トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか

  • 山と渓谷社
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  • / ISBN・EAN: 9784635140140

作品紹介・あらすじ

2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が死亡するという夏山史上最悪の遭難事故が起きた。暴風雨に打たれ、力尽きて次々と倒れていく登山者、統制がとれず必死の下山を試みる登山者で、現場は衆らの様相を呈していた。1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて証言。真夏でも発症する低体温症の恐怖が明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 注!内容を書いても中身の興味が削がれる本ではないので、ネタバレ設定にはしていません


    読んだのは6月頃。

    山は学生時代によく行っていたから、事故当時の報道を興味を持って見たのを憶えている。
    「クローズアップ現代」でやっていた、ツアーに参加した女性のインタビューの内容が、ヤマレコかなにかにあった、遭難した方の記録とダブるところがあって、すごく印象深かった記憶がある。

    低山のワンディハイクならともかく、中級山岳以上の山の「ツアー」というのは、そもそも無理があるように思う。
    だって、山というのは、ガイドがいようと、ポーターがいようと、自分が歩かなきゃならないからだ。
    歩けば疲れる。
    また、山では天候の悪化は日常のことだ。
    どんなに疲れても自分が歩かなければ帰れないし。
    天候が悪化したら、自分がそれをやり過ごすしかない。
    ガイドがいても、自分の代わりはしてくれないのだ。

    体力というのは人それぞれ違う。
    とはいえ、普通は互いの気心・体力を知っている者同士で山に行くから、そのパーティー(同士)のペースで行動できる。
    山の教科書には、よく「ペース配分として、40〜50分歩いて10分休憩が理想」とあるが、それが誰にも当てはまるとは限らないし。
    また、登りと下リや、ルートの形状や状態、天候、その他、その日の歩き出しとそれ以降でも休憩のタイミングは違ってくるはずだ。
    ツアー山行のような、年齢からくる体力の持久力や回復力の差があるパーティーであればなおさらだ。
    でも、ツアー山行というのは「団体行動」だから、休憩も行動時間も強制される。
    ここの景色がいいから休憩を20分早めてここで休憩したい、あるいは、もっと景色を見ていたいから休憩を30分にしたいと思っても、それは許されない(か、どうかはツアー山行に参加したことないのでわからないがw)。
    その点から想像しても、山のツアーというのは難行苦行でしかない(^^ゞ

    山というのは「遊び」だ。
    素晴らしい景色の場所があったら、その日の行動の許す限り、そこで自由に景色を堪能する。
    気持ちのいい場所があったら、天候の許す範囲で、思いっきり昼寝する。
    今時、中級山岳以上の山で流し素麺やバーベキューが出来るところは少ないだろうけど、それが許されるなら、それを楽しむ。
    アルピニストじゃないんだから、山に行くというのは、そういう風に“楽しむもの”であるはずだ。
    「遊び」で、40〜50分歩いて10分休憩のペースに縛られるのは愚かだ。
    でも、団体行動が優先されるツアー山行では、そんなことを言っていられない。


    そんなツアー山行で起きた、2009年7月の遭難事故。
    この本を読んで、自分なりに思う、それが起こった要因は以下だ。
    ①異常とまでは言えないものの、それでも、かなり特異な気象状況
    ②それによって、ツアー登山のデメリットがむき出しになった
    ③そして、ツアー参加者の「日本百名山」という“信仰”

    ただ、それらの要因は複雑に絡み合っている。
    そもそも、そこが「日本百名山」でなかったら、このツアー参加者はトムラウシに行こうとは絶対思わなかったはずだし。
    「百名山」でなかったら、トムラウシのツアーというものも存在しない。
    それこそ、深田久弥がトムラウシでなく化雲岳を気に入って、そっちを百名山としていたら、今日、トムラウシに行く人はほとんどいないはずだw

    個人でトムラウシに行くとなれば、それなりの経験があるはずだし。
    それなりの経験があれば、エスケープルートがあっても、それが全然エスケープルートにならないほど長時間なこのコースでは予備日を設けた計画を立てるはずだ。
    予備日があれば、ヒサゴ沼の避難小屋で停滞したはずだ。
    停滞していれば、この遭難は起きていない。
    この遭難事故が起きることとなった直接的な要因は、「予備日がないことでヒサゴ沼の避難小屋を出発してしまったこと」、まずそこにあると思う。

