垂直の記憶―岩と雪の7章

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  • 山と溪谷社
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784635140058

感想・レビュー・書評

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  • 本には収まりきらない。恐怖と死の世界。だからこそ命が奮い立ち、光るのかもしれない。

    全く次元が違う。あまりにも過酷な登山に辟易する。読めば本物のクライマーの姿を垣間見ることができる。山野井さんの求めるものは果てしない。雪、氷、岩の世界。

    私は私で、日本で安全な登山を楽しむこと、無事に下山できることに幸せを感じる。海外の山々に憧れを抱くが、それ以上のものはない。それで十分かな。

    読了。

  • これも「本の雑誌」山の本特集から。単独(もしくは少人数)でアルパインスタイルにより、新ルートでの高峰登頂を目指す。これはまさに私が思い描く登山家そのものだ。気負いや自信、ためらいや恐怖もありのままに(おそらく)書かれていて、どんどん引きつけられて読んだ。

    何と言っても最終第7章、ギャチュン・カン登頂の記録がすさまじい。これは妻と二人でのアタックだが、二人とも生還できたのはまったく奇跡と言っていいだろう。この生々しさは体験した者にしか書けない。圧倒された。

    それにしても、著者の妻である妙子さんというのは、まあ実にすごい女性だ。かなり個性が強そうな著者と、登山でも生活でもパートナーとして支え合っている。いや、生活面では、山のことしか考えない著者をしっかり支えている。こういう人がいるのだなあ。

    第4章で、パキスタンのレディーズ・フィンガーというビッグウォールにアタックしたときのことが書かれているが、ここで「ポーターレッジ」という耳慣れない言葉が出てきた。岩壁を何日もかけて登るとき使う物のようだが、はて?どんな物だろうと、何気なくネットで検索したら写真が出てきて、いやまあ、これにはぶったまげた。こんな所で!こんな風に!まったく登山家という人たちは常人ではないわー。

  • 2022/10/16

  • 金の為でもない。名誉の為でもない。ただ純粋に登りたいと思った山に登る。スポンサーを付けず最小限の費用で、内なる情熱に突き動かされ、誰からの助けも借りずに。
    そしてこのことは、極限の状況で自らの命を助ける的確な判断にも繋がる。
    芸術家もにも、この内発的動機づけとなる内面からの情熱が必要だと言う。
    山に登ることに限らない。目標や目的に向かう意味、仕事へ向かう姿勢を深く考えさせられる。

  • 全体にあふれる「やりたいことをやる」という意志の強さが眩しかった。1コ前に読んだ「最後の秘境 東京藝大」が著者の意志が全く感じられなかったから余計に。

  • この作品は、著者によるヒマラヤのギャチュン・カンへの挑戦をノンフィクション作品として沢木耕太郎さんが著した『凍』のもとになった、著者自身による岸壁登攀の記録である。生い立ちからはじまり、なぜ世界の登山家を退けてきた岩壁への登攀を、無酸素・アルパインスタイルという個人中心の取り組みにより志すようになったのかがよくわかる。
    作品では自身の取り組んだ7つの岩壁、K2やチョ・オユーといった高峰やレディースフィンガーのような針峰への挑戦が、どちらかというと「たんたんと」綴られている。沢木さんの作品のような切迫感・絶望感は比較的抑えつつ、自分の視点・感覚による記録として構成しており、準備も含めこうした登攀の具体的なありさまがよく伝わってくる作品である。

  • 山野井泰史さんと妙子さん。憧れの登山家であり、憧れの夫婦だな。
    登攀の記録も興味深かったけれど、行間の合間に垣間見える、日常生活に感じ入った。お互いが死んだら木を植える(泰史さんはクヌギの木、妙子さんは柿の木)夫婦の約束や、繋がり。
    『やっぱり結婚してよかったと、ときどき、僕は思ったりしている……。』いう所で、ああいいなあと思った。
    登山家としての言葉で心にとまったのは『死はクライミングに失敗することよりずっと敗北』『クライマーの生死は、大自然が決めるのではなく、クライマー自身が決めている』であった。

