理想の図書館とは何か: 知の公共性をめぐって

著者 :
  • ミネルヴァ書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623060979

作品紹介・あらすじ

高度情報社会となった今日、図書館の存在価値に改めて注目が集まっている。従来の図書館は貸出サービスに偏重してきたが、近年、文化交流拠点、情報発信拠点、アーカイブ、電子図書館といった新たな役割を重視した取り組みがなされている。本書では、各地の先端的事例を紹介しつつ、図書館は情報ストックをもとにしたサービスを展開し、知の大海に乗り出すためのツールとなるべきとの位置づけを行う。

感想・レビュー・書評

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  • 根本彰著『理想の図書館とは何か:知の公共性をめぐって』(ミネルヴァ書房)
    2011.12.20発行

    2022.12.25読了
     日本では、図書館とは、資料を右から左に移すだけの仕事と思われている節があるが、海外ではより高度で専門的なサービスを提供する機関として認知されている。
     本書は、図書館司書が誰でもできる仕事と思われるに至った原因と、現に図書館の仕事が誰でもできるようなものなってしまった原因を解き明かすとともに、図書館が専門性を取り戻すための方策を提案している。
     すなわち、情報専門職として「レファレンスサービス」「ビジネス支援」「行政支援」「学校支援」「地域資料サービス」を強化し、従量制コスト構造になっている部分では有料制を含めた検討を行うというものである。
     言い換えれば、図書館が積極的に利用者に関わっていくというものだが、その関与の方法は特定の価値観や特定の市民像を押し付けるものであってはならないだろう。そうしないと、高山正也氏のような国粋主義思想が前面に出てくることになる。このバランスをどう取っていくかが課題ではないだろうか。

    【要旨】
    第1章 図書館を考えるための枠組み
     図書館は開放型ネットワークである。知を生産する個人が知を社会化し、それを使用する人がそれを自由に入手できることのできる開放型ネットワーク装置として近代社会に組み込まれたものである。しかし、日本は自らの社会組織に極めて閉鎖的な知識情報管理の仕組みを築いてきた。
     米国ではたとえ戦争資料でも、それが終われば実証的な歴史学の対象となることが想定され、合理的な知識情報管理システムが機能している。
     日本の学校図書館は、米国から導入されたものだが、うまく機能していない。系統的学習が中心で探究型学習が少なく、学校図書館が有効活用されていない。
     日本人は情報や知識の習得を人間に依存する知識コミュニケーションである。一方、欧米の知識情報管理の前提は、共通の知識情報空間が存在し、何らかの知識活動をする人はそこから何かを取り出してそこに何かを加えるという発想である。
     日本人はそもそも循環的な時間意識を持っているため、循環的な現在から離れて、歴史的社会的に自己省察することが苦手である。そのため、時間軸に沿った知識や情報の蓄積が行われにくい文化なのである。

    第2章 図書館、知の大海に乗り出すためのツール
     図書館はかつての「学習スペース」から「資料利用のスペース」に変化してきている。しかし、市民が図書館に抱くイメージは実はあまり変化していない。現在でも学習スペースのニーズは強い。学習スペースの要求は明治以来の日本人の典型的な学習態度である勉強スタイルと分かち難く結びついている。それに対して、「市民の図書館」は、非日常性の重苦しい読書から脱して、普通の市民の日常から生じる娯楽や生活上のニーズに応える本の提供に徹し、本という消費財を消費する欲望を満たすための公共機関として再出発した。
     日本では論語や古典を素読し繰り返し読むことが求められていた。また、日本は江戸時代から民間の出版流通システムが存在していた。その結果、図書館が十分に発達しなかった。1970年以降の公共図書館の発展は、出版市場を補完するというより、出版市場に依存する形であった。
     かつての日本の知識人は、本は自分で買って読むことで、書物に含まれる内容を血肉化することができると説いていたが、この考え方は図書館と相容れないものである。
     図書館が採用した消費主義への対応は、図書館自体を教養主義から遠ざける方向に作用した。「無料貸本屋」という批判は、図書館がもつ市場依存の公共機関という矛盾した性格を言い当てている。しかし、貸出数に占めるベストセラー本の割合は1%以下でしかなく、むしろ、市民のニーズに対応して極めて多様な本が利用されている。図書館が学習スペースとして好まれるのも、未知の資料群がそこにあることが多くの人を引き寄せる力になっているからではないだろうか。
     特定の本を繰り返し読むという読書法も大切だが、多様な知の世界に意識的に分け入ることも大切である。これまで図書館は市場的なニーズへの対応ばかりが注目され、公共性を実現する様々な機能があることが見落とされてきた。個人では所有できない情報を蓄える図書館という公共的な情報システムは、今最も求められている公共機関である。

