霧のコミューン

  • みすず書房 (2024年7月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784622097129

作品紹介・あらすじ

予兆のなかに希望を見出し、露呈から身を守り、柔らかい「共‐接触」を希求する精神共同体。
《「霧のコミューン」は現実の場というより心の拠点であり、「生」を紡ぐための意識の拠点である。それはたんなる「生活」の拠点を超えるものである。それは隠された生の可能性がゆらぎながら生成する場であり、来たるべき生のいくつもの準拠点である。ささやかで柔らかな「世直し」の決意である。(…)この本は、異邦への旅の朝靄のなかから現われた細部の風景を描くささやかな日記から始まり、ヒロシマ・ナガサキの記憶の霧へ、アラブ民衆世界や沖縄のシマジマから聞こえるくぐもった声のざわめきへ、年若き者たちによる黙示録的な叛乱へ、戦火のかなたで閃く人間の意志の熾火(おきび)へ、そして生成の奥底に秘められた予兆の風景へと歩みを進めて行くことになった。手紙という呼びかけの形式が多用されているのも、見えざるものたちとの呼応を希求する心ゆえである。》(緒言)
戦争、パンデミック、気候変動、テクノロジーの暴走といった災禍に染められた現代社会へのエッセンシャルな批評から出発しつつ、荒れ果てた風景の彼方に広がる真の人間性の場を探究しようとした著者の思索のはるかな到達点。狭霧(さぎり)のなかで抵抗の力をためる、日々の心のコミューンへの熱きいざないの書。

感想・レビュー・書評

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  •  文化人類学の、若い人、と思っていたら、実はほとんど同い年でビックリしました。「霧のコミューン」というテーゼ、かっこいいなあとか思ってしまって、読む本が増えて大変です。
     本書についてのあれこれはアホブログに書きました。あしからず(笑)。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202501310000/

  • なかなか高度な内容でどれほど咀嚼できたのか。
    コロナ化のマスクから生成AIまで話題は広く、時に抽象的で霧の中、いや雲を掴むような感覚でもある。
    この本を紹介してくれたのはGemini...

    2026.6.28

  • ふむ

  • ところどころ難しすぎたが、以下良かったところは学びがとても深かったので星は4にした。
    星5「霧のコミューン」 読み直したい

    星4「霧の中のルイーズ・グリュック」「白い日と歴史」

    前がき
    今強く思うことがある。私たちの生を霧のような揺らぎある「生成」の相から見たとき、「幸福」「不幸」というものを客観的・一義的に想像し、そこから一律に出来事を測って一喜一憂する惰性から離れたい、と。

    p26
    本当の「禁忌」とは単なる自由の制限ではなく、自由を突き抜けた式にある倫理的な刃の印。「してはいけない」という禁止の対極にある、自由であることの原基。禁忌の聖性を忘れ、禁止にだけによって秩序を保とうとする浅はかさ。

    p66
    ヴェンヤミン 歴史の概念について

    95
    文学なる実践は、その孤独の冒険の中からしか生まれ得ないことを、ジュネと共に確信した。(ゴイティソーロ)

    168
    Climateは語源的にギリシアのKlima、すなわち「傾き」のこと。
    MicroーClimate 微小な傾きー少しだけ個性を持って「傾いて」いることで、他とは異なった自己の特徴を慎ましやかに主張しているようで、美しい表現だと思った

    217
    ルイーズ・グリュック
    私たちの子供時代に、世界を一度だけ見る。
    その後の全ては記憶だ。

    271
    芸術家の創造とは、強い美学的信念によって現世的な破局と死の観念を乗り越えようとする壮絶な試みなのである。

    297
    https://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20230707_2.html

     生における「啓示的な瞬間」とは、何気なく、不意に訪れる。壁の建設や書物の焼却というような顕示的な行為の対極にあって、ふとした音楽や、夕暮れや、顔のなかに、何かが啓示され発見される瞬間が私たちを待っている。始皇帝ですら、そのモニュメンタルな所業の陰で、そうした啓示的瞬間を予感していたはずなのである。ボルヘスの、そして私たちの文学も哲学も、この人間的なぎりぎりの希望に根を持っている。
     だがいま、始皇帝の物語の寓意は、おそらくより表層的に解釈されてしまうだろう。壁の建設による他者の排除と自己の不死幻想への封じ込め。現在の権威を正当化するための過去の抹消による知の歴史の全面的破壊。始皇帝の所業の見かけをこうまとめたとき、その欲望と行動とが、いまの私たちが直面する社会の支配的な趨勢とみごとに重なることを誰もが直観してしまうからである。
     国益だけの一国行動主義や排外的な権威主義体制が、知らぬまに自己封鎖と、過去から学びつづけることを軽視する反知性主義を呼びだすというだけではない。いまや、デジタルネットワークによって破壊された人間の厚みある公共圏にかわって、自分だけの情報・データ宇宙に封じ込められたフィルターバブルのなかで疑似的自己再生産の無限ループに落ち込んだ人類がいる。現実においても、またデジタル空間においても、建設と破壊、生成と滅却がたえず生起し、その惰性的な状況を、誰ももう人間的な宿命として深く受けとめることはない。永遠や不死の不可能性という真理は、テクノクラシーと資本主義によって、無自覚に忘却されてしまったのである。この状況をもしボルヘスが知ったら、彼の描いた始皇帝の深みある教訓が徒夢となったことを嘆くだろうか。


