空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)
- 山と渓谷社 (2013年7月31日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784635047517
作品紹介・あらすじ
1996年5月10日、日本人女性第2登を果たした難波康子をはじめ6人の死者を出した遭難事故がエヴェレストで発生した。アメリカのアウトドア誌のレポーターとして、公募登山隊の実態をレポートするために参加した著者が、たまたま事故の当事者となり、生存者の証言など徹底取材のすえに著した山岳ノンフィクション。世界15カ国で出版、ベストセラーとなった。
感想・レビュー・書評
-
翻訳に少し読みづらさがあるが、内容には圧倒された。いつかエベレストを間近に眺めたい。登りたいと、軽々しくは言えない。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小さな満足がいくつも重なって幸福めいたものになっていき、ひとことでいえば、クライミングに対する飢餓感がすっかり鈍っていた。
-
映像をみた後に一気読み。おそろしい!人間が、山が。(でも、人間も山も好き。)作者はこの作品を書き終えた後、自責の念は薄まったのだろうか?もう一度映像を観なおしたくなった。
-
1996年のエベレスト大量遭難の記録。あの年、エベレストでは12人が亡くなった。
遭難の一番の原因は天候の悪化。とはいえガイド、シェルパ、顧客、登頂を望む人たちにはそれぞれのバックボーンと性格があった。人災ともいえる、細かな理由が積み重なってあの惨事になったということがよくわかる。
ロブとスコットがライバル関係にあり、顧客の登頂を競ってなければ。
ガイドのロプサンやスコットが疲弊してなかったら。
ダグが去年エベレストに敗退して、ロブがそれに同情してなかったら。
台湾隊が日程を無視したために渋滞が起こってなかったら。南アフリカ隊がもっと救助に積極的だったら。
ロブホールが「まとまって行く」と決めたために、先へ行く人たちが待つことになり、そのための体力の消耗。
作者もまた、ガイドのアンディの知力が落ちているということに気づかなかったこと、帰り道に別人をアンディと誤認するというミスをおかす。
そして、作者は、テントに戻ってからは一度も救助に加わっていない。(個人的に…彼はそのことから目を逸らすために、ことさらに南アフリカ隊や台湾隊、日本隊の卑怯さを強調し、後に救助に加わったアイマックス隊などを賛美しているようにも思える。)
最大の失敗は、2時になったら引き返すという決まりを守らなかったということになるのだろう。時間を守って登頂を断念した数名は助かったのだから。
「引き返す勇気」というやつだ。
作者はロブホール隊で、登頂して生還した唯一の顧客。作家として何か持ってるのだろう。
救助に行かなかったことを批判されているけれど、彼は「生きて帰ってこれを書かねば」と思っていたのではないか。彼は命も指も失えない。その判断は責められないと思う。
日本人としての不満は、北陵で日本の福岡隊がインドの遭難を見殺しにしたと批判していること。
作者はインド隊だけの主張を書いている。福岡隊にもインタビューしろとは言わないけど、その後福岡隊がインド隊に抗議して、インド隊が福岡隊に謝罪したという事実くらいは書いてほしい。
アナトリの本は片方からしかインタビューしてないと非難するのは「おまいう」だよ。(自分も救助に行かなかった癖に…と、これは言ってはいけないことだが)
そして、極限の状態で人のために動く人たちには頭が下がる。
ダグを見捨てないロブホール、何回も救助に向かうガイドたち、迷っている人のためにキャンプで大きな音を出そうと提案するハッチソン。特にスチュアートハッチソンは、地味に意思が強くて好き。
こうしていればよかったのに、とは、その場にいないから言えること。
文章には又聞きではない迫力があり、痛ましいけど面白いです。 -
1996年5月10日にエベレストで起きた大量遭難事故。