    第3章 交流の場、図書館ー日本での可能性
     六本木に会員制図書館が誕生した。英米の都市公共図書館には、前身にこうした有料の会員制図書館を待つ例が少なくない。その特徴は、中上流階級の社交の場、クラブとしての機能であった。
     しかし、六本木ライブラリーの実態はビジネスパーソンの私的な知的空間という感じである。要するに都心部に自分だけの勉強部屋が欲しいという要望に応えるためにできたもので、会員同士の交流も資料の提供もほとんどない。
     日本の図書館は形式的には明治以来つくられてきたが、社会に不可欠なものとして認知されてこなかった。その理由としては、一冊の本を繰り返し読むことが奨励され、図書館のような共同的な書物の利用が軽視されてきたことが挙げられる。
     戦後、米国型の図書館政策が採用されたが、55年体制や占領政策の転換などで日本ではうまく浸透しなかった。1970年代以降は、英国をモデルにした貸出サービスが広く普及した。当初の考え方では、図書館の定着を見た後で調査研究的なサービスに移行することになっていたが、そのまま貸出中心のサービスが展開されていった。図書館の文化促進的な面が薄れ、消費主義な転落していった。有名人作家による無料貸本屋批判も起こり、説明を要する立場となった。この場合、個々の市民は適切な情報環境を必要とするが、自分で全部を購入してまかなうことには限界があるので、図書館のような公共的な仕組みをつくるのだと説明をするのが一般的だが、ベストセラーの大量購入の説明としては苦しい。
     貸出は図書館のもつ文化交流機能の一部にすぎないが、確かに基本的な文化交流の機能がおざなりになっていた面がある。今こそ、作家や出版社、地元の他機関と交流を持ち、情報や文化の発信者と市民を結びつけるコーディネーターとしての役割が求められているのである。

    第4章 「場所としての図書館」をめぐる議論
     「場所としての図書館」という用語は、the library as place の訳語である。一方、「場」という言葉は、学術用語としては、field の訳語とされているので、「場としての図書館」という訳語には賛成できない。あくまでも設置される場所や建設される建物を中心にしてとらえ直すことに意義がある。
     場所としての図書館と電子図書館とは、単にメディア•テクノロジーの違いがあるだけでなく、組織モデル、政治哲学や社会構成理論でも基本的に異なっているものである。
     日本では、場所としての図書館を論じることはあまり行われていない。それでも、学童保育や青少年問題、高齢者福祉の観点から、居場所としての図書館論が徐々に広がり始めている。例えば「私の居場所 自殺したくなったら、図書館に行こう」などの論考がある。

    第5章 図書館における情報通信技術の活用
     現在の技術では電子書籍は紙の本より優位な立場に立てないだろう。
     このことを確認した上で、図書館は最新の情報通信テクノロジーが集まる場所となっている。その背景には、図書館が各種情報コンテンツのオープンアクセスの場としての役割を求められているからである。
     情報通信技術が図書館に導入された意義は、単に従来型のサービスの効率化が果たされたことにあるだけでなく、むしろより高度なサービスを展開することが可能になったことにある。例えば、横断検索や目次情報などである。そのほかインターネット環境の開放やウェブサイトでの情報発信、デジタルレファレンス、商用データベースや独自データベースの提供がある。

