批評回帰宣言 安吾と漱石、そして江藤淳

  • ミネルヴァ書房 (2024年8月27日発売)
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  • 本 ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623096237

作品紹介・あらすじ

今、必要なのは、批評である。批評は、「近代システム」に違和感をもち、密着することを拒否しながら、それでもなお刻印される時代の証言である。描くべきは、この居場所のなさ、不確実性に耐える言葉の立ち姿である――。
気鋭の批評家がその新生面を開き、文学にとって「近代」とは何かを問う。安吾、漱石、和辻哲郎、福澤諭吉、中江兆民、そして江藤淳。知の巨人たちとの対話と格闘の軌跡。新しい批評の誕生!

感想・レビュー・書評

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  • 本書における著者の問題意識は、「アイデンティティの危機」である。普段我々日本人は、明治時代以降に西洋から輸入した様々な文明(政治・経済システム、法律など)のうえで生活を営んでいる。確かに西洋文明を輸入したことで、日本は経済大国に成り上がることができたが、その過程で我々は土着的な価値観をどこかに置き去りにしたまま現在まで来てしまった。このような「アイデンティティの危機」の原因を、著者は「歴史の喪失」に求める。つまり、故松岡正剛氏の表現を借りると、我々が生きる現在とは、過去に起きた出来事の波及として生じた「歴史的現在」である、という捉え方が無くなったのだ。本書の前半部では、この「歴史の喪失」の象徴として、天皇論や夏目漱石に代表される自然主義文学についての議論が行われる。それを受けて後半では、失われた歴史観とアイデンティティを取り戻すための手引きとして、中江兆民や福沢諭吉の作品を読み解きながら議論が進んでいく。

    国際社会が混沌を極めている現在、まさに日本は国家としての価値感を確立する必要性に迫られている。価値観を醸成するためには、日本という国家を相対的に見る必要がある。このようなフェーズにおいて、「批評家」の存在が重要となる。以下に、「批評」についての印象的なフレーズを記しておく。

    「批評とは、... 、「どうするべきか」ではなく、「どう生きているのか」つまり経験の成立条件を探求する、自己相対化の営みなのである。」

  • ミネルヴァ書房から公開されている「序に代えて」を早速読んでみた。

    「アイデンティティ」「閉塞感」「砂粒化」「大衆の生活感覚」など、いつもの先崎先生節が健在。

    昨年読んだばかりのドストエフスキー『地下室の手記』がフォーカスされていたのは、嬉しい偶然だった。

    刊行を楽しみに待ちたい。

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著者プロフィール

1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。フランス社会科学高等研究院に留学。文学博士。日本大学危機管理学部教授。専攻は近代日本思想史・日本倫理思想史。
主な著書に『高山樗牛――美とナショナリズム』(論創社)、『ナショナリズムの復権』(ちくま新書)、『違和感の正体』『バッシング論』(ともに新潮新書)、『未完の西郷隆盛――日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)、『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』(晶文社)、『吉本隆明「共同幻想論」』(NHK100分de名著)、現代語訳と解説に福澤諭吉『文明論之概略』(ビギナーズ日本の思想・角川ソフィア文庫)などがある。

「2020年 『鏡の中のアメリカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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