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本 ・本 (442ページ) / ISBN・EAN: 9784622096160
作品紹介・あらすじ
生前も死後も、デンマークの庶民から「トーヴェは私だ」と共感をもって読まれ、愛されつづける詩人・小説家トーヴェ・ディトレウセン(1917-1976)。
コペンハーゲンの貧しい労働者地域、西橋(ヴェスタブロー)地区に、火夫で文学青年崩れの父親、美人できまぐれな母親、美男で内向的な兄の妹として生まれた。「母の女の子」として育てられるなか、真の安らぎを得られるのは、父親が大切にしている本の中にいるときだけだった。トーヴェは決意する、「私も詩人になる」(『子ども時代』)。
高校進学を諦め、メイドやタイピストの仕事を転々とする生活がはじまる。憧れの恋愛と求める愛の間で揺れ動く日々。そんなある日、子どもの頃からノートに書き溜めていた詩の導きで、文芸誌『野生の小麦』の編集者ヴィゴー・Fとの運命的なめぐり会いをはたす(『青春時代』)。
詩集出版の夢が叶い、作家としての道が開かれてゆく。だが、有名になるにつれ、私的な生活は混乱をましてゆく。四度の結婚、薬物依存――トーヴェは自滅へと向かってゆく(『結婚/毒』)。
自らの経験の全てを題材として、女性のアイデンティティをめぐる葛藤をオートフィクション/回想記として世に出したトーヴェ。自分に正直にあろうとする人間の生きるむずかしさを、文学と人生で表した。
ナチス・ドイツの影が迫り来る時代のコペンハーゲンを舞台に描かれる、記念碑的三部作を一巻にして贈る。
感想・レビュー・書評
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『子ども時代』
6章の冒頭に
_子ども時代は棺のように長く、窮屈で、自分では抜け出せないものだ。_
とあり 深く頷いてしまう
左翼思考の父、美人で俗物な母、母に似て美しい子どもだった兄エドウィン、恐れを知らない女の子 友人のルット。そして早くから読み書きのできた 本好きで詩人になりたい少女トーヴェ。
圧倒的な母と、ちょっと悪い友だちルットへの思い、そして詩を書く姿もなんとも共感できてしまい、貧困といえども やはり懐かしい少女時代にしっかり心つかまれる。
私が好きだったのは「青春時代」
最初のエピソードが最高。初めて仕事に就いたトーヴェ、とある家のメイドだ。しかし初日にグランドピアノをブラシで磨いて傷をつけてしまい、そこの家の子どもを連れて逃げ、どうしたものかと母に打ち明けたときのエピソードが最高。
タイプライターを練習しながら何とか務めたロングレン夫人の印刷所では、トーヴェの詩の才能が喜ばれる。
演劇をはじめ、そこで知り合ったいつも男を探してる美人のニーナ(高校時代の友人そっくりで懐かしい)。
最後のときを母が看病したロサリアおばさんの死のにおい。。
少しずつ大人になり 寒そうなアパートに一人暮らしを始め(自分のひとりの部屋を持った)詩を書くトーヴェは羨ましいほど。そしてついに『野生の小麦』という(素敵なタイトル!)若い人たちのための文芸誌に詩を載せてもらう。ヴィゴー・Fとの出会い、初めての詩集。青春の物語ってほんとに…
好き!
そして問題の「結婚/毒」の章に入ってゆく…
詩集が出版され、作家として有名になっていくトーヴェ。ヴィゴーを通じて出会う若き作家たちとの交友…
結婚生活のうまくゆかなさ。子ども。そして、薬…読んでいてもどかしいけれど、あ、これで幸せに子どもたちと暮らせる!って思ってたところで…あーもーいっきに読ませる最終章。「私が私らしくいられるのは、書いてる時だけなの」
書いていて欲しかった…
最近よく聴くワード「オートフィクション」自伝的小説ですが、この表紙のトーヴェの満足そうに煙草をくわえたお顔見てたら この人のこと知りたくなりますよね!
