- 本 ・本 (408ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622096733
作品紹介・あらすじ
対立する二陣営が戦い軍事的な優劣によって政治的取り決めを行う。こうした旧来の戦争を自由陣営が今後主体的に戦うことはほぼないだろう。21世紀に欧米が関わった新しい戦争の本来の目的は治安の確立維持で、戦果ではない。そこでは戦争は政治の直接的な手段となっている。
英陸軍士官としてアフガニスタン紛争を戦った(2006-12年)著者は、欧米がそれを旧来の戦争概念で捉えたために暴力を拡散する結果を招くのを見た。本書はその戦場から放たれた批判の書であり、オックスフォード大学の歴史学徒であったこの青年による著作を、軍事史の大家マイケル・ハワードは「クラウゼヴィッツ『戦争論』の終結部と呼ぶに相応しい」と激賞した。
武力を否定しない点でこれは反戦の書ではない。所謂「テロとの戦い」の正当性は疑うべきだ。しかし本書の理論が実践されれば愚かな戦いは減るだろう。現代の戦略思考はオーディエンスへの説得力を具え、合理性、感情、道徳的一貫性への配慮を必要とする。問題は勝敗ではなく、戦闘は意味を付与される言語なのである。「この議論がもたらすパラダイムシフトは戦場を遥かに越えて意味をもつ」(ニーアル・ファーガソン)。戦争を問う現代の必読書。
感想・レビュー・書評
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著者は2006~2012年に英国陸軍グルカ連隊士官としてアフガニスタンでの対反乱作戦に従事した経験がある人物。原題は War from the ground up。
著者自身も述べるように、本書のベースはクラウゼヴィッツの『戦争論』を現代の文脈にアダプトすること。ただし、本書の目新しさの核心は、著者が自らのアフガン従軍経験から、現代の戦争はしばしば「敵=味方」の二極化が不可能であることに加え、情報環境の革命的変化によって戦争を見つめるオーディエンスがほぼ世界大に拡大している点に注意を促している点。
つまり戦争当事国は、かつての総力戦時代のように、自国民だけを相手にしていればよいわけではない。まさにイスラエルの情報戦略が何をやってきたか/やっているかを考えれば明らかなように、伝統的なコトバで言えば対国内宣伝と同等、またはそれ以上に対外宣伝が重要になる。それは、自国の政策にとって有利な情報環境を作るというだけではない。自国が提示するナラティヴの一貫性を守り、敵側、自国に対する批判者が提出するナラティヴを相対化し、その拡大を抑止し、「どっちもどっち」と思わせることだけでも十分に意味がある、ということだ。
興味深いのは、著者が戦闘の現地でも受け取り手(著者はCSのような「オーディエンス」という概念で表現している)の重要性を指摘する。例えば対反乱作戦では、現場の指揮官レベルで、誰に対しどんな理由で武力行使するかが問われてしまう。すなわち、国家の政策レベルでも、戦闘地域での行動のレベルでも、軍事と政治が密接に関連するようになった。
この認識は、軍人・兵士のイメージの更新を迫るものでもある。じっさい著者は「文民統制」という概念は憲政学的な議論ではあっても、軍事的には時代おくれではないか、と示唆している。
戦争と政治の一体化が進むということは、戦争が「出来事」ではなく「過程」になることを意味している。よって、局所的な「勝利」「敗北」はありえても、画然とした「終わり」は見失われることになる。この見立てに従えば、現代国家では軍事・戦争が日常の中に入り込み、つねに潜在的な戦争状態が継続することになる。
本書ではそうした言及はないがここに経済の問題を接続すると、別の論点が見えてくるかも知れない。現下の地球環境危機の中で、軍事と戦争はほぼ唯一浪費が容認されている場面である。とすれば、資本の観点からすれば、つねにどこかで(システムが不安定化しない程度で)軍事的緊張が意識されていることが望ましい。現代の国家や政治の在り方も、こうした資本の要請に適合するかたちで変成しているのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:391A/Si7n//K
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