    もちろん、停滞せずに出発した個人のパーティーもあった。
    そのパーティーもかなりヤバイ状況だったようだけど、結果的に無事だったのは、ツアーと違って個人のパーティーで人数が少なかったからだろう。
    少人数であれば、アクシデントである北沼の渡渉も短時間で終えられるし。
    体力や力量、人となりをお互い知っているから、いよいよとなったら引き返す判断が出来るという安心感もある。
    その差は圧倒的に大きい。

    ツアー山行というのは、お客がお金を支払うことで成り立っている。
    当たり前の話なんだけど、でも、山においてそれは重要な意味がある。
    パーティーのリーダーであるはずのツアーガイドが、お客の要望を聞かなければならない立場にあるからだ。
    つまり、お金をもらっているから、ガイドは悪天候や体力技術面で山行の継続が無理だと判断しても、中止や引き返しをツアーのお客に言い出しにくい。
    一方、お客の方も、それはツアーだから、引き返したいと思う人もいれば、何が何でも登りたい人もいる。
    遭難事故を起こしたこのツアーのように、100名山完登間近のツアー客もいるから、雨だろうがなんだろうが、山頂で「トムラウシ山」の看板と写真を撮って、さっさと家に帰りたい、としか考えていない人もいる(実際いたようだ)。
    よって、ツアー客は体力面や気象面の危険性を感じても、(あかの他人である他のツアー客に遠慮して)自分の要求を言い出しにくい。
    よって、ツアー山行のパーティーは、悪天候等どんな悪い状況におかれていても、何も危険のない平時の状況としての行動(つまり、パンフレットに書かれている通り)に走ってしまう。

    ツアー会社はツアー会社で、とにかく客を集めて金を儲けたいという、(今のニッポン人が大好きなw)効率しか頭にないから、ガイドも含めて過去のトムラウシの遭難事例すら知ろうとしない。
    というか、そもそも、このコースを2泊3日って、無理だろ。キツすぎる(^_^;
    トムラウシは、自分も学生時代に計画だけたてたことがあったけど、「トムラウシはキツイ」という印象が今でも残っている。

    ちなみに、このツアーの行程、コースタイムを計算すると大体以下のようになる。
    1日目:旭岳ロープウェイ〜旭岳〜白雲岳〜白雲岳避難小屋
     旭岳ロープウェイを使って登りが少ないとはいえ、コースタイム合計は約8時間半。
    2日目:白雲岳避難小屋〜忠別岳〜化雲岳〜ヒサゴ沼避難小屋
     比較的アップダウンのすくない、なだらかなコースだけど、約9時間半。
    3日目:ヒサゴ沼避難小屋〜トムラウシ〜トムラウシ温泉
     トムラウシを越えてしまえば、あとは下りとはいえ、約10時間半。
    *コースタイムは、山と渓谷社「大雪山・十勝岳・知床・阿寒の山」による
     上記に休憩時間は含まれないので、行動時間は通常の状況で、大体この1.5倍くらい?
     パーティーの人数が多いのと、比較的年配の方が多いので、もっとかかるかもしれない
     さらに、当時は悪天候だから、さらに時間を要しているはず 

    もはや、無理! キツすぎ!以前に、こんな山行計画で誰が行くんだ?って気がする。
    ていうか、コースタイムを出してみた時、ツアー山行でこのコースタイムは無理があるだろーと目を疑ったくらい(これは健脚で、少人数のパーティーの計画だと思う)。
    北アルプスみたいな人が多い山は道が比較的整備されているから、大概はコースタイムの8〜9割くらいの時間で歩けるが。
    そうではない山は、コースタイムきっかり、もしくはコースタイムを多少オーバーすることが普通だ。
    人にもよると思うけど、個人的な経験で言うと、一日の合計コースタイムが8時間を超えると途端に疲労度が高まるように思う。
    だから、自分が学生時代に山に行っていた時は、コースタイム合計が8時間を超える日があったら、次の日はなるべく昼前に幕場に着くような山行計画をたてていた。
    だって、疲れたくて、山に行くわけではない。
    その山を楽しみたいから、そこに行くのだ。
    でも、疲れてしまったら、山を十分に楽しめない。
    その山に行ったという“記録”は残るだろうけど、楽しい思い出は残らない。
    そんな山なら、行かないほうがマシだ(^^ゞ

