- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622097181
作品紹介・あらすじ
アフガニスタン紛争地に従軍して両脚を失った作家が、義肢からBMIまで、障害の支援技術(アシスティブ・テクノロジー)をテーマに綴った出色のエッセイ。身体と機器の接合が自己の感覚、生活の質、障害のスティグマをいかに劇的に変えるか。機器がユーザーにもたらす希望や疑念、そして接合の代償とは──。心身の経験をさまざまな当事者の目線に沿って見つめる。
脚を失って知った、義足の賢さと面倒くささ、日常の痛み、ただれや摩擦の飼いならし方。以前、兵士だった頃は強さこそが価値とされた(「勝てないことの結果が二位であり、二位が死であるとき、弱さの入る余地はほとんどない」)。そんな著者にとってあらたな生活は、心にくすぶるエイブリズムとの格闘でもある。「障害者」という呼称も腑に落ちない著者は、機械との接合の前線を拓いている人々の話を聞きに行く。チタン‐骨結合を用いる義足の早期導入者やその開発者たち、支援機器の研究者たち、個性としての義肢の可能性を拡げるアートプロジェクト……。
その情景を曇りのない目で評価しようとする書き手の意志が、湿度を削ぎ落した語りを通して伝わってくる。義肢の歴史や、障害者の権利をめぐる闘いの足跡にも行き当たりながら、アシスティブ・テクノロジーと人間の関係の現在を描き出す。
感想・レビュー・書評
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作者はアフガン戦争に英国の兵士として参加し、両足を失った。初めて義足をつける事になって知った、義肢や、義手と言った身体の欠損を補う機器の世界。
しかし、義肢や義手とは特別なものなのだろうか?
メガネが視力を補う、電卓が計算力を補うことと何が違うのか?
彼は自分自身も含め、そういう機器を使う人たちを「ハイブリッド・ヒューマン」と呼ぶことにした。
彼さえも知らなかったハイブリッド・ヒューマンたちと、彼らが使う機器、それに対する彼らの思いや、それらを制作する人たちを追いかけたノンフィクション。
補足
義手や義足はそれ自体の重みとバランスを利用したシンプルだが、精巧な計算に基づいたものから、内部にジャイロスコープを内蔵し、検知した傾きを分析して人がどのように動こうとしているのかを推測してモーターを駆動するものなど、進化がすごい。
また義手、義足の類で問題となるのは身体との結合部。通常はシリコン?のような軟素材が義足と、自分の切断した足の断端にある。当然ながらこの部分は人それぞれ、自分の足の切断部分の形に合わせて作るが、これがずれやすかったり、摩擦で皮膚が傷ついたりするらしい。
その問題を解決するために最近は義足を直接足の断端部分に接合する(骨にビスで止めるようなイメージ)技術もあるという。接合部分は筋肉と義手が直接接合されているので、傷口からの感染などのリスクもあると思われるが、一体感はあるのだろう。筆者はその方法は取っていないが、義足の進化として驚きの内容だった。 -
著者はアフガニスタンで両脚を失い、義肢を着けて日常生活をおくられている。
特殊な事例であるが、自分自身だって眼鏡がなければ支障があるし、スマホ、PCがなければできることが一気に限られてしまう。そう考えると、著者と自分自身の違いはなんだろう。
著者は他人から好奇の目で見られたり、蔑まされたりすることがあるというが、眼鏡をかけているだけの自分には、さすがにそんな経験はない。
本書でエイブリズム(非障害者優先主義)という言葉を初めて知った。しかし、言葉を知らないだけで、世の中の仕組みは非障害者にとって便利に作られ、それが当たり前に感じるほど自分自身もバイアスにとらわれていた。
著者が取材した障害のサポート機材の進化は著しく、それによって障害者の方の日常がサポートされるのは素晴らしいこと。でも、それと同じように私たちの心持ちもバージョンアップしないといけないんだな。 -
「障害者」の定義は「生活に制限を受ける者」である。戦争で両脚を失った著者だからこそ語れる該当者の苦悩や取り巻く状況、心理的機微の変化を描くエッセイ。比較的乾いた文章で淡々と行動や事象が語られるが、時折挟まれる著者の切断当時の状況や置かれた現状に心のうちの吐露は生々しい。
現代のアシスティブ・テクノロジーを以ってすると非障害者の能力さえ凌駕する可能性を秘めている一方、人間的な部分に関する喪失と再生の物語は、当事者である著者だからこそ見える景色といえよう。 -
【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/720180