女の子大好き!女性の生き方を女性が訳すことで もっと好き!フェミニズム文学とかなんとかはどっちでもいいよー
参加した読書会で訳者の枇谷さんが仰っていたこと。
最後の章には 有名人たちの名前が出てくるゴシップ的な面白さもあったとのこと
なるほど。しかし日本人にはデンマークの文学があまり馴染みなくて残念!そういうのを読み解くファンブックがあったらと思ってしまった。 -
デンマークの女性作家。読むまで知らなかった。
読書会の課題になったもののわりと分厚く(422p)て期日までに読了できるのか不安だった。3部から成り立っている。子供時代、青春時代、結婚/毒。毒が何を意味するのか分からずに読んでいてそこに陥っていく様を夢中で読んだ。
貧しくてつまらない女性作家と呼ばれてきたこと、主婦であることや当時の出版事情なども知れる。現実の部分と虚構の部分もあるのだろうけどあえて現実だとだまされてもいいような気がする。 -
「「我々には愛し合う権利がある」と彼は言った「他の人を傷つける権利ね」と私は言うと、彼にキスをした。」
子ども時代は足りない自尊心が叫びをあげていて、それがとても辛くて痛かった。自虐と高慢。相容れないものをかかえたいっこの身体と心。じぶんの幼いころの記憶と感情がふと思い出したようにまたわたしを傷つけてきた。
なんだか天性の詩人の感性の紡ぐ文章じゃないみたいだった。だからとても普遍的で、真に迫っていた。青春時代は、SNSにあげるちょっとしたことを四六時中考えているひとみたいだった。痛くて、そしてきらきらしていた。汗と涙と希望。浅はかで自己中心的な瑞々しい感情。
結婚してからは、エッべ(2番目の夫)とヘッレ(娘)があまりにも不憫だった。その身勝手を、自由を愛する女だといって讃えることはわたしには難しかった。けれど「結婚/毒」の2章目からじぶんに罰をあたえるように、自分自身との壮絶なたたかいがはじまる。だから彼女はそれまで、自虐として淡々と語っていたのだろうか?わたしがそう思いたいだけなのだろうか?共感するところは厭ほどあった。最期まで、あなたはとても身勝手で自由な勇気あるドリーマーだった、そんな薫りをあとに遺して。
どうしても、素晴らしきアニー・エルノーのことをずっと想ってしまっていた。
「いつもまわりの人たちの反応をまねることで、自分にも感情が備わっているふりをしなくてはならなかった。まるで自分に直接関係ないことにしか心を動かされないみたいだった。道に座る不幸な家族の写真を新聞で見たら涙を流すのに、にちじょうのなかで、実際、同じ景色を目にしても、何とも思わないのだ。」
「私と母との関係は密で、痛々しく、危うくて、私は愛の証しを常に探さねばならなかった。」
「私の詩は、私のきれいで新しいむき出しの子ども時代を覆う、まだ完全に剥がれ落ちていないかさぶたのようだと私は思った。」
「君自身が複雑だから、人生も複雑になるんだろうね。」
「人は過去を振り返ると、子ども時代に行き当たり、怪我をする。だって子ども時代はごつごつしていて、固くて、完全に砕けてぼろぼろになって初めて、終わるものだから。」
「私には、どうして自分がすぐに他人に耐えられなくなるのか、どうしたら他人の話を喜んで聞いていられるのか、分からなかった。」
「でも私は「愛」と呼ばれる他者との心の繋がりを、切に求めていた。それがどんなものかも知らずに、愛を欲していた。」
「母は他人の気持ちを理解できない人だったが、心の内に入り込まれずに済むので、私には都合がよかった。」
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出版社(みすず書房)
https://www.msz.co.jp/book/detail/09616/
内容・目次・訳者あとがき
(https://magazine.msz.co.jp/new/09616/)
書評情報
著者プロフィール
枇谷玲子の作品