    連日、長時間のコースタイムに驚いたけど、ツアーなのに食事を各自で用意するというのも驚いた。
    なんでも、お湯だけはガイドが沸かしてくれるらしいのだけれど、それにしたって、食事を各自用意するのなら、ツアーの意味(メリット)はどこにあるのだろう?
    しかも、避難小屋利用だから、シュラフも持っていかなきゃならない。
    となれば、テント山行との違いは、担ぐ荷物にテントが加わるか否か、だけになる。
    なら、5人用くらいのテントを人数分用意して、3泊4日のテント泊にすれば、1日の行動がどんなに楽で余裕が出てくることか?
    テントの重量がプラスされたとしても、その方が絶対楽だろうし。
    一日の行動に余裕ができるから絶対楽しいはずだ(ていうか、なんで黒岳はカットなんだよ?)。
    もっとも、2日目は雨が強かったし。3日目は人が風に飛ばされ、ひっくり返るほどの強風が吹いた。
    だから、テントを張れたかはわからない。
    でも、テントを張れたなら、ロウソク1本でもかなり暖かくなるから。寒くて眠れなかったなんてこともなかったはずだ。

    ていうか、私企業である旅行会社が、宿泊人数に制限のある避難小屋を利用しての山行計画でツアーを実施するって、山のマナーとしてはもちろんのこと、社会的常識としてもおかしいと思う。
    また、ツアー参加者の中には百名山完登間近の人もいたということで、それだけ経験がある人が(個人の自由が制限される)ツアーを利用するというのも理解できない。

    さらに細かいことを言えば、ガイドはもちろん、ツアー客の誰もラジオを持っていなくて。パーティーにラジオがないというのも異常だ。
    今はネットがあるから(ネットと言っても、当時はケータイのネットだろうけど)天気図とかひかないのかもしれないけど、でも、天気図をひくと、それを見て、みんなであーだこーだ言って明日の天気について共有出来る、そういうメリットがあると思うのだ。
    もちろん、地上天気図を見ただけで明日の山の天気はわからない。
    でも、明日の気象のおそらくの傾向とコースについて、パーティーの全員が意識する。それは出来る。
    個々人が明日の自分の行動と明日の天気を前日に意識しておくこと、山において、それは絶対必要だ。

    さらに言えば、パーティー全員、コースの状況や荒天時にそこがどうなるか?、さらには過去の遭難事故等を山に行く前に知っておくことも絶対必要なはずだ。
    この遭難の決定的な事象となった、北沼の水が溢れていたことなんかは、ガイドはもちろん、ツアー参加者だって、荒天時にそこにはそういう危険があると、行くことを決める時点で知っておかなければならないはずだし。
    2日目の、道に泥水が溜まっていて、靴の中に水が入ったことで体力が奪われたことだって、2002年の遭難の状況を知っていれば、このコースにはロングスパッツが必須とわかったはずだ。
    ロングスパッツを着用することで2日目の体力消耗が抑えられ、かつ、衣類の濡れが少なければ、夜に安眠出来た可能性はある。
    そのことで、睡眠によって体力が少しでも回復した分、助かった人も多くなった可能性がある。

    つまり、この遭難事故が起こった原因というのは、特異な気象状況というのは大前提としてあるものの。
    個人の山行ではないからこそ、個人の山行では考えられない異常なことに異常なこと重なって結果であるような気がしてしょうがない。
    もちろん、ツアーを主催した旅行会社に大きな問題があるのは確かだ。
    でも、このツアー参加者たたちも、個人で行っていたら、個人で行っているからこそ、正しく臆病になることで、事前の対策をしたり、(危険から)逃げたりして、結果的に遭難は起きなかったんじゃないか?って気がしてしょうがない。
    この本を読んだだけでツアー参加者の人となりがわかるわけはないが。
    なんとなく想像するに、個人で行っていたら、2日目のヒサゴ沼の避難小屋では、もう一つのパーティーのように出発しないで、停滞していた人たちが大半だったように思う。
    もちろん、証言にみられるように、トムラウシ山頂の看板と一緒に写真撮ることだけが目的の人はいたわけだから、停滞しなかった人もいただろう。
    でも、それは個人山行なのだから、この遭難事故の直接的な要因に思える北沼の渡渉は短時間で終えていたはずだし。
    そういう人でも個人山行で行っていたら、北沼が溢れていたのを見て、避難小屋に引き返したんじゃないだろうか?
    どっちにしても、遭難は起きなかった可能性が高い。
    つまり、この遭難事故の原因は、特異な気象条件よりも、ツアー山行で儲けたい旅行会社とツアー山行に頼りたいお客の、お互いがお互いの危うさをずっと見ないふりしていたことが大きいように思う。