    第6章 公立図書館について考えるーハコか、働きか
     フローを担う書店とストックを担う図書館は役割が違う。公共図書館には、市場原理がもたらす消費的な原理とは距離を置いた文化的な目的に基づいて経営を行うことが要求される。そこには明確な文化的目的意識が必要である。
     日本の図書館は、1970年代以降、教養主義・エリート主義から大衆化路線へ転換し成功したと言われている。しかし、重要なことは教養主義か大衆化路線かの二者択一ではなく、公的なアクセスを保障することではないか。
     行政はハコをつくりそれを管理するだけで、中身は市民の自由な利用に委ねるのが民主的な地方行政であるという考え方があるが、最大公約数的なサービスを提供するのみでは多様化する市民のニーズに対応できないのではないか。
     戦後、文部省はハコものの公民館を中心に社会教育を展開しようとした。米国の指導で専門職的な図書館、博物館が導入されたが、うまく機能していない。なぜなら、日本の行政の体質の中に、施設は管理するだけのもので職員もできるだけ一般行政職員を配置することが望ましいという考え方があるためである。公民館が図書館資料・博物館資料なども含めて一括管理するという考え方はその最たる例であろう。
     図書館が本を借りる場であるという考え方はここ30年で一般に定着した考え方であり、それ以前の図書館は資料閲覧を中心とする考え方だった。1970年刊行の『市民の図書館』を出発点に、中小規模の図書館による貸し出し中心の図書館サービスが展開された。この現象にはいくつかの解釈が可能であるが、日本全体が豊かになってきたことを背景に、市民の書物に対する意識が教養的なものから消費的なものへと変化し、図書館でも出版物の消費ニーズを受け止めて、市民の要求通り資料を提供する方向へ転換したものといえる。
     こうして貸し出し中心の図書館は成功をおさめ、全国各地で図書館が続々と設置されるようになる。市民からの図書館設置の要望も強く、近年ではその集客力を利用した地域の再開発の目玉として位置付ける自治体も増えてきている。
     そのような図書館経営の新しい状況における最大の問題は司書の配置問題である。専門職としての司書を配置している自治体が少ない。貸し出し中心のサービス体制であれば、とくに司書を配置する必要はないと考えられているのだろう。指定管理者制度の導入がさらに追い打ちをかけている。確かに貸し出し中心のサービス体制であれば、この措置によって効率的な図書館経営ができるかもしれない。つまりハコもの管理の延長線上にあるような業務である。しかし、近年はレファレンスサービスや情報発信、データベース構築など情報専門職としての様相を強くしており、指定管理者への移行は望ましいとは言えない状況である。
     いみじくも公共図書館蔵書廃棄事件の最高裁判決が出され、言論出版の自由という最も基本的な人権を保障するための制度的なシステムの一環に公立図書館が位置付けられた。図書館が社会教育機関に位置付けられているのは、個々の蔵書が市民に思想的な影響を与えるからではなく、市民の資料や情報への要求がかなえられ、市民が「主体的に」知るという行為を保証する場であることが結果的に教育的な機能とみなされているからにほかならない。図書館は単なるハコもの扱いでは済ませられないのである。

    第7章 貸出サービス論批判-1970年代以降の公立図書館をどう評価するか
     『市民の図書館』はサービス開拓時においては極めて有効的であったが、一端軌道に乗った後どうするかについて述べていなかった。それにも関わらず過去35年間の間図書館サービスのモデルとして君臨し続けた。貸出は図書館サービスの基本であるが、あくまでサービスの一部にすぎない。貸出を中心とするサービス論は図書館の専門性を見えづらくする難点がある。市民の資料要求にあわせて資料を提供するという従来の「要求論」は、高度経済成長期の消費主義と軸を一つにするものであった。今後の図書館コレクションのあり方は消費主義と一線を画した公共性の原則を図書館側が組み立てた上で決定するべきである。
     貸出サービスは、日本図書館協会、図書館問題研究会、日本図書館研究会によって政策化、理論化されていった。一方で、レファレンスサービスは政策化、理論化が進まなかった。
     1970年代の開拓期に『市民の図書館』が想定していた利用者像は、「図書館を通じて自己の可能性を拡大しようという意識の高い人」であった。しかし、日本が経済成長するにつれて「そうではない人」が増え、貸出サービス論が大衆の欲望を引き受ける装置として機能してしまった。これが昨今のベストセラー複本提供の議論につながっている。
     三団体の機関誌によく出てくる表現で「図書館員の専門性は、利用者を知り、資料を知り、利用者と資料を結びつけることにある」「カウンター業務を行うことにより、司書は利用者に鍛えられ、専門性が高められる」というものがあるが、これは一種の経験知である。図書館員の専門性とは、大学(あるいは大学院)の教育課程で教えることのできる具体的なものでなければならず、経験知ではない。経験知を主張する限り、図書館員の専門性は育たないだろう。その専門性とは、一言でいえば資料や情報を組織化するための一連の知識群である。レファレンスサービスもこうした組織化技術をもとに展開されるサービスである。

