ユダヤ教の歴史 (宗教の世界史 7)

  • 山川出版社 (2009年11月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (356ページ) / ISBN・EAN: 9784634431379

感想・レビュー・書評

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/62823

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    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000601962

  • ユダヤ教から現在のユダヤ人へと至る通史。本書では宗教史理解のために3つのパラダイムを挙げている:古代的パラダイム(ラビの台頭まで),中世的パラダイム(書物の普及),近現代的パラダイム(主権国家とユダヤ人)。

  • 東2法経図・6F開架:199A/I14y//K

  • テーマ史

  • 本書はユダヤ教の誕生からイスラエル国家の成立と現代の抱える問題までを通観したものです。
    著者はユダヤ教の歴史を見るのに際し、まず3つのパラダイムに識別します。
    一つは“古代的パラダイム”で、「この時代のユダヤ教は、一定の教義と規律のもとに形成された宗教共同体というよりは、古代イスラエル社会の宗教と呼ぶ方がふさわしいが、それは、エルサレム神殿と王権、大祭司権が社会体制の中枢をなす宗教文化であり、それに対抗する宗教的権威として、預言者、そしてのちにはラビが台頭する。」(10頁)としています。
    二つめは“中世的パラダイム”で「ユダヤ人社会は、エルサレム神殿の崩壊、ユダヤ国家の滅亡によって、この時代を迎えることになる。世界各地へと離散する過程で、ラビを指導者とする宗教共同体が形成され、タルムード(口伝律法の学問的集成)のユダヤ法による自治社会を存立基盤とする宗教へ変貌していく。これが、ラビを指導者とするという意味でラビ・ユダヤ(Rabbinic Judaism)、ユダヤ啓示法の規範による支配という意味で規範的ユダヤ教(normative Judaism)の時代と呼ばれてきた。書物の宗教の時代ともいえよう。・・・今日のアシュケナジ系(ドイツ系)、スファラディ系(スペイン系)、さらにはミズラヒ系(東方系)という文化的区分が生じる時代でもある。しかもこの宗教的自治共同体の状態は、西欧ではフランス革命まで、東欧やイスラーム圏では20世紀の第一次世界大戦時まで基本的には存続することになる。」(10~11頁)ということです。
    そして三つめは“近現代的パラダイム”で、「西欧の近代主権国民国家が、かつての伝統的宗教体制に取って代わり、人々に絶対的な忠誠を要求し、人の生死を圧倒的に支配する時代の到来」であり、一方で「自らを普遍的価値に拘束させようとして、人権や自由、平等といった価値を譲渡不可能なものとして人間個人に賦与することにより、人間存在の根本を規定することに」なるなか、「ユダヤ人がまさに世界各地で波瀾万丈の生涯を体験した時代であり、時間的には短いが、内容的にはもっとも多様かつ凄惨な歴史を生きた」時代としています。
    本書を読んで、私は3つのことを考えさせられました。
    まず一つは、「ユダヤ人とは何か?」という根本的な問題です。原則論で言えば「ユダヤ教を信仰している人」でしょう。では、日本人として生まれた私が改宗したらユダヤ人になるのか? と考えてしまいます。本書を読んでいくと「中世に成立した教義によれば、ユダヤ教を構成する人々には、母親をユダヤ人として生まれた血縁上のユダヤ人と改宗によって宗教的信仰上でユダヤ人になった者との両方が含まれた。そしていずれもが、ユダヤ人の宗教民族共同体に帰属したのである。」(6頁)と書かれてあり、さらに現在のイスラエルにおいては「何度かの法改正を経たのち、現在では、「ユダヤ人の母親から生まれた者もしくはユダヤ教に改宗した者で、なおかつその者が他宗教に所属していない者」がユダヤ人とされるそうです。では、ユダヤ教徒を捨てたユダヤ人は?という疑問もわきます。古代~中世にかけてはそう問題にならなかったでしょう。しかし近代にはいると、西ヨーロッパにおいては「ユダヤ教は「宗教」である」とされ、東ヨーロッパでは「ユダヤ教は「民族」である」とされます。「かつてユダヤ人にとって、伝統は神聖で不変であった。唯一神の啓示法ハラハーに則って生きることが、ユダヤ教徒としての生きる道であった。ユダヤ人がユダヤ人社会に生を享け、ユダヤ啓示法に生きて死んでいく、それがユダヤ教であった。ところが、(19世紀後半のフランスにおける伝統的なユダヤ法の支配の終焉という)ユダヤ人解放によって、この自明の大前提が完全に崩壊してしまったのである。ユダヤ教はもはや一つではなく、生まれはユダヤ人でもユダヤ教徒とは限らなくなった。近代においてユダヤ人は、それぞれの国家への同化を必然的に要請される立場におかれたのである。西欧近代のユダヤ人が最初にこの事態に直面した。しかし、それは将来、世界中のユダヤ人が確実に踏襲せざるをえない近代社会における宿命となった。」(145頁)という危機を迎えます。