    この本の内容の感想としては、遭難の経緯を辿った「第1章:大量遭難」と、それに続く第「2章:証言」よりも、「第3章:気象遭難」、「第4章:低体温症」、「第5章:運動生理学」の方が興味深くて面白かった。
    特に、「第4章:低体温症」は、読んでいて、低体温症について前から知っていたと思っていたけど、実はこの遭難事故以降知ったことがほとんどなんだなって、そこはすごく驚かされたし。
    昔、山に行っていた頃は、ここに書かれてあるようなこと、全然知らなかったんだなーと、ちょっと怖かった(^_^;

    「第5章:運動生理学」も、自分が山に行っていた時というのは学生時代で元気だったから、大して食わなくても行動できていた面があるんだなぁーと思った。
    そういえば、一度、行動中に山用語で言う「シャリバテ」、つまり、低血糖になったことがある。
    あの時は、水場が使えなかったのとラジウス(石油コンロ)の故障で、前日、昼夕とまともなメシが食えなくて。
    次の朝も、水場が使えなくて水がほとんどないから、起きてそのまま出発しちゃったから(行動食は食べていた)、それが起きたんだろう。
    休んでチョコレート食ったら、たちまち治ったんだけど(^^ゞ
    友だちに聞いたら、後ろで見ていたら、急に酔っ払いみたいに右にフラフラ、左にフラフラしだしたんで驚いたと言っていた。
    でも、自分では、体がなんかおかしいというのはわかったんだけど、右にフラフラ、左にフラフラというのは全然気づいてなかった。
    そこが広い尾根の道だったから問題なかったけど大、もし岩稜帯だったら事故につながりかねないところだった。

    あと、これは自分が今の山のレイヤード(というか、機能性衣類)のことをよく知らないからこその疑問なのだが。
    濡れてしまった山用のタイツが体温を奪っていたってことはないんだろうか?
    タイツだから体にピタリと張り付いている。
    濡れていなければ、それは体を保温してくれる。
    でも、濡れてしまったら、衣類(タイツ)と肌の間に暖かい空気をためておく層がない。
    もちろん、山用のタイツは化学繊維だから、比較的早く乾く。
    でも、乾くということは、乾く時に(体の)熱を奪うということでもある。
    肌にピタリとついていたタイツが、化学繊維で早く乾くがゆえに、一気に体温を奪っていったということはないんだろうか?
    そもそも、その日は泥道による体力の消耗があって。さらに、自分持ちの食事ということで、十分に食べなかった可能性がある(疲れがひどいと食べられなくなる)。
    食べていないということは、体温を上げるエネルギーがないということだ。
    だから、余計寒い。
    寒いから眠れない。
    連日の強行軍の中、眠れなくて体力が回復しない状態で強風や北沼の渡渉等、過酷な状況にさらされたら、若くて元気な人だって、低体温症を起こして遭難事故に至る可能性はある。

    山用のタイツの話に戻すが、普通の山行とトレイルランは違うように思うのだ。
    確かに、トレイルランみたいな山行形態だと、タイツは(血流改善や関節保護等の機能で)有用なのかもしれない。
    でも、普通の山行でタイツって、本当に有用なんだろうか?
    普通の山行で怪我しやすいのは、膝下だ。
    岩場でぶつけたり等で打ち身や切り傷、擦り傷をつくりやすいのだ。
    山用のズボンやニッカーホースを穿いていれば、生地の厚さである程度それらを防いでくれる。
    でも、タイツは薄い。もろ衝撃がくるはずだ。
    さらに言えば、汗をあまりかかない雪山はともかく、それ以外の山行であれば、行動中(歩行中)はなるべく風通しのいい服装の方がいいように、個人的には思う(休憩時、寒いならヤッケやフリース等でこまめに防寒すればいい)。
    そういう面でも、タイツというのは疑問を感じるのだ。
    ただ、それは、あくまで山用のタイツを使ったことのない自分の意見だ。
    だから、それは全然見当違いかもしれない。
    でも、7月の普通の山行(縦走)でタイツって本当に有用なのか? 天気がよくて暑いくらいだったらバテにつながったんじゃないかと、すごく疑問を感じたこともあり、あえて書いておく。
    過去を振り返ると、山やアウトドアのブームというのは、常に装備や服装のマテリアルの流行りだった面があるのは事実だ。
    山に行く人は、それが自分の山行に合ったマテリアルなのかを考えることが必要なのだろう。


