永楽帝 明朝第二の創業者 (世界史リブレット人 038)

  • 山川出版社 (2016年7月30日発売)
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本 ・本 (112ページ) / ISBN・EAN: 9784634350380

感想・レビュー・書評

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  • (後で書きます。洪武帝時代について概略把握しておくと良いかも。参考文献リストあり)

  •  永楽帝と言えば対外政策だが、本書ではむしろ、靖難の変までの経緯とその後の政権固めが主。後の歴史改変の可能性はあるも、北元遠征や長兄皇太子死去時の逸話など、元々燕王はある程度は有能であったようである。また、若い建文帝の藩王取り潰し政策により燕王はかなり追い詰められていたわけで、靖難の変のイメージが少し変わった。
     即位後は、建文時代の旧臣の大量処刑、側近政治とその一環としての宦官と功臣の重用、正当化のための文化事業。元々の本拠地である北京への遷都。宦官は対外関係にも活用される。その後の皇帝の時代で続いたもの変わったものそれぞれあるが、「明朝は土台ごと永楽帝によってつくりかえられた」と著者が評する所以である。

  • 成祖永楽帝の一代記……というよりは、永楽政権が出来上がるに至る政治の動向をまとめたという方が正確か?もう少し永楽期の話を読みたかったようにも思う。

  • 勇壮でスケールの大きな英傑と、陰惨な簒奪者、息苦しい独裁者。永楽帝にまつわるイメージといえば正負どちらも併せ持つように思ってきたが、この本を読むと簒奪者、独裁者の面が大きいように思った。耐えて耐えて暴発した、洪武帝のやり方に反した奸臣が跋扈した、だから挙兵したのだ、我らに正義あり、と繰り返し繰り返し正当化を訴え、史書を改ざんし、そこまでしないと気が済まず、世間の目が厳しく、やましかったのだろうなと思わざるを得ない。靖難の役を共に戦った者たちを重用するインナーサークル政治。批判する者ははねつけ、左遷し、時に命を奪う。対抗する勢力には洪武帝のやり方に従ってないと批判しつつ、洪武帝が戒めた対外遠征を積極的に行う矛盾。順逆の理、日本、朝鮮などしたがってきた国はあつくもてなし、従わないモンゴル、安南は、たとえ勝ち目が薄くて、膨大な費用がかかっても実施する、と。/永楽帝を太宗と呼ぶか成祖と呼ぶか。太宗なら(建文帝を飛ばして)明朝二代目として、成祖なら王朝の創業者として。洪武帝のつくった明を根こそぎ作り変えたという意味では後者がふさわしいのでは、と。/近年、行政文書である档案研究から正史からはうかがい知れない様々な実像がうかびあがってきているのだとか。洪武帝が燕王を望みつつ、後継にできなかったのは、長幼の序を重んじたため、と。/靖難の役の本質は、南北の戦いなどではなく、お互いの標的はお互いのみという、建文帝と燕王の叔父甥間の私闘が本質。ただ、諸王については、寧王以外はみな建文帝についた模様、と/大航海の狙いが軍事でも経済でもなければ、広く永楽帝の即位を知らしめて朝貢国の増大を図り、皇帝を宗主とする安定的な広域秩序を作り出し、永楽帝の権威を高めようとするものだったのでは、と/檀上寛「永楽帝」講談社、も再読したくなった。

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