    しかしこの問題は「ユダヤ人とは宗教的帰属というよりも民族的帰属を意味するという方向に強く傾斜した。ユダヤ人の近代は、フランス革命以来、ユダヤ人概念が憲法上まさに宗教的帰属と理解されて市民権取得が認められたことに始まったものである。それが、19世紀後半以降の民族主義思想、さらには、ヴェルサイユ条約による民族自決の大義、そして、ナチズムの人種差別的政治思想の破綻、そしてイスラエル国民国家の樹立を経て、アメリカやフランスでさえも、ユダヤ人概念を民族的帰属として受け入れる方向に逆転した。」(243頁)ということになります。
    次に2つめですが、1つめと密接に関わってくるものですが、シオニズムの問題についてです。ユダヤ人が宗教的帰属にしろ民族的帰属にしろ、近代国民国家の時代に入り自分たちの国を持とうとする動きは当然だと思います。ヨーロッパの、とくにフランスの国民国家の中で「人間の不条理な憎悪感情は克服されつつ」あり、「これが全世界に広まることによって、ユダヤ人憎悪は減少し、ついには消滅する」と期待したユダヤ人たちは、その「国家理念に同化し、アイデンティティを感じて」いったにもかかわらず、1894年にドレフュス事件が起こります。「ユダヤ人は同化して国民になりきったと思っていても、ユダヤ人である限り、つねに猜疑の目で見られ排斥される恐れがある」(159頁)ことを経験したヘルツルによってシオニズム運動が始まりました。私はこの運動に対し、国家を建設するパレスチナの非ユダヤ人(つまりはアラブ人)やそれを支持する人や国家、集団は当然反対するだろうが、ユダヤ人はすべからくこの運動に賛成していたと思っていました。それだけ宗教的情念が強いと。しかし本書を読み、ユダヤ人も決してみな賛同していたわけではないということを知りました。いわれてみれば当然であり、自身の思慮の浅さに辟易しますが・・・。いわく「もし、ユダヤ人が主権国家の主体となりうる民族として認められることになれば、二重の忠誠心を疑われ、市民権を剥奪される恐れさえある。イギリス国内でシオニストの政治活動が盛んになるにつれ、同化ユダヤ人の世論は、バルフォア宣言が出される半年前に、『タイムズ』紙の紙面を使って、自分たちの立場を訴えた。すなわち、ユダヤ教は宗教組織であり、別の独立国をもちたいという願望はなく、自分たちはイギリス精神やイギリスの利害に一致していると。」(208頁)さらにイスラエル建国後、初代首相ベングリオンがアメリカのユダヤ人青年に向かって大規模な移民を呼びかけると、アメリカ・ユダヤ委員会(AJC)に不快感を表明されたため、彼は遺憾の意を表明し「イスラエル側の誤解と無理解を戒め、アメリカ・ユダヤ人の忠誠心は合衆国に対するものただ一つであることを認め、イスラエル政府は自国民のみを代表し、他国のユダヤ人の内情にはいっさい干渉しないことを約束」(251頁)しました。
    そして3つめはユダヤ教の柔軟性です。世界史や倫理の教科書ではユダヤ教は“選民思想”をもち、“形式化”されたため、イエスによる“神の絶対愛”“隣人愛”を説く改革運動がでてきた、と習います。しかし、ユダヤ教も時代や地域に合わせかなり柔軟に妥協・改革していたことを知りました。例えばアメリカに移民したユダヤ人たちは「彼らは、ドイツのユダヤ教改革派の流れに倣って、アメリカ社会への完全な適応をめざし、それを疎外するユダヤ教の啓示法は破棄すべきものとされた。これは、ユダヤ人を他の集団から分離させる閉鎖的な規定の撤廃のことである。その方針に則って、ユダヤ教の倫理的な規定には履行する義務があるが、穢れや清め、服装の規定などは、現代人の宗教感情に反するとして破棄した。また、礼拝は英語を用い、イスラエルやエルサレムを思い出させる文句を削り、礼拝では男女が同席し、日曜日にも安息日を祝した。(中略)こうして改革派は、ユダヤ教のもつ政治的共同体性や民族性を削ぎ落として、人間の内面の信仰を機軸とした近代憲法的な宗教概念にふさわしい形態を整え、プロテスタント的キリスト教会に限りなく近似していった。」(197頁)ということです。
    本書はユダヤ教の歴史について非常に詳しく書かれてあるので、その流れをつかむのは苦労しますが、今まで私が持っていたユダヤ教観などはだいぶ改められました。

