- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784623072521
感想・レビュー・書評
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数年前に購入したときは、少し読んでピンとこなくて積読していた本。今開いてみると、内容がどんどん入ってきてあっというまに読了。
・「自然」とは、自分の力ではどうしようもできないこと。そして子どもは限りなく「自然に近いもの」ーー
”どうしようもないと分かれば、子どもも断念せざるを得ないのだが、親とのかけひきでなんとかなると思うと断念は難しい。文化というものが「どうしようもない」自然を克服して「なんとかなる」ように努力した結果だとすれば、じつは文化が進めば進むほど、断念は難しいということになる。現代の子育ての悩ましさは、そこに起源があるのかもしれない”
→日々関わる子どもたちのことを思い浮かべて、頷いた箇所。
・学力を競争させる教育における「構造的暴力」の話。
”どんなに学力が低くても、どんなに重い障害があっても、人はその身体に備わった力で生きていく以外にない。学力とは、しゃにむに努力して競争に勝つなどというようなものではなくて、どうであれ身につけたその力を使って、たがいに生きあっていく、そのためのものである。我が身に与えられた「身の程」をたずさえて、「ともに生き合う」ことを抜きに、学ぶことの意味はない”
→「身の程」の話をするのに、東日本大震災や原発事故の話が引き合いに出されていて、かけ離れた連想のように見えて、今の自分にはしっくりきた。
・「発達」の時代への疑問について
”世の中が「発達」という名の大きな錯覚にとらわれてしまうと、明日にばかり目がいって、子どもたちの「ここのいま」が見えない。「発達」ということばには、次にやってくる将来に向けての「準備」という発想がついてまわる。略・子どもは子どもの本番を生きているのであって、それはおとなになるための準備ではない。そして子どもの本番を生きることが、結果としておとなになるための基礎となるのである。”
→身につまされる言葉。間違いを正して指導する前に、その子の心底の思いを受け止めるようにしたい
・他にも、「大人と子どもの見えない権力構造・強いられた自発性」「生活者としての子ども・共苦がないこと」などキーワードが多かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大学院の授業で講読。
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配置場所:摂枚普通図書
請求記号:367.61||H
資料ID:95150569