広田弘毅:常に平和主義者だった (ミネルヴァ日本評伝選225)
- ミネルヴァ書房 (2021年10月26日発売)
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- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784623092680
作品紹介・あらすじ
広田弘毅(1878年から1948年)外交官・政治家。
外交官として欧米局長や駐ソ連大使などを経て、外相や首相を歴任。英米との協調を模索しつつ、中国政策をめぐって対軍部コントロールに苦慮する。東京裁判でA級戦犯として処刑された唯一の文官であり、悲劇の宰相として知られる。
感想・レビュー・書評
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序章で、城山三郎の小説による良心的な「悲劇の宰相」(ただし対欧米協調の幣原路線とは異なる)と、臼井勝美による軍部に近い「アジア派」という、対照的な2つの広田イメージを挙げる。
結論として著者自身の広田評はどちらとも一致しない。副題のごとく「常に平和主義者だった」かはともかく。現状維持、英米協調と日中提携の均衡保持、永田鉄山の死までは統制派を通じた陸軍制御を企図、軍部の政治介入には譲歩しつつも抵抗、ある程度までは日中和平の模索、というものだ。
若い頃に玄洋社と一定の関係があったとはいえ、広田自身に強い思想心情があったり、特定の方向や事件を主導したりしたようには見えない。指導者として責任は免れ得ないとは言え、それが死刑判決に値するものかどうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F指定:289/Mi43/Inoue
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