    以下備忘録

    ダビデによって実現されたイスラエル十二部族の連合国家は、王朝三代目で南北に分裂した。北側の北イスラエル王国は一〇部族によって構成されたが、軍事的指導者がそのカリスマ性によって権力を掌握する傾向が強くみられ、王都は政権の交代とともに移動するのを常とした。その後、北王国は前722年にアッシリア帝国の侵略によって滅亡し、住民は捕囚の身となった。しかも、王都サマリアに異民族が強制集住させられたことで、復帰の道は断たれ四散する運命を歩んだ。ここから失われた一〇部族の伝説が生まれた。
    他方、南ユダ王国はユダとベンヤミンの二部族で構成され、ダビデ王家の世襲による支配が正統性を賦与された。アッシリアの侵略ではエルサレムが奇蹟的(ママ)に侵略を免れ、これがエルサレムに対する揺るぎない信仰を植えつけた。しかし、アッシリア以上の強国、新バビロニア帝国の侵略によって前586年に祖国は滅亡し、エルサレム神殿は破壊され、住民は王家の人々をはじめとしてバビロン捕囚を体験した。しかしこのときは、異民族のエルサレムへの強制集住がなく、荒れたままに放置されたことから、ユダの民には祖国復帰の希望が残された。(20~21頁)

    祭司ハスモン家の英雄、マカベアのユダ(マカバイオス)の活躍で、シリアとの独立戦争に勝利すると(前166~前142年)、ユダヤ人社会に復古的民族意識が高揚し、かつてのダビデ王国の再現を目論んだ。ハスモン家のシモンが大祭司に推挙され、さらに世襲化したハスモン家の大祭司がユダヤの王に即位し、まさに王権と大祭司権を兼備した独立国家ハスモン朝が誕生したのである。(35頁) ※ハスモン朝はローマのポンペイウスに滅ぼされる。

    一世紀のユダヤ人歴史家で祭司身分のフラウィウス・ヨセフスによれば、ハスモン朝の時代に三つのユダヤ哲学派が出現した。パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派である。パリサイ派は、もっとも正しく聖典を解釈する集団であり、祭司階層の人々さえもその教えを学んだとされ、民衆に広く支持された党派であった。新約聖書では、イエスの敵対者として非難されたが、のちにユダヤ教を支えたラビ体制の先駆とみなされ、父祖伝来の口伝の教えに権威を認め、神殿外のシナゴーグで民衆にトーラーの教えを普及させたと考えられている。(中略)これに対してサドカイ派は、神殿祭司を中核とする貴族階層で、大祭司を頂点とする祭司階級の神権政治をユダヤ教本来の社会体制と考えた。エルサレムの神殿貴族に支持者が多く、ヘロデ時代にはボエトス派の名で知られた。(中略)パリサイ派とサドカイ派がユダヤ人議会サンヘドリンの主要な党派であったのに対して、エッセネ派は、パレスチナ各地の町や村に散在して生活し、生活規則の独自性は際立っていた。朝、沐浴して太陽に向かって祈ることや、厳格な沐浴の励行、入会者への3年におよぶ厳しい入会規則と段階的な儀礼的受容、徹底した禁欲、財産の共有による教団経営などが知られる。(37~39頁)