    第8章 地域で展開される公立図書館サービスー続・貸出しサービス論批判
     これからの図書館は、地域における様々な情報利用の場に積極的に関与するためのサービスを展開する必要がある。「ビジネス支援」「行政支援」「学校支援」などターゲットを明確にしてサービスを展開するべきである。鍵となるのは「地域資料サービス」である。なぜなら、地域資料を収集する過程で関係機関とのネットワークを構築できるからである。「ビジネス支援」「行政支援」「学校支援」などを行う前提として地域資料サービスというインフラ整備が必要なのである。また、地域資料サービスは、地域的な文化活動のネットワークの構築にも貢献できる。
     量的評価になじみやすい貸出サービスばかりを重視する考え方では民営化論を退けることはできない。直営でしかできないサービスに注力するべきである。そのためにも、地域資料サービス、ビジネス支援、行政支援、学校支援を強化していくべきである。

    第9章 公共図書館学とポスト福祉国家型サービス論
     有川浩著『図書館戦争』は「図書館の自由に関する宣言」をヒントに執筆された作品で、国家的な検閲に対抗する女性図書館員の話である。国家に抵抗する図書館という図式は、ある時期までの図書館員の意識に刷り込まれていた。
     戦後の公共図書館は、図書館法と「図書館の自由に関する宣言」の二つの理念の下で、正規の図書館員が資料提供を行うというモデルを追求してきた。しかし、このモデルは近年限界を迎えている。
     日本と海外の図書館を比較すると、日本は図書館の数は少ないが、一つの図書館の規模が大きく貸し出し利用数が多い。
     日本の図書館関係者の歴史観は、近代が市民の資料要求にこたえる図書館サービスの実践と国の統制や行政的無関心とのせめぎ合いの歴史であり、現代に至って花開いた、というものである。つまり、下からの運動によって図書館が作られたとするマルクス主義的な進歩史観である。この考え方は、当時の図書館づくりの住民運動、図書館職員の労働運動に結びつき、日本共産党や公明党の支持を受けるなど、既成の図書館行政や図書館政策に対抗する「理論」として機能した。
     日本の図書館は海外と違って国の政策に位置付けられないままに量的に発展した。
     国の政策に位置付けられなかった理由を探る上でヒントになるのが森耕一著『図書館の話』である。彼は、欧米の自治意識やプロテスタント的な文化伝統、市民の権利意識に欠けている日本においては、公的基金で一定の生活を保証するための「社会保障」として図書館を位置づけた。
     国家の枠組みに入らなくても図書館が増えていった理由は、貸出サービスが市民に受けたからである。
     そして、その特性は専門職の不在である。
     田村俊作•小川俊彦編著『公共図書館の論点整理』で日本の図書館の現状認識を次のように述べている。すなわち、主流派は貸出しを重視するという意味で「無料貸本屋」を容認し、ビジネス支援サービスのような新しいサービスに対しては警戒的であり、図書館サービスは原則無料であるとし、司書職制度をつくっていこうとし、図書館の委託には原則反対するたちばである。また、ブックデテクション装置は利用者を疑うものであり、自動貸出し機はカウンターでの図書館員と利用者の接点が少なくなるという理由でいずれも置きたくないと考える。自治体の正規職公務員で司書として任命されたものによってカウンターにおいて貸し出し業務を中心に実施されるサービスの重要性を主張する。
     19世紀中頃に英米で生まれた公共図書館は「官による書物の無料公開」に基づく上からの啓蒙というイデオロギーを背景に、公教育システムに組み込まれた生涯学習機関として発展した。しかし、日本においては書物による知の公共性は江戸期以来の間で共有され市場的な構造が作られていたから、公共図書館はむしろ勉学を支援する場所と認識させることが多かった。
     今、公共図書館学に求められているのは新しい経営原理を打ち立てることである。無料制の原則の見直しも含めて考えるときがきている。

