哲学(philosophy)という訳語を作った男。
明治の日本を築いた知識人の一人は、インテリジェントな軍制を作ろうとした。
史実に基づいた詳しい来歴が主だから、少し難しい感じはした。けど、わかってみれば西周はやはりとても重要な人物だとわかる。
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p22 フィロソフィーの訳語
フィロソフィーの訳語は始めから哲学ではなかった。「性理之学」や「希哲学」(賢いことを希い願う学問)だった。
p24 百一新論
哲学の初出は『百一新論』だった。人の道は、伝統的な朱子学的な「教」に通ずるところがあるが、その教も物理現象を踏み外すことのない総括的な「哲学」によってこそ、一つのものになりうる。と説く。
百あるも教一つになるのは、哲学という新しい論理による。ということ。
p31 大政奉還の裏側
西周は徳川慶喜の側近を務めていた。慶喜が大政奉還で薩長に肩透かしを食らわせたその日、西周は慶喜に次なる戦略の相談を受けている。イギリスの議会制度のしくみやフランスのナポレオン三世への書簡の出し方など、政権を失ったことなどどこ吹く風であったようである。
p92 政教分離
明治新政府では維新の時の損攘夷論の後ろ盾になった平田国学が優勢になり、当初神道が政府に保護された。しかし、西周は明六雑誌にて「教門論」を掲載し政教分離を訴えた。政は現世の安寧を図るものであり、教は来世の幸福を願うものである。二つを統一して考えるべきではない。二つを同じものと考えるのは、文明の遅れた国だけである。日本は文明開化したのではないか。
p122 ソサエティ=社交
西周はソサエティを社交と訳した。社会は「社」…村落の祭礼の場「会」…集まる人々、のことである。
西周はソサエティにはもっと「相互扶助」の可能性を感じていたようだ。
p157 異議申し立て権
西周は軍隊における従命法に並び、上官の不当な命令には下官が異議を申し立てる権利を持つことを説いている。これは国際法の知識を持つ西周だから持てた先見性であろう。
この件は、西南戦争後の竹橋事件(戦後の恩賞減への不信任を端に発する)が影響している。
従命法と異議申し立て権はダブルスタンダードになるが、統帥権を誰が持つのかということで落着させるべきとした。それがのちの世に大きな波紋を呼ぶことになるが…。
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難しかったが、勉強になった。