    最後、「第6章:ツアー登山」はどうなんだろうなぁー。
    自分としては上記にも書いたように、この遭難事故はツアー山行、それも百名山を登りたい人のツアーだからこそ起きた面が大きいように思うので。
    第6章の執筆者が注意して書いている部分、つまり、関係者への配慮はあえてしなかった方が問題提起としてよかったんじゃないかって気がするけどな。
    というのは、第2章:証言や、第5章:ツアー登山に出てくる、ツアー参加者がインタビューで話していた内容に反発を感じることが多かったからだ。
    だって、山は遊びだ。遊びに“効率”を求めるって変だ。
    効率を求めた結果、生じていった旅行会社とお客の馴れ合い。この遭難事故の根本はそこにあるんじゃない?
    特異な気象条件は、むしろ、たまたまにすぎない。
    というか、特異な気象が普通に起きるのが山だ。

    大雪山に行ったのは一度だけだが、のびやかなあの風景は本当に素晴らしい。
    でも、あの素晴らしさは、絶対、“効率”的には味わえない。
    とはいえ、旭岳や黒岳のロープウェイを利用して旭岳周辺、その周辺をじっくり歩くだけでも大雪山の魅力である、あののびやかさは十分味わえる。
    「日本百名山」としてのトムラウシに登りたい気持ちは全然わからないけど、でも、トムラウシに行きたい気持ちはすごくよくわかる。
    でも、トムラウシは、山に効率を求める人が行っていい山ではなかった…。
    そういうことのような気がする(^^ゞ

    • Sintolaさん

      おはようございます。
      ここまで遭難事故をしっかり分析した本があるのですね。
      トムラウシ山、昨年登りました。
      実際に頂上近辺は気候が...

      おはようございます。
      ここまで遭難事故をしっかり分析した本があるのですね。
      トムラウシ山、昨年登りました。
      実際に頂上近辺は気候が急変し、過酷な環境だったので、登頂できて本当にラッキーでした。
      もちろん、2009年の事故について調べてから行ったのですが、「景色が悪くても登れればよい」「何とか予定通りに行動したい」という義務感というか、変なプレッシャーがあったのでしょうかね。
      「正しく怖れること」「勇気ある撤退をすること(リベンジすりゃいいじゃないか)」を肝に銘じて、山行を楽しみたいものですね。
      2023/12/09
  • 記憶に新しい2009年夏のトムラウシ山で8人もの方が亡くなった遭難事故。ひょっとすると「低体温症」という病気が一般的に知られるようになったのもこの事故以来かもしれない。

    トムラウシのルポというよりは、事故報告書を参照しつつ、生存者のインタビューから事故の全貌を第一章と第二章で検証、以降は気象遭難について、低体温症の原因、病態、進行、防ぐために必要な心構えと準備について、各章ごとに専門家による丁寧な調査と考察をまとめた、サブタイトル通りの「低体温症と事故の教訓」そのままである。

    低体温症がこれほど怖いとは。
    条件によっては驚くほど短い間に発症・進行し、命をも奪ってしまう。
    山登りをするなら、この知識はしっかり持ち万全の準備をしたうえでないと本当に怖い。