    1096年の第一次十字軍遠征は、ノルマンディ地方のルーアンや、ライン地方のヴォルムス、マインツ、シュパイアーなどのユダヤ人居住地で、激しい殺戮行為をおこない、アシュケナジ系ユダヤ人社会に精神的・物質的な打撃を与えた。(73頁)

    (ユダヤ人は)種々のギルドへの加入が禁じられ、1179年の第3回ラテラノ公会議以降、キリスト教徒が金貸しを禁止されたため、ユダヤ人の職業が金銭貸借業に限定されていた。(75頁)

    十字軍に続いて、1348年から翌年にかけて黒死病(ペスト)の流行があり、アシュケナジ系のユダヤ人社会では死亡率が低かったことから、毒を撒いたという嫌疑がユダヤ人にかけられ、各地で虐殺の暴動が多発し、ユダヤ人は生存を脅かされ追放処分を受けた。ユダヤ人社会の物質的・精神的損失ははかりがたく、その後の世代はユダヤの学問の衰退を嘆き、自らを「孤児の世代」と呼んだ。(77頁)

    (1492年のスペインにおけるカトリック両王による)追放令によって、国内のユダヤ教徒のおよそ50万人が追放され、北アフリカや、イタリア、バルカン半島など、地中海周辺に逃れ、とりわけ当時、帝国の拡大で新たな人材を求めていたオスマン帝国が格好の受け皿を提供した。また、隣国ポルトガルへ逃れた者も多かった。(中略)追放令は隣国ポルトガルでも1496年12月に公布され、ユダヤ人とムーア人は翌年の12月より以前に国外退去するよう命じられた。国王はユダヤ人に脱出を思い留まらせるため、40年後には法令を撤回する約束をしたため、改宗して残留する人々が多かった。その後、ユダヤ人家庭で、母親の教育と感化が家庭内でひそかにユダヤ教を存続させる事態を可能にしたため、ポルトガルのコンヴェルソ(改宗ユダヤ人、差別的にマラーノともいう)は、キリスト教徒になりきった集団と、ひそかにユダヤ教を守った集団とに分かれた。彼らは国外に脱出する機会を模索し、オランダ、イギリス、ブラジルなどをめざした。(97頁)

    ゲットーの建設自体、ルネサンス以降の政治理念の産物、国民の統合と異分子の囲い込みの一環として捉えられるべきものである。(130頁)

    18世紀には、ジョン・ロックの「寛容論」が、ヴォルテールなどのフランス啓蒙思想へと受け継がれ、(中略)後発国ドイツの各領邦君主に迎えられて、プロイセンのベルリンやハプスブルクのウィーンで、啓蒙専制君主による寛容な政治が展開される。その頃には、ドイツ各地の領邦君主が、軍費調達や領邦内の経済発展、交易の促進をめざして、さかんにユダヤ商人を登用して、宮廷ユダヤ人の活躍が各地で展開される時代となっていた。まさにこのとき、寛容思想は、キリスト教の枠外へも応用され、各地域の支配者の都合に左右されて生かされるだけの居留民であったユダヤ人問題へと準用されることになった。その結果、18世紀の啓蒙専制君主時代に、オーストリア・ハプスブルクとプロイセンなどに典型的にみられるように、ユダヤ人寛容令が次々と発布され、ドイツ語圏の諸都市におけるユダヤ人居住者数の拡大、商業活動の制限の削減、移動の自由の拡大などが承認されるようになった。(131~132頁)

    ナチスによるユダヤ人虐殺は、のちにホロコーストと呼ばれるようになる。この言葉は、元来はギリシア語で、聖書のレビ記で定められた家畜の犠牲のうち、「焼きつくす献げ物」としての「全燔祭」、ヘブライ語で「オーラー」に該当する用語である。こうした神学的ニュアンスがともなうことを避けるため、近年では、ヘブライ語で「破壊」を意味するショアーが広く用いられ、本書も、ショアーを主として用いる。(217頁)

