が良い。また、センサー付きデバイスや行動と感情を結びつけて記録することは、ある意味、個人の感情情報をタダで企業に提供し、対価を払って利用していることにもなる。個人情報の流出にはうるさい人も、幸せ(だけでなく睡眠や脳波など)の情報は喜んで出すという、これはなんなんだろう。幸せ、もちろん大事なのだが、以前から感じている違和感を詳しく説明してくれた一冊。

  • ウェルビーイングや幸福度といった指標が重視され、個々人が幸福に至る手法としてのコーチングやカウンセリング、マインドフルネス、そしてポジティブ心理学。それらの根拠が薄弱なこと、そして個々人の幸福に視点を移すことが実は新自由主義の自己責任論と共謀していることを喝破する。個人が幸福であることや幸福を目指すことを否定することはないと思う。ただ、それをすること言うことの背景や根拠は自分なりにしっかり持っておきたい。特にNPOのビジョンや成果としてのウェルビーイング的観点の意味合いやあり方については考えていきたい。

  • 人生は手に負えないほど複雑で、世界はカオスであり日々混迷を増しているように感じる。
    思考停止してシンプルな解決策を求めたい気持ちもわからなくはない。
    でも、人生のすべての問題はネガティブであることが原因で、解決策はポジティブであることだなんて乱暴すぎる。

  • 例がとても多かった。こういうジャンルの翻訳書は、結構ひらくことが多いのかな?
    かんするとかも漢字でなかった。漢字が多くなると硬くなって読みづらいから?

    何年か前に、ビジネス系の記事の見出しを見てネガティブな人間は必要ないというメッセージを受け取ってなぜそこまでの扱いを受けねばならんというような気持ちになっていたけれど、背景に幸せの科学や経済学があったとは。
    年収が一定を超えると幸せを感じなくなるというのも、何/どこで聞いたかは覚えていないけれどたしかに知っている。出典にあたること、その調査の意図や社会や政治の要請はなんなのか?そういうところにも目を向けて読み解いていかないといけないなと感じた(受け取ったすべての情報に対してはやっていられないので、自分にとって影響が大きいとか、大事な部分からでも手をつけないといけないな。)
    「経験機械」の話を読んで上田岳弘さんを思い出した(Qだったか)。

  • 東2法経図・6F開架:361A/C11h//K

  • 最近自分もSNSを全てやめました。
    理由は幸せやポジティブな気持ちを強要させられている気がしたからです。

    罵詈雑言はもちろんダメだが、真っ当な批判や批評も良しとしない空気が現実世界よりも強く漂っている印象がSNSにはあります。

    この本はすんなり読むのが難しい回りくどい表現が多かったけれど、とりわけ重要なのは192pにあるくだり。

    「たしかに、ネガティヴをポジティブにとらえ直すこと(中略)は好ましいことかもしれない。それは問題ではない。問題なのは、ポジティブであることが専制的になり、人々の不運の大部分と事実上の無力は自業自得だと言い放つ時だ。(中略)さらに問題なのは、こうした態度は経験的、客観的な証拠にもとづいているという幸せの科学の主張だ。(中略)誰でも本来、逆境を強みに変えるのに必要なメカニズムを備えていると言われる世界なら、不平を口にすることもできない。」

    不平を口にすることも出来ない世界は不健全なだけでなく、すべての負の側面の原因を個人に押し付けてしまうためそれ以上の社会としての発展も望めません。

    ただ、既に不平も言えない世界がSNSから徐々に侵食してきているというのは自分の気のせいでしょうか?

  • 新自由主義とポジティブ心理学の親和性。
    個人のマインドセットと努力にさまざまなものを収斂させ、ネガティブな感情を押し込めることを要請する。

    「毎年期待値を上回ってこそ“普通”です」と会社の偉い人が言っていたけど、終わりなき幸せ=ハイパフォーマンスの追求ってことなんだろうなと腑に落ちる。

    ネガティブであること、批評的であること、大切な力だと思う。

  • 四章に入るまでは完全にハズレ引いた気分だったけど頑張って最後まで読んだよかった。

    幸せそのものへの批判ではなく、「幸せ」という本来複雑で、定義不可能な感情を、様々な似非科学を用いて誰にでも再現可能なものとして単純化する「ポジティブ心理学」を主に批判している。 
    ポジティブ心理学発展の歴史、それによって誰が利益を得てきたか、それらが能力主義や個人主義を助長しているのではないかなど、実例を挙げながら紹介している。

    自己啓発本やインターネットに溢れる幸せになる方法みたいなのも、気分転換や自分について考えるきっかけみたいに使う分には良いと思うが、あくまで批判的な思考をもつことが重要だなと思った。

全20件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

(たかさと・ひろ)
翻訳家。上智大学卒業。訳書にトム・リース『ナポレオンに背いた「黒い将軍」』(白水社、2015年)、ロイ・バレル『絵と物語でたどる古代史』(晶文社、2008年)、『世界を変えた100人の女の子の物語』(共訳、河出書房新社、2018年)、トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(みすず書房、2019年)など。

「2022年 『ハッピークラシー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高里ひろの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×