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Amazon.co.jp ・本 (332ページ) / ISBN・EAN: 9784624010515
作品紹介・あらすじ
ヘーゲルを「経験の哲学者」としてとらえ、従来のヘーゲル像を180度転回させることによって概念を明確にし、その哲学を具体化する労作。
感想・レビュー・書評
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サブタイトルが示すように、ヘーゲル哲学における「理念的なものと経験的なものの交差」のありようを、主に『精神現象学』に至るまでの思想形成をたどりつつ明らかにしている。
若きヘーゲルが取り組んだのは、単に「要請」されるだけで彼岸的・非現実的なカントの当為を、現実において実現されるべきものとして捉えなおすという課題だった。だが、現実の国家をただちに理想的とすることは、理念を実定的なものへの隷従にほかならない。ヘーゲルは、主体の自由と客体との対立の合一を、愛による運命の和解に認める。彼のいう「運命」は、主体性と客体性の二元的対立の一方である限りの客体性ではない。むしろ、両者の対立関係において現われるさまざまな相克の必然性のことである。こうした運命は人間の自由を前提にしており、それゆえ、運命とはすでに自由な個体と共同存在との否定的である限りでの統一である。
こうした運命の和解は、しかしながら、いまだみずからがそれであるような「全体」を認識するものではないという意味で、非媒介的なあり方にとどまっている。こうした「全体」がみずからを認識する存在の構造が、以後のヘーゲルの思索の中で追及されることになる。
だが、こうした課題が直面する困難が、すでにヤコービによって指摘されていた。彼によると、絶対者が意識に対して構成されなければならないが、絶対者が反省され定立されるならば、絶対者が廃棄されてしまうという。これに対してヘーゲルは、フィヒテやシェリングがこうした困難に陥ったのは、根源的同一性としての主客の同一を、同一律に基礎づけたためだと主張し、むしろ根源的同一性を同一律に対立するものとして位置づけることで、上の困難を回避できると考えた。フィヒテやシェリングは、自我の根源的能動性に自我の自己同一性を設定し、そこから自我の被限定性を導出しようと苦心している。ところがヘーゲルは、まず主観的自我が限定されたものだと認めた上で、根源的同一性を担う能動的な自我ではなくて、主体と対象との関係を担う自我こそが根源的だと考えた。関係を担う自我がみずからに関係する営みとして、「全体」の「反省」は理解されるというのが、彼の立場である。
なお、最終章「弁証法の成立根拠」は、上のような見解に立って、弁証法論理と形式論理の違いを詳しく規定する試みである。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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