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本 ・本 (260ページ) / ISBN・EAN: 9784623059331
感想・レビュー・書評
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「こども」にかかわるものとして
身につまされるお話がたくさん…。
『大人』として、子どもに関わる人は読むといい詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前半は子供たちの遊びについて、かくれんぼやブランコなどを例にあげながら、数十年前と現代の子供たちの遊びに対する考え方や遊び方の違いと、その違いの意味とそれによる問題点の提起、簡単な対処法など。
後半は著者が長年行ってきた、子供と親の触れ合い講座や、遊びのキャンプについて、プログラムの流れ、趣旨、そしてその時の様子について。
前半はデータも多いが、著者の主張が強い所もあり、評価は分かれる。常時オンラインの環境で考えるとまた違うかもしれない。
キャンプなどは部分的に極論は否めないが、経験としては良い試み。 -
社会学の観点でとても興味深く読んだ。
・公共的仲間
・私的仲間
・遊び道具と身体の同化
・テレビゲームとシンクロ(同調)
・「同じ」平等主義
終わり、キャンプの事例報告について、感想。
「教育」は、本来そなわっていたものを奪われたため、再び取り戻す機会を得る場のことをいうのだと思う。
「教育の質」がそこかしこでとりあげられるのはなぜか。
教育の成果のみに目が奪われ、それ以前に、こどもが大人の価値基準によって本来の気質を抑圧され、表現する機会を奪われたことについて問われていないままだ。そのため、ありとあらゆる教育方法論がもてはやされている。「こどもを良い教育で育てるべき」だと。 -
いわゆる「なぜ○○はXXなのか」的ウケを狙った△△新書の類と捉え、まえがきとあとがきを読んだだけである。
(半分までななめ読みしたが多分そうみたいだった…。ただ決して悪く言うつもりはない。まえがきにかかれとことを逐一研究で実証するそれだけの内容である。)
なので、それだけでの感想なり…
子供は大人をよく観察している。
子供だけがかんくれんぼができないのではなく、今の大人もかくれんぼはできない。
世間体、効率性、時間的空間的余裕、遊戯の多様化、いろんな要素が絡まっているが、大人は「○○ごっこ」の要素を悉く社会から排除してきた。
子供はその状況を見て、大人の素振りを真似ているだけである。
未だ僕らが子供の頃(昭和44年生れ)には野原で野球をしていると、仕事が早く終わったのか仕事にあぶれたのか、見知らぬオッサンが突然現れてノックや審判をしてくれたりした。しかしそんな風景は現在では多分有り得ない。
否、今でもそんな風にして遊びたいと思っているオッサンはいるかもしれない。
しかしその類のオッサンは、子供たちの遊びの輪からは徹底的に排除されている。
つまり、子供がかくれんぼできなくなったのは大人がその環境を排除したからである。
ゆえに…
先ずは大人がスマホ中毒になっている現状を改めるべし。
そして人生はソロバンではじくことはできないと悟るべし。
もちろん、良い学校とか良い会社なんて定義など虚空に過ぎない。
その辺を子供にしっかり伝達できるかに尽きる。
著者も冒頭で使い古された言葉と前置きした上で言っているが「大人が変われば子供は変わる」のである。
ただそれだけなのに「教育問題」として頭の固くなった大人が机上で議論し合っても余り意味はないと私は思う。 -
受講生(RD)
いまの子どもたちは、なぜかかくれんぼができない。
その理由がこの本に書いてある。
おもしろいのでぜひ読んでください。 -
実際に子どもに運動を指導する現場にいて「なんでこんなに体の使い方を知らないんだろう?」と疑問に思うこと多かったため、自身の経験と照らし合わせていろいろ考えさせられた。
「事例のソースがあまりに極端過ぎるのでは?」という例がいくつかあったことは否めないが、こういう論を展開する場合、理論を並べて論じるより、著者のように経験談からの洞察論の方が、意外と的を射た結論が出るような気がする。
子どもの運動離れ、遊び離れの原因を子どもに一方的になすりつけるのではなく、大人からのアプローチの重要性もいま一度、再認識しなければならないだろう。 -
子どもたちの遊び方に変化があるという。フェイントしてみる、とか、つかまった子を助けに行く、とか、遊びの中での敵味方の中でスキルアップする技術などは、振り返ってみれば、身体的気持的に大事なこと。大人になって仕事の方法を見て、「あの人、絶対子どもの頃、仲間との遊びでつまんない奴って言われてたよね」という人も、いることに、思い当たる。
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2011.2.28
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