エベレストに向かうまでの参加者の動機から如実に書き記されていた。緻密なインタビューに基づいて、一つ一つの描写が詳しく記されている。
登場人物、感情、情景に対する主観と客観が入り交じった描写によって、場面場面を体験しているかのような臨場感ががありました。迫力凄かった。 -
良きリーダーとは何か、自分がその立場だったらどう振舞うかについて考えながら読めた
-
1996年5月にエベレストで起きた大量遭難事故の詳細。
筆者自身が登山家であるため、山での描写が非常に詳しくリアルで、自分も作者と同じ場所にいるような気持ちになった。
悲劇が待っていることはわかって読んでいたが、先が知りたくて一気に読んでしまった。
この本を読んだらエベレストなんて絶対に登りたくない、と思うので、いや、読まなくても、簡単な山ではないことは知っているので、エベレストに登頂したいという人が数多くいることが理解できないが、読んでいる最中にインターネットで検索してみたら、今でも数多くのエベレストへの商業登山ツアーが存在することを知り驚いた。
冒険ではない登山を登山と見なさない人たちも、今もたくさんいて、それでも死亡事故のニュースはあまり聞かなくなったので、商業登山もいろいろ改善されてきているのだろう。 -
1996年エベレストで起きた大量遭難死事故の現場に居合わせたルポライターが書いた実話である。
実際に何人もの人が死んでいるため、この表現は不適切ではあると思うが、とても面白い、というのが正直な感想。
ハラハラドキドキでページを捲り、結末を知っているがゆえに、死に繋がる悪手の判断をする場面では、天を仰ぐことが何度もあった。
死が目前にきている極限状態であっても、人は他人のために行動する、そのことが胸を打ち、感動する。
事実、ガイドのロブホールは、顧客(仲間)を見放して下山していれば、生きて還ってきていただろう。
だが、それを選ばなかった。
複数の隊が同じ日に頂上攻撃を行い山頂付近で渋滞し体力を消耗したこと、ライバルの公募隊に負けたくないという気持ち、前年に山頂目前で撤退したダグハンセンへのロブホールの同情、いろいろな要素が重なり、この遭難事故は、起こるべくして起こったことが分かる。
登場人物の性格や背景や関係性が詳しく書いてあるため感情移入しやすく、エベレストという過酷すぎるほど過酷な環境も詳細に描かれている。
人間ドラマとしても読み応えがあるし、エベレスト登山とはどういったものかを知るためにも非常に良い本だと思う。 -
デスゾーン、映画エベレストと合わせて非常に読み応えがかった。
印象的だったのは、クラカワー自身のアンディへの無念
アンディ自身は実際に非常に追い込まれていて、チームとしたらクラカワーはヘルプに回れる側ではあっただろう。
また、ロブがダグに時間切れを告げられなかったのは、情、といっていいだろう。
あのシチュエーションで頂上を目前に引き返せるだろうか。
商業隊というビジネスモデル自体にどこかに無理があったのだろう。そして破綻したビジネスモデルは悲劇を招く。
恐らく、顧客が多すぎた、値段が安すぎたのは言えるだろう。
死亡率を考えると、マンツーマン、成功報酬型が現実的だった? -
エベレストで起こった遭難の悲劇の当事者として、その渦中にいた著者が、真実を丁寧に伝えるために書いた本だ。当然、そんな経緯の著書なので、批判にさらされることもあった。著者は出来るだけ登場人物に敬意を表しつつも、真実を伝えることに気を使ったろう。高度8000mを超えると、そこからは一挙手一投足に死を左右する判断をしなければならない。それも、低酸素で思考力がままならない状態でだ。エベレストを目指す人は、半分、いや半分以上がエベレストに取り憑かれた人で、登山に命をかけている感じだ。そんな人に、頂上を目前にして、危険だから引き返すべきだ、との判断を下すのは並大抵のことではない。登る勇気より、下る勇気の方がとてつもなく大きいと感じた。8000mを超えると最終的には誰にも自分の生死の責任は取らせられない。それが、登山の案内人のシェルパにも、登山隊長にも。そう感じた。