    299
    チョムスキーによれば、現在の生成AIの機械学習モデルは、言語と知性に対する本質的に誤った理解によって成り立っている。そのようなプログラムの蔓延んは、結果的に人間社会の倫理基準を格下げすることにつながる。逆に生成AIの文章が高度な知性の生産物として受け入れられてしまうこと自体、私たちの言語がいかに貧困化しているかという照明とも言える。
    あらゆるデータを飲み尽くし、それをもとに最もらしい回答を推定して吐き出すというメカニズムと違い、人間の頭脳は極めて少ない情報からでも有効な思考や推論を導きうる卓越した、エレガントなシステムである。人間の知性はデータ相互間の見かけの粗野な相関性に依存することなく、驚くべき創造性と批判性を発揮することができるのである。

    何が事実かそうでないか、を予測するだけでなく、何が事実でないか、そして何が事実ではあり得ないかを語れる能力が欠けている。言語的了解とはそうした要素によって生まれるのであり、これこそが真の知性の証となる。

    例えば将棋
    AIは可能な全ての差し手と展開を読むことができる
    人は読まなくても良い手を「問題」から除外する推論的・美学的直感によって支えられてきた。この何が問題ではないかを直感的に見極める能力こそ知性の最も重要な特徴だという。

    要するに、Chatgptはその本姓として創造性と抑制とのバランスをとることができない。それらはOver-generate(真実と虚偽との両方を生み出し、倫理的決定と非倫理的決定を共に支持する)するかUnder-generate(いかなる決定にも責任を持たず、結果に対して無関心を示す)するだけである。その非道徳性、言語的無能力を考慮すると、私たちは笑うか泣くかしかない。

    310
    見えないこと、形を持たないこと、不透明であること、曖昧であること。これらは全て現代監視社会が効率性や合理性の名の下に否定し去ろうとしている価値である。とすれば、現代は「霧」を追放しようとする社会に他ならない。
    そんな社会では霧の中にあることは昆明の比喩となる。
    しかし、50代半ばで失明したボルヘスはいう。盲人だけが知る薄明があると。その可能性の霧に包まれた精神の視界は、彼の感覚を刺激し、書物を重みによって読むことさえ可能にさせた。
    だとすれば、霧は、本当に厄介者なのだろうか?
    そうではない、と霧の向こうから声が響く。
    (中略ー霧があったから感覚が研ぎ澄まされ、細心に感じようとした経験を語る)
    霧の中で、自分の感覚がこれほ鋭敏に働くものであることを、和t祭は驚きと共に学んだ。

    中略
    陰翳のある霧の世界はその不透明さと高雅な秘密によって、未来への深淵な希望を隠し持っている。

    314
    宮沢賢治 マグノリアの木
    「あなたですか、さっきから霧の中でお歌ひになった方は」
    「ええ、私です。又あなたです。なぜなら私といふものも又あなたが感じているのですから。」

    こんな文章生成AIには絶対にかけないと思った。

    自他の相互浸透と合一の夢。私であなたという二者択一的な思考においては究極の背理を、霧を媒介にして、より高次の
    人間的コミューンの希望として提示してみせた。
    ⭐️言語的知性の霧の背後には、必ずその生成の繊細な運動を担った生身の人間たちがいる。しかもその知性は、一人の人間による排他的な生成物ではあり得ず、常に人間が思考し続け、想像し続けてきた長い歴史の「共同生」を反映している。その共同性の実在を歴史的に想像することは「歴史」を生きたことのないA Iにも成し得ない、人間だけに可能な営為に他ならない。

    318も良い

    320
    ソローはここで人間の最高知を、知識ではなく「知性への共感」」であると断言する。
    知識の不完全さをよく知ることにより、知識の無謬性という神話から離れること。それによって、自然の道理が示す謎と脅威、すなわち見えないものがあることを示す霧の存在に意識を傾けること。その慎ましい知性が働いた時、知識を覆い隠す霧こそ、逆に人間にとって希望になる。露呈的な知識欲こそ、知性の霧への裏切りである。ソローはいう。自ら従うための法則を求めるというような卑屈な習慣を捨てよ、と。知とは束縛するものではなく、解放するものである。それが了解された時、人間は自分が「霧の子供たち」であることを知る。

    324
    最後に指摘しておかなければならない。
    私たちの社会そのものが、今、一人ひとりの思想的・倫理的立脚点や感情の示す独自の揺らぎを捨てて、自己保存のために名ばかりの「中立」に固執する時、この中立という標語化された価値こそ、思考停止と知性の放棄によって訪れる現代の最も凡庸な悪になりかねないと。
    霧のコミューンでは、生成のみが生み出す生成を深く受け止め、霧のような絶えざる可変的な運動の豊かさを信じ、隠されていることによって与えられる予兆を鋭く透視し、真理の重さをそれが見えないままに想像し、存在の持つ震える輪郭と整冽な感触とを愛でる、真に淫離的で審美的な身体と意識が息づいている。

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著者プロフィール

文化人類学者・批評家。東京外国語大学名誉教授。メキシコ、環カリブ海、米墨国境地帯、ブラジルなどでフィールドワークを重ねる。2002年より遊動的な野外学舎〈奄美自由大学〉を主宰。著書に『ここではない場所』『ミニマ・グラシア』『薄墨色の文法』『ジェロニモたちの方舟』(以上、岩波書店)、『レヴィ=ストロース 夜と音楽』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(讀売文学賞受賞)『霧のコミューン』(以上、みすず書房)、『宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮選書)、『原写真論』(赤々舎)、『ぼくの昆虫学の先生たちへ』(筑摩選書)、『言葉以前の哲学 戸井田道三論』(新泉社)、『仮面考』(亜紀書房)、『私という群島』(平凡社ライブラリー)など多数。主著『クレオール主義』『群島-世界論』を含む著作集『今福龍太コレクション《パルティータ》』(全五巻、水声社)が2018年に完結。

「2026年 『〈見ること〉の未来 ゴヤの眼の傍らで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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