李方子 一韓国人として悔いなく (ミネルヴァ日本評伝選)

  • ミネルヴァ書房 (2007年9月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784623049776

感想・レビュー・書評

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  • スラム生まれスラム育ちのゴミのせいかやんごとなき人への憧れ(コンプレックス)が人一倍強く、皇室華族モノが好きなワタシ。
    中でも「女官」と「梨本宮伊都子の日記」が特に好きなんですが、梨本宮の長女、方子について読まないとねと思いながらも図書館サイトのカートに入れたまま放置してた本をようやく借りてきました。

    著者はお馴染みの小田部っち。皇室ものといえばこの人ですよね。

    4章構成 になってまして
    1)梨本宮方子の日々
    2)李王族の一員
    3)動乱の時代 
    4)流転
    です。
    1章から3章のあらすじは梨本宮伊都子の日記などでも読んだことのあるもの。4章は敗戦後の流転人生で今回初めて知ったことも多かったです。

    1章
    病名は全くわからないが方子が何かを診察されていたことの表現がある。後の昭和天皇お妃選定において良子に遅れをとった理由のひとつかも知れないし、「石女」との噂を立てられた根拠のない元ネタかも知れない。
    まぁお妃候補に関していえば、久邇宮のプッシュが大きかったことと梨本宮の兄への遠慮、それよりもなお「お妃候補に兄や弟がいるか」(母親が男子を産んでいるかどうか)が条件だったのでは?という気も。
    結婚決定したあとの法整備のゴタゴタ。
    法律も何もかも不十分なまま突貫工事の近代化の綻びがこんなところにも。

    2章
    朝鮮王朝に対する韓国人の複雑な心境などの説明もわかりやすい。人質として幼くして日本に連れこられた旦那のためにハングルを学びチマチョゴリを着る方子がいじらしい。
    結婚も全てが日本式に挙げられたものの、姓は「李」とした。ただしこれも苗字を結婚後も維持する朝鮮からすると「結婚して一つの姓にする」ということ自体が日本式。

    3章
    李垠が朝鮮で婚約していた女性、甲完。婚約破棄及び婚約指輪の返還の際は「日本の強圧のため何の理由もなく強奪していく」という一筆との交換で泣く泣く同意。ところがその一筆も行方不明、かつ「即座に他家に嫁がせなければ父娘重罪に問われてもよい」との誓約書サインさせられる。娘の父は「こんなんだから我が国は滅亡するんだ」と火病で寝つきそのまま死亡。(但し最後に投薬をした朝鮮医師は数々の王家の人々の毒殺疑惑に関わっている人)
    方子は甲完をして「内定の意味も分からず無邪気な遊び相手だったはかないご縁だったにもかかわらず、朝鮮の慣わしでは一旦許婚となったからには一生独身でなければならないとのこと。花の盛りをむなしくお過ごしになっているはず」と案じ、
    甲完は方子をして「方子女王も個人的には幸福だったかも知れないが国家に利用されたことでは不幸に違いない。皇太子とはいえ相手が弱小国ではそれほど満足するものでも誇り高き婚姻でもなかったはず」としている。
    王家とはいえ方子の嫁ぎ先は占領国。関東大震災などではあからさまな朝鮮人差別が横行する。占領国の同化のために犠牲となった方子ではあるが、李王一族が莫大な資産(敗戦前の皇族費は東久邇11万、梨本宮3.8万、李120万と突出。天皇家に次ぐ金額だった。さらに本国における資産と仕送り。)を持っていたことへの嫉妬も相まって、玉虫色の差別があったよう。

    4章
    敗戦後の李垠が官房副長官に「私の地位はどうなりますか」「どうかこれまで通りの待遇をしてくれませんか」と発言。これを受けて李垠の秘書であった趙は怒りと悲しさで中座。後にマッカーサーに対峙した昭和天皇との対比をして「李王のこの未練が終に国民から捨てられた」「ご自身で口にしてはならぬことを私の面前で言ってしまった」とし、紀尾井町邸宅は参議院議長官舎として間貸ししていたのを韓国が「これは李の持ち物だから韓国なものだ」として大使館利用を画策、裁判所が李の所有権を認めたあとも端金でのリースを強要。最終的には40万ドルでの購入となったが支払われず、旧皇族邸に次々とホテルを建設していた堤に売却。売却は1億数千万円だったものの高利貸しに騙されて手元は4000万。借金返済して500万で田園調布に小さな家を買う。
    これも趙は「もっとまともな滅び方をしてほしいのがせめてもの願い」と厳しい。
    李垠の兄の子の嫁(伊都子の妹の娘、方子の従姉妹)である松平佳子のがむしゃらな感じが酒井美意子を思い出させる。

    あとがきには「ある意味昭和天皇の分身。敗戦によって王族妃としての名誉と地位を失うがそれは昭和天皇の分身としての痛み。昭和天皇が負うべき敗戦と韓国支配の責任が方子の肩にのしかかったのだ。」とある。まさにそうね。

