- 本 ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784623096008
作品紹介・あらすじ
ブルーノ・タウト(1880年から1938年)ドイツの建築家。
故国で都市計画や集合住宅、博覧会建築を手がけ、世界的注目を集めるがナチズムの台頭により亡命、1933年に来日し、独自の日本文化論を展開した。激動する時代に翻弄されたその生涯を数々の作品とともに辿る。
感想・レビュー・書評
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ヴァイマル共和国で大きな流れとなった「モダニズム建築」は、 ナチス政権では嫌惡されていたからである
「モダニズム建築」は、一九二〇年代から七〇年代まで影辨力をもった建築上の潮流である。ル・コルヒュシエ ライト、 ローエを代表とするこの動きは 二ンクリート鉄
ガラスを多用し、直線的なデザインの住宅建設を行った。
「ジードルング」;一九二〇年代のドイツでは新しい傾向のもとに建てられた住宅地
の呼称となつた。
本格的なタウト再検討の動きが生じたのは、東西ドイツが統一したー九九〇年代以降である。
弟が独り立ちしたときに、タウトはすでにケーニヒスベルクを離れ、建築家としての「遍歴」修業を始めていた
ファルケンベルク・「田園郊外都市」
ジードルング、レフォルム
タウトの特徴・色遣いの多彩さ
表現主義というのは、二〇世紀初頭のドイツで発生した動きで、自分より外側の世界に表現主義ついての写実性なり象徴性なりを重視したそれまでの芸術上の動向に対して、自分の心の中の主観をそのまま表現しようとすることにその特徴がある
鉄のモニュメント・ガラスの家
終戦後一気に刊行する四冊からなるユ—トピア著作群
馬蹄形ジードルング
スタ— リン様式
文化的ボルシェビキスト
19世紀後半のヨーロッパにおけるジャポニズム
桂離宮のそこここでタウトは感嘆の声をあげる。門から入って、池に面した古書院に迪り着く。月見台に至り、「泣きたくなるほど美しい印象」と日記には記している
タウトは、「すべては変化の中にのみあり、平穏は慎み深さの中にある」といい、「目を悦ばす美しさ」であると評価
「いかもの」とは、日光東照宮をはじめタウトにとって趣味に合わないものにつけたレッテルである。
院離宮に体現される天皇の文化に対して、将軍文化を代表するものとして日光東照宮
横浜から朿京にかけての道々に見られる建物に辟易としたのであろうが、「語ることのできない建築の下劣さ」
「急ぎのやっつけ仕爭で、ヨーロッパやアメリカの素描風のコピーで、「輸出趣味」」
美しいものには世界全体が包摂され、そこから禅の瞑想.が由来するというものである。
日本の工芸か混乱に陥っているのは、日本人の感覚があいまいな思想のもとで不安定な状態にあることに原因がある。
形式的には全く異なるが、「すべての芸術的なものが技術に裹付けられているように見え」る
「建築とはプロポーションの芸術」ということである。「プロポーショ
ン」とは、「比例」とも「均衡, 均整」ともとれる言葉であるが、建築の分野では「美しい分割や量的調和、つまり均整の意味で用いられなければならな」い
「ギリシア人は、ギリシアの澄んだ空気と明るい陽光にふさわしい美的幼果を、より重要視した」
実際に設計が実現したものがほとんどなかったこともあり、タウトの建築が日本社会に大きな影!:を与えたとはいいがたい。 -
東2法経図・6F開架:289/Mi43/245/K