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本 ・本 (220ページ) / ISBN・EAN: 9784624934361
作品紹介・あらすじ
バレエ・リュスとの共作で音楽界を震撼させた異才がその半生を記した自伝を完訳。革命と戦争に翻弄されるロシア人としての複雑な思いを秘めつつ、音楽との出会いから、独自の理論を確立する青年時代、『春の祭典』に結実する盟友ディアギレフ、ニジンスキーらとの創作の日々を経て、国際的作曲家として飛躍するまでが語られる。
目次
1 最初の印象
2 青年期
3 バレエ・リュスの時期
4 戦後の数年
5 『エディプス王』から『妖精の接吻』へ
6 ディアギレフの死以降
訳者解説
感想・レビュー・書評
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私が最も愛聴する作曲家の一人、ストラヴィンスキーの著書が2冊、いつの間にか刊行されていたので早速買った。
本書(1936)、『音楽の詩学』(1942)共に、私が最も惹かれる「アゴン」以降の後期に至る前の書物であり、また、両方ともゴーストライター、というか執筆の助っ人が起用されたらしい。
というのは、ストラヴィンスキーはどうやら文章を書くのが実に苦手だったようで、『音楽の詩学』は大学での講義なのにその草稿さえ一人では書けなかった模様である。
この「詩学」の方は、読んでも残念ながら作曲家の思想をくみ取るのが難しかった。ストラヴィンスキー特有のあの、土着的なようでいてとげとげしく鋭利で、厳しいラジカルさを持った音楽性は、それ自体は時代を超えており、今聴いて古くさいと思わない。これは様式とは異なる、感性の問題だ。
しかしストラヴィンスキーは本書で叙情性は楽曲の(理知的な)構造からしか生まれてこない、と語っている。「詩学」の方では、ロマンティックな「対照」の原理よりも自分は「類似」の原理、均一性・統一性を重んじるのだと宣言している。
なるほどストラヴィンスキーの音楽の「鋭さ」は、甘ったれた主体を締め付けるような厳しさとしての「知/思索」から来ているのかもしれない。反=主体というこの構造が、私にはフランツ・カフカの「主体の死としての生」と重なって見える。
けれどもストラヴィンスキーはやはり言語思考が苦手すぎて、彼のスタンスを十分に説明できなかったのではないかと思われる。
本書「年代記」の方は、修行時代から主にディアギレフとの共同活動の時期を描いている。ストラヴィンスキーを研究したい向きにはかなり素晴らしい資料であろう。
だが私はまだ、ストラヴィンスキーの魅力の本体をうまく掴めないでいるような気がする。
それはそうと、メシアンの本とクセナキスの本も、是非翻訳本を復活させて欲しいなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20世紀を代表する作曲家の一人、イーゴリ・ストラヴィンスキーの自伝です。
自伝といっても、20世紀初頭から1930年代くらいまでの音楽遍歴を思い出すままに綴った内容になっています。作曲家の「作曲意図」を正確に伝達しておきたいという目論見もあるようです(「指揮者が楽曲に“解釈”を交えるなんてまかりならん!」と)。
ストラヴィンスキーには、原始主義、新古典主義、セリー主義という作曲作法の変遷があるのですが(新古典主義時代の曲はあまり聴いたことがない)、なぜそのように関心が移ったかの説明がしっかり書いてあります。
また、プロデューサーのディアギレフを始め、ピカソやアンセルメといった同時代の芸術家との交友関係、有名な「春の祭典のスキャンダル」が楽曲というよりはバレエの振り付け(ニジンスキー)によって起こったなど、知らなかった裏話も面白い。ニジンスキーは精神的にも問題があったようですな・・・。
内容的には大変興味深い本なのですが、日本語訳のあんまりな逐語訳的生硬さには往生しました。