    確かに彼女は皇族の姫に生まれ、朝鮮との国際結婚を義務づけられたとはいえ李垠との結婚前の期間にお互いを少しずつ知る時間もありまた仲も良く、結果大資産家の李王家に嫁ぎながらも朝鮮に渡ることなく日本で皇族に準ずる扱いを受けるというこの世の春を謳歌してたわけだけど、敗戦後の皇籍離脱や財産没収だけでも大変なところ、老年の26年間(63歳から89歳)を一韓国人として慈善事業に全てを捧げるというのが痛ましい。
    元秘書の趙は彼らの態度を苦々しく思っていたようだけど、仕方ないのでは。

    最後に彼女の息子。
    1996年に全州李氏大同宗約院の名誉総裁となり韓国に永久帰国。ただ日本で過ごすことが増え祭祀で戻るだけ。同族会は月100万(多い)送金してたが本人帰ってこないので2005年に送金打ち切り。
    知人援助で旧李王邸(旧館)の見える赤プリ新館に泊まるようになり、19階の部屋で死んでいたのを発見されるのは1ヶ月後。
    ちょっと物語の終わり方としては出来すぎていて頭のいい中学生が書いたシナリオみたいだけど、これで方子の子供は全滅。孫なし。いやー子孫を残すってのは奇跡ですねぇ。

    発見者は従兄弟の梨本さんとなってるがはて。
    従兄弟?ですって?
    まず方子の子供にとって従兄弟となり得るのはたった1人の妹、広橋伯爵家に嫁いだ規子の子だけ。
    梨本を養子に入って継いだのは方子の妹、規子の三男のはずだが伊都子との折り合い悪く離縁してたから。。とウィキで調べる。
    あー。離縁の後、多嘉王の三男(龍田)を夫婦揃って養子に。なるほど。この人は梨本宮からすれば弟の息子(甥)、香淳皇后の兄の娘(姪)夫婦なのね。血筋はバッチリ。ただ。。。。龍田には息子も娘もいるのに龍田を名乗っていて梨本は潰えたのね。何故夫婦で養子にしたのか。龍田も伯爵ではあるけど旧皇族の家を継いだ方が良さそうだけどね。俺ならそっち選ぶ。

    おもろかったです。
    伊都子の日記や新聞では李王家に対して皇族として、朝鮮王家として敬意を持って接しているように見えたので、「占領国なのに?」となんだか良く噛み砕くべきものを丸呑みしたような気持ち悪さがあったのですが、今回朝鮮王家に対する様々な思惑(所詮占領国、人質、日本への同化戦略、韓国人民のコントロール、独立運動牽制、資産、とはいえ王家、皇族に準じる、当の本人は11歳で来日してるのですっかり日本)に少しずつ触れてほんの少しイメージが鮮明になりました。
    冒頭写真も梨本宮華族写真や結婚写真は有名なのでうちにもありますが(なぜ。でもある。皇族写真集。)方子ソロ写真初めて見た。お雛様のような上品な顔立ちとパーツがいい。
    声はどんな感じだったのかなぁ。

  • 日本が韓国を植民地化した大正の頃、和合のための政略結婚で李朝最後の皇太子だった李垠と結婚した梨本宮方子さまの評伝。方子さまといえば本書の副題にもあるように、戦後韓国へ渡り、現地の障害者福祉や児童福祉に専心した人物という何となくの知識だけをもっていたんだけど、そのへんをもっと詳しく知りたいと思ったから読んでみた。
    本書はどちらかというと人生後半の福祉活動のことよりも、いわゆる戦前・戦中までのことに紙幅が割かれている感じ。皇族として何不自由なく育ったお嬢様なわけだけど、自分の意思とは関係のない縁談を、両国の橋渡し役になろうと受け入れるあたりにも、常人を超越した徳のありようを感じる。結婚後も仲むつまじい結婚生活ではあったようだが、それはおおよその話で、両国の間にはさまれたり時代に翻弄されたりと並大抵でない経験をしたのだと思う。それらもすべて覚悟のままに受けとめているかのような生き方は、読んでいても気持ちがいい。「やんごとなき」方々って常人離れしているだけに、人生との向き合い方も一本筋が通っている気がする。一韓国人となって韓国の福祉向上に邁進し、韓国で生涯を終えた方子さまなど、まさしく好例だ。
    ともあれ、福祉活動のことをもっと詳しく書いてほしかった。

  • [ 内容 ]
    李王家最後の皇太子妃、日韓の狭間に揺れた流転の生涯。

    [ 目次 ]
    第1章 梨本宮方子の日々(方子の生まれた年;世界大国への道;学習院女学部時代;皇太子妃候補)
    第2章 李王族の一員に(婚約発表;皇室典範増補;結婚の延期;婚儀)
    第3章 動乱の時代(光と闇;晋の夭折;関東大震災;方子の妹と兄)
    第4章 流転(王族妃のつとめ;王公族廃止;李承晩から朴正煕へ;福祉事業へ)

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著者プロフィール

1952年東京都生まれ。静岡福祉大学名誉教授。立教大大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。国立国会図書館海外事情調査課非常勤職員、静岡福祉大社会福祉学部教授などを経て、現職。専門は日本近現代史。主な著書に『皇族 天皇家の近現代史』(中央公論新社)、『肖像で見る 歴代天皇125代』(角川新書)など多数。

「2019年 『幕末 志士の作法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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