私に触れるな (ポイエーシス叢書 55)

  • 未来社 (2006年4月5日発売)
4.00
  • (3)
  • (0)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 44
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • 本 ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784624932558

作品紹介・あらすじ

復活を遂げたイエスとマグダラのマリアの邂逅──西洋絵画の歴史のなかでいくどもモチーフとされた、名高い場面。本書ではとりわけレンブラントとデューラーの作品を取り上げながら、イエスがマグダラのマリアに告げる「我ニ触レルナ(ノリ・メ・タンゲレ)」という言葉、そしてそのイメージ表現のなかにひそむ、触れることと見ること、出現と消滅、欲望と暴力、愛と真理、身体と感覚、生と死……それらが絡み合う構造を鮮やかに分析する。イメージの問題から切り込み、キリスト教の脱構築を展開する、近年のナンシーの仕事を見事に集約した、小著ながら射程の深い一冊。著者による「日本語版序文」を併録。カラー口絵4頁。★06年4月、著者来日! 東京ほかで講演・シンポジウム開催。
目次
日本語版序文

私に触れるな──ノリ・メ・タンゲレ
 プロローグ
 出発間際
 メ・ムゥ・ハプトゥ──ノリ・メ・タンゲレ
 園丁
 手
 マグダラのマリア
 私に触れるな
 エピローグ

 「ノリ・メ・タンゲレ」の場面を描いた主要作品に関する覚え書き
 原註
 訳注
 人名紹介

 マグダラのマリアという譬え──訳者解題にかえて
 訳者あとがき

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • マリアはイエスを見るだろう、イエスは彼女に見られるがままになるだろう、ときうのも彼女は墓のなかを見ることができたのだから。
    見るべきでないものを見ることができたのだから。
    見るべきでないものを見ること、ただ可能な眼差しにのみ、ただ不可視の夜をすでに見ることのできた眼にのみ、自らを見せるものを見ること、ノリ・メ・タンゲレはこうした争点の中心的モチーフを担っている。

  • [ 内容 ]


    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

1940年、ボルドー生まれ。ストラスブール(マルク・ブロック)大学名誉教授。
著書多数。邦訳書として『侵入者』(以文社)、『自由の経験』(未來社)、『ヘーゲル』(現代企画室)、『肖像の眼差し』(人文書院)、『世界の創造、あるいは世界化』(現代企画室)、『複数的単数的存在』(松籟社)、 『ナチ神話』(ラクー=ラバルトとの共著、松籟社)、『映画の明らかさ』(キアロスタミとの共著、松籟社)、『主体の後に誰が来るのか?』(編著、現代企画室)などがある。

「2001年 『無為の共同体 哲学を問い直す分有の思考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジャン・リュック・ナンシーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×