  • ユダヤ教の歴史を凝縮してまとめた、読み応えのある一冊。

    ユダヤ人社会は、古代においてエルサレム神殿と王権からなる宗教文化的社会を形勢していた。ところが、エルサレム神殿の崩壊、ユダヤ国家の滅亡により世界各地への離散することとなった過程で、タルムード(口伝律法の学問的集成)のユダヤ法による自立社会へ変貌していった。

    ユダヤ社会とは、古代から続く宗教的権威とユダヤ啓示法の規範、宗教的信念によって基盤がつくられているといっていい。

    紀元前586年、エルサレム神殿は破壊されユダヤ人たちはバビロン捕囚を体験することになった。
    彼らは、祖国滅亡と神殿崩壊の意味を熟考した結果、国家の滅亡を軍事力の強弱ではなく、自分たちの信仰の問題と捉えた。

    ユダヤ人達は予言者への信仰を通して王権を超えた神の法の存在を認めることによって、祖国喪失を生き抜く精神力の支柱としたという。

    聖書にあらわれる古代イスラエルの宗教の超自然的な存在はヤハウェ。
    直接にこの世に顕現し、宇宙の秩序を維持し、万物に生命を賦与する存在。
    超自然的な存在であるヤハウェは、予言者を通してその意思を伝える。
    この宗教的基本形態が、その後のユダヤ教をかたちづくる。

    紀元前4世紀から18世紀にかけて、様々な預言者が出現するのもこの基本形態によると考えられる。

    18世紀のヨーロッパでは啓蒙専制君主による寛容な政治が展開される。ハプスブルク家やプロイセンでは盛んにユダヤ商人を登用して軍費調達や領内の経済発展に力を入れる。
    このころからユダヤ人寛容令が次々と発布されたらしい。
    また、オランダは早くから宗教的自由を認める自由都市であったため、ユダヤ人社会が発展した。

    そんな中、ユダヤ人解放を決定的にしたのがナポレオンだ。
    ナポレオンは積極的にユダヤ人に招集をかけ、サンへドリン(ユダヤ教における政治的・宗教的・法的な最高決定機関)を開く。
    ユダヤ人は市民として信教の自由を認められることとなった。
    その対価として、44万フローリングがナポレオンに支払われた。

    ユダヤ人たちは、ナポレオンを古代ペルシャのキュロス王(ユダヤ人をバビロン捕囚から解放)に喩えて、メシアとみなすほどの熱狂が支配したという。
    1806年に発行されたナポレオンメダルには、ナポレオンが契約のいたを持ち、モーゼにひざまずく様子が描かれている。

    ユダヤ人社会とナポレオンの蜜月時代を表すものであろう。
    その後、西欧を中心に革命と反動を経てユダヤ人解放が波及することとなった。19世紀前半には、ほぼ全ての西欧諸国でユダヤ人の市民権が賦与された。

    古代から近代にかけてのユダヤ人の歴史を余すことなく解説しているのだが、一点だけきになることがあった。

    離散したユダヤ人は大きくわけて2つの系統がある。
    スファラディとアシュケナージである。
    簡単に説明すると、スペイン・北アフリカのユダヤ人がスファラディ。
    東欧・ロシアあたりのユダヤ人はアシュケナージである。

    東欧のアシュケナージとハザール王国との関係である。
    アメリカ・ヨーロッパ・ロシアの指導者的立場の人たちの出身であるアシュケナージについて解説がされていないのが非常に残念。

    また、ドル紙幣に描かれている「唯一神への信仰告白の銘」が、なぜユダヤ教でなければならないのかについて、「市民宗教のごとき代替宗教が絶えず要請されてきた」というのは理由になっていない気がしました。

    ユダヤ教とその歴史について、理解しやすく編集されていたので、たいへん読みやすい一冊でありました。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授。
1953年生まれ。ユダヤ教研究、宗教学。主な著作に『ユダヤ教の歴史』(山川出版社、2009)、『ユダヤ的叡智の系譜』(東京大学出版会、2020)ほか。

「2024年 『パンテオン 新たな古代ローマ宗教史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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