  • 優れた登山家、それも、ヒマラヤのような高峰をアルパインスタイルで単独で登攀するような感覚・技術・体力に秀でた登山家の本は面白い。登山経験がないので、書かれている用語の意味が分からず、細部までは理解できていないのだが、それでも、危険、苦痛、達成感などを一定程度は追体験ができる。
    本書は、著者が遭難して死にかけ、凍傷により手足の指を合計10本も失った後、その登山を含めた7つの山行きの思い出が綴られている。孤独を愛し、世間的な価値基準の豊かさには興味を示さず、クライミングを中心とした山登りができれば何も要らないと言わんばかりの著者の生活だけでなく、その純粋さを欠いた挑戦が失敗に終わったときのことも堂々と書かれていて、そのようなことが、本書の真実味、著者の正直さを裏付けているように思われる。
    危険な登山を何度も行い、多くの仲間を山で失い、山で死ぬことや生きることの意味を人一倍知っている著者の言葉には、たとえようもない重みが感じられる。

  • 世界的なアルパインスタイルのクライマー
    山野井氏による
    登攀の思い出記である。

    凍傷で指を失うことになったギャチュンカンの登攀を含む
    それまでの主だった山行について
    の記憶と記録。

    本当に ウォールクライミングが好きなんだなということが
    伝わってくる。

    山野井は山に登っているだけではない
    そこに自分を見出しているのである。

    山にいって初めて出会える自分があるのだ。
    零下30度の 視力や 感覚がなくなりかけた
    その刹那にみえる自分と対話し、
    そのときの 空気を吸ってしまったものに

    通常の生活は 生ぬるくなってしまったのであろう。

    と 頭ではわかるが やっぱりすごいわ。

  • 786.1-ヤマ 000374454

  • 登頂への挑戦は山野井氏にとっては麻薬のような陶酔感を伴うものなのだろうか。登頂の成功よりも登り続けることの方にレゾンデートルを感じているようだ。己の命を賭けられるものを持っている人は眩しい。

  • 登山家である山野井泰史さんが自身の登山記録を
    当時の感情を踏まえて書いたドキュメンタリーです。

    山野井さんについて書かれた作品はいくつかありますが、
    やはり、本人が書いた文章だけあって説得力があります。

    また、原稿を書く仕事は好きな仕事ではないと言いつつも、
    表現は豊かですし、心情描写なども生き生きしていて、
    作家さんが書いたものと言われても信じてしまうくらいです。

    7つの山の登攀を7つの章に分け、1章で1つの山の登攀記録と
    言った体裁をとっています。

    当然、途中で登攀をやめて撤退したものや、凍傷で手足の指を
    失った登攀など、失敗したものもあります。

    どうして山に向かうのか、山を目前にしたときの心情など、
    本人にしかわからない事も描かれていて、山野井という
    登山家が身近に感じられました。

    山野井泰史という人物に興味が無くても、登山に興味が
    無くても、夢や目標を達成するには何が必要か、
    どのように準備していけばよいのかを教えてくれる本です。

  • 淡々と、1人の登山家の記録と記憶が綴られているのだが、兎に角ワクワクしっぱなしで即読了。

    読む人の人生に、多少なり影響を与える一冊の一つだと思います。

  • 山登りの自身による記録は、得てして自然と自分との葛藤であったり、自然を受け入れるしかない、と言ったお決まりのフレーズで全て語り尽くされる感があり、本書もその通りであった。しかし、後半のギャチュン・カン登攀は、壮絶な帰還の記述に思わず一気読みであった。(RJ101 AMM FCO機内で読了)

  • 登山店のゲスト講演会に参加。スライド写真を使って、自身のドラマチックな登山人生、なぜクライミングをするのか、聞かせてもらった。サイン入りの本書を購入し、2ショット写真も。内容はいたってシンプル。楽しいから山を仕事にした。単純だが実践出来るから凄い。