    補章 「図書館奉仕」VS「サービス経済」
     西欧の図書館に共通する特徴の一つ目は、都市空間における文化装置として、オープンで利用しやすい「場所としての図書館」を意識していること、二つ目は、音楽や映像などマルチメディア化を志向していること、三つ目はインターネット端末を自由に使えることでネット上で流れるフローの知へのアクセスを提供していること、最後は、図書館員が「専門的な」人的サービスを提供していることである。図書館は冷え込みがちな文化セクターの消費財購入を公共的に支える役割を果たしている。公共貸与権が導入されており、図書館は文化の生産者である著作者に対する公的な助成制度の担当機関になっている。
     日本は貸出利用だけで見れば世界でも遜色のないレベルに達しているが、日本の図書館が世界レベルに達しているという人はほとんどいない。その理由としては、図書館員の専門職的な地位が確立していないこと、図書館サービスの幅が広く資料提供に偏っていることなどが挙げられる。
     例えば「奉仕」という言葉は、公務員は国民の「公僕」であるという考え方に対応しており、それが要求されたものを提供すればよいという考え方を招き、サービスをダイナミックに展開することを妨げてきたのではないだろうか。行政サービスを事業として捉える段階に来ているのではないか。
     例えば、英米や北欧の図書館は、貸出は無料だが、それ以外の従量制コスト構造になっている部分に受益者負担の原則を取り入れている。資料の予約、ベストセラー本、CDやDVDの借り出し、商用データベースの提供、インターネット接続も有料であることが多い。延滞料徴収も一般的である。
     しかし、日本の場合、有料なのは複写ぐらいであり、従量制料金のかかるものはそもそも提供しない方針である。これか「奉仕」の考え方の典型だろう。「公僕」は出しゃばらず、黙々と要求に応えるだけで良いという考え方である。また、資料提供以外に利用者に介入しないという方針により、図書館は利用者の要求に対応してサービスの外形的な整備をするだけに留まっている。これらのサービスを転換するためには、財政的な構造を考える必要があるだろう。公共サービスの利用者負担論は、利用料金が財源の一部になり、需要をコントロールする効果や濫用を防止する効果があるだけでなく、料金をとることがサービスの質に対する信頼を与えたり、利用を増加させたりする効果が指摘されている。
     そもそも図書館法が制定されていた当時と現在は状況が違う。図書館は稀少な資料を集め、その利用も適度なものであって、その活動が市場に影響を与えるようなことはない状況を前提にしていた。つまり、閉架式で館内閲覧が中心だった状況のなかで規定されたものである。
     現在は、極めて開放的で誰もが気軽に利用できる施設になり、ベストセラー本を大量に仕入れ、複本の提供やネットでの取り置きも当たり前になり、図書館で提供するものは、利用者を支援する「奉仕」であるよりも、利用者がレンタルサービスやネットでの検索などともに選択すべきサービス群のひとつに転換しつつある。今後は図書館サービスの事業としての性格を考慮して有料制も視野に入れるべきである。図書館サービスをもっとダイナミックに転換するには、「お金」が持つ大きな力をもっと取り入れることが図書館運営にとっても利用者にとっても有効なのではないだろうか。

  • 鵜呑みにしていたことを
    それでいいのか
    問うきっかけになった

  • 数々の図書館の実例、図書館論の移り変わり、三団体の姿勢、貸出し一辺倒の図書館への批判、今後起こりうる展開などを論じる。

  • 読み直しが必要。

  • 日本の図書館がレファレンスを後回しにしてしまっている経緯が分かった。図書館がいかに危機的状況にあるか、、
    とりあえずは司書資格の専門性をもっと高めるべきだと思う。

  • まあ、「これ」って解決策というか結論が出る本ではないのですが、結局「理想の図書館」とは何だったのだろうか・・・・・・。

  • それほど大部の書物ではないのですが(本文は192ページ)、内容は濃厚。
    しかも読みやすい。

    図書館業界内の方にとっては常識の範疇にある内容ばかりなのではないかとおもいますが、私のような図書館のまわりに棲息する者にとっては、これ一冊で図書館発展史の大筋をつかむことができるとてもありがたい本でした。

  • 根本先生のいわき愛を感じました

    制度が変わらないとどうしようもならない点があるなかで、
    図書館はどこへ向かっていけばいいのでしょうね…

  • 戦後、図書館が貸出サービス主体に移っていく過程を歴史を追って説明する。そして、今後の理想的な図書館はどのようなものであるべきかを先端的事例を挙げつつさまざまな角度から考えていく。

  • 課題で読んだ本。思ったよりもとっつきやすく、初学者向けでした。図書館の歴史から在り方まで解説されています。貸出中心の図書館があたりまえだと思いがちだけど、様々な図書館の在り方に思いを馳せる必要がありそうです。

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著者プロフィール

慶應義塾大学文学部教授/東京大学名誉教授

「2019年 『教育改革のための学校図書館』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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