藤原四子 国家を鎮安す (ミネルヴァ日本評伝選)

  • ミネルヴァ書房 (2013年5月10日発売)
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本 ・本 (376ページ) / ISBN・EAN: 9784623066520

感想・レビュー・書評

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  • タイトル通り、藤原不比等の子、武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四人を取り上げた本です。

    この本のスタンスだと、房前は不比等の実質的な後継者ではなく、武智麻呂、宇合、麻呂とは一線を画していた。
    これまでの研究では、どちらかというと、四子は一枚岩、武智麻呂よりも房前が実質的な後継者、というのが主流らしい。

    そのあたり、おもしろかったです。
    節ごとに、タイトルがついているからか、前とあまり関連というか、つながっていない話になっている部分もあって、ときどき、ん??となったりもしました。

  • 基本線は、従来の、藤原不比等の四子武智麻呂・房前・宇合・麻呂は、不比等死後、房前を後継者として一致結束し政権運営に当たったという説に対し、後継者は武智麻呂で、武智麻呂と房前は路線を異にし、長屋王の変ではそれがピークに達し、以降、武智麻呂・宇合・麻呂は協力して政権運営にあたるが、房前はその死に至るまで不遇のままだった、といったところか。特に、長屋王の変時に誰がどのような行動をとったか、その後の政権掌握、誰の官位があがったかといったところに着目した立論は説得力があった。武智麻呂による光明子立后は、皇子の誕生がなくとも、政治を優位に展開できるようにとの意図で、藤原四子後の政治展開にも大きく影響。阿倍内親王=孝兼ね天皇即位、藤原南家の仲麻呂政権現出へ、と。聖武天皇が、四子のうち、武智麻呂にだけ不比等と同様の大赦をもって平復を願っているのは、武智麻呂が不比等の実質的な後継者として認識されていたことを明確に。また、聖武天皇が武智麻呂の死後三日間廃朝していることも、房前との相違。

  • 歴史を現代人が振り返ると、結果を知っているものだから、出来事一つみても最初からの深謀遠慮のように思ってしまう

    不比等は娘を天皇家に入れる所から上昇し始めて、各氏族代表の馬である太政官組織に、子供4人を分家したうえで4人とも参議とすることに成功。息子らを登用する目的で参議という役を作るなどお手盛り極まりない
    光明子を皇后にして、政治に興味が薄い聖武天皇の頃から聴政をする(天皇の大権を代行していた)ことで、子々孫々栄える基礎が出来た

    もっとも、藤原四子の権勢期間は存外短い

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著者プロフィール

1950年、兵庫県生まれ。1978年、駒澤大学大学院博士後期課程単位修得満期退学。1993年、山形県立米沢女子短期大学教授。2000年、甲子園短期大学教授。2010年に同大学学長を経て、2017年より龍谷大学文学部歴史学科日本史学専攻教授(特任)。専門は奈良朝の政治史および平安朝の日記。単著に『大伴旅人・家持とその時代 -大伴氏凋落の政治史的考察-』(桜楓社)、『藤原仲麻呂 -率性は聡く敏くして-』(ミネルヴァ書房)、『藤原四子 -天下を鎮安す-』(ミネルヴァ書房)、『藤原種継-都を長岡に遷さむとす-』(ミネルヴァ書房)、『奈良時代の政争と皇位継承』(吉川弘文館)、『藤原北家・京家官人の考察』(岩田書院)、『藤原南家・北家官人の考察』(岩田書院)、『藤原式家官人の考察』(岩田書院)など。編著に『江記逸文集成』(国書刊行会)、共編著に『時範記逸文集成』(岩田書院)などがある。

「2021年 『藤原仲麻呂政権の基礎的考察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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