  • アルパイン・スタイルのソロクライマー、山野井氏の著作。
    自分には、ピクニック程度の登山しか経験がない。
    憧れはするが、自分の生きている場所とは世界が違うと感じる。

    沢木氏の『凍』
    http://booklog.jp/users/huitaine/archives/1/4101235171
    を読んだが、それに比べてご自身が書いているにも関わらず
    いっそこちらの方が淡々と描かれている様に思えたことが
    興味深く感じた。
    嘘偽りの無い事実だけを記そうとされているからだろうか。
    7章に渡る内容にも関わらず、物足りないというか
    もっともっと読みたいという気持ちにさせられた。
    作家ではないからこその生々しさ、朴訥さが、リアルさを伝えてくれる。

    勝手にストイックなイメージを持たれがちなのだろうが、
    我々一般人と同じ様に恐怖を覚えもするし、苛立つこともある。
    それが、少し不思議な気さえする。
    だが、章の合間に挿入された短いエッセイが
    山野井氏のより生の声が描かれており興味深く感じた。

    山頂という明確なゴール以外にも、どの山に登る、
    どのルートで登る、どんな方法で登るなど
    いくつものゴール方法があり、
    且つそれを見極めるのも達成したか否かを証明するのも自分自身
    というところが、シビアでもあり面白いところなのだろうと思う。

    別れ際に妙子さんの写真を撮る理由が
    生きている姿はこれが最後かもしれないというところが
    何度読んでも壮絶というか、悟りの境地とでも言うべきか
    自分の様に安穏と生きている人間には想像しかできない心情である。
    そんな写真を撮る余裕があるなら助けろ、というのは
    写真家に対するよくある批評だが、
    妙子さんのご両親の為にも遺すということに
    意味はあるのではないかと思うのだ。

    色々な挑戦の仕方があると思うので、自分はスポンサーを探すことが
    間違ったやり方だとは思わない。
    ただ、目指す物が変わってくる可能性があるだろうと思う。
    それは多分、クライミングだけでなくどの世界でも、
    たとえば音楽などの世界でも言えることだと思う。
    自分の意思だけでコントロールできなくなる。
    やりたいからやる、だけでは済まなくなる。
    そういう意味では、
    究極、自分ひとりで、単独登攀するのが一番良いとも言える。

    やり方がいくつもあって、
    たとえば酸素を使う、途中まで車で行く、下山はヘリを使うなど
    いろんな方法があって、それで本人が良いと思うならそれでも良い
    というのが、不思議であり面白くもある。
    断崖絶壁に思える厳しい岩場と自分の能力をよくよく考えて
    行けるか行けないか、どんな装備なら良いか
    全て自分で選び取っていく。
    あまりにも自由で、それが怖く、羨ましくも思える。

  • おもしろかった

  • 2013/5/23購入

  • パタゴニア創業者のイヴォン・シュイナードが言うには「本当の冒険とは、生きて帰ってこれるかどうかわからない旅のことをいう」のだそうだ。
    その意味では著者の山野井さんは単なる登山家ではなく、間違いなく冒険家だ。彼の生活も経歴も常に山を中心として成り立ってる。ストイックにそれだけにフォーカスしてて、自由というか自分に正直で自分にとっての無駄を削ぎ落とした人生を歩んでいるが伝わってくる。ぼくは登山をしたことがないから、どれほど危険かも中毒性があるのかもわからないが、頂に至ることがそれほどの快感なのかと思っていたが、著者にとっては頂での達成感もそうだろうが、それまでの過程の自然との一体感に心を奪われているように感じた。正直、8000m級の山に登る魅力は危険とストイック過ぎる環境にばかり目がいって全く魅力を感じないのだが、一度、自然との一体感を味わいたいし、頂で達成感も感じたいと思った。

  • 自分には登山とか絶対的に無理なので、登山家とかクライマーとか、山を登れる人を無条件に尊敬してします。
    あらゆる意味で、僕とは対極にある生き方かも・・・

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