    今まで山岳事故などで「凍死」と表現されていたものは、おそらく多くが「低体温症による死亡」だったのだろうな。八甲田山の雪中行軍による大量死もほぼこれか。

  • 「トムラウシ遭難の本」というよりは「低体温症遭難についてトムラウシを例に語る本」。まぁ、いまやトムラウシと低体温症遭難は対といってもいい状況なので、不適切とも言えないのかも知れない。
    登山も知ってる医療専門家が執筆する部分が全体の半分くらいを占めているのが特徴。どういうことが原因で低体温症になりそれが進行したのか、そのときどういう症状が出るのか、それを防ぐにはどうしたらよかったのか、それが詳しく書かれている。筋肉崩壊に関わる数値についての解説は興味深く。「山で無性に肉が食いたくなるときがあるのはそういうことか…」と妙に納得したりもした。
    2章の山岳ガイドのインタビューも興味深かった。事故当時38歳ということもあり、「あの状況とあの立場と歳ではな…」と同情してしまう部分もあった。
    内容的には✩5でも足りないくらいだが、「じゃあ、なんでこの本とここに書かれている内容が登山者に普及していないのか?」と考えてしまうと、やはり何かが足りないんだろう、といわざるを得ない。山岳保険屋あたりに本を大量購入させて高山の山小屋に送りつけ、談話室の一番目立つところに置かせるくらいのことはやるべきではないか?遭難を一回でも防げれば、その経費は十分ペイする。「営業が足りん」という意味合いを含め、✩4と評価したい。

  • 奇声を発する、赤ちゃん言葉になる、服を脱ぎ捨て全裸になる…他 低体温症の症状。
    今までの認識を改めさせられた。正常な思考も出来なくなるとのことで、服を着なくては 救助を呼ばなければ、という行動が取れないことも…
    なかでも1番怖ろしいと感じたのは 寒いという自覚がなく、ある時点から忍び寄るように低体温症が進行し、眠るように意識を失う、疲労との区別がつきづらいケースもあるとのこと。
    自分は単独行が多いので寒冷前線が通過するような予報がされるときは100%中止にしているが
    摂取カロリーが毎回不十分なことなどは本書から思い知らされた。
    真夏でも起こりうる低体温症。シェルターや防寒着の携行など改めて徹底しよう…

  • ちょっとした条件の違いで人間の生死って簡単に分かれるものなんだな…と怖い気持ちになった。
    ・ツアー登山でも事前の調査をしっかり
    ・体力に合わせた登山ルートを選ぶ
    ・運動量に見合った食事の携行
    ・防水を怠らない
    …などなど、教訓になることがいろいろ見つけられた(特に登山の予定はないが)

    また、冒頭にある遭難の経緯をまとめたパートで「この行動は無責任では…」と思う人物がいたのだが、その後の医学的な分析パートで低体温症の影響だったのかな?と考え直すことができた。人の思考・行動は体の状態に大きく影響されるということを知っておきたい。

  • 登山の経験はなく今後も想定していないが、とても興味深かった。
    低体温症は知識としてはあったが、その急激な進行に驚いた。特に、本書で取り上げられた事例では最もわかりやすい初期症状の震えがなく(急激な体力消耗のためと考察されている)、そうなると低体温症により判断力が低下していても本人が自覚することは難しい。そして様子がおかしいことが傍目にもわかる頃には、深刻な状態になっている。
    医師が筆を執っているため、症状や要因の解明もわかりやすく説得力があった。事故の責任のありかついても、様々な不確定要素があるなかでの判断の難しさを繰り返し述べており、真摯に感じた。検証は重要だが、世の中の大抵のことは微妙なバランスと運で成り立っているものであり、後から粗を探すことは容易いことにも自覚的でありたい。
    登山に限らず起こり得ることなので、学べてよかった。遭難し帰ることができなかった方々の冥福を祈ります。

  • 2009.7.13から4泊5日で登山ツアー会社が「大雪山系縦断コース」を企画し、15人の客と3人のガイドによる山行で8人が死亡した遭難事故を気象学、医学的観点と生存者の証言やツアー会社の在り方を検証する著書。死亡者の殆んどは低体温症によるもので、その原因は台風並の風雨が体温を奪ったことにより、運動生理学的に内臓機能や血流の低下によるとされる。夏山でありながら低体温症に陥る、標高2000m北海道の山であるがためにその恐ろしさを感じる。更にはツアー登山の実態とその問題点も指摘される。ツアー会社とガイドの責任が取り沙汰されたそうだが、山を知らないガイド任せの自立しないツアー客の自己責任もあるように思う。実力にあったツアーの選択とその山行コースの下調べや準備の欠如もひとつの原因かと。しかし、自然相手で特に山は気象の変化が読みづらく変わりやすい。この遭難事件はそうした不運があったことも否めない。いろいろ感じることがあるが、自分も雨の中、雪の中を登った経験をしたが、頂上を極めたときの爽快感は素晴らしく、登山そのものも楽しいものだが、命を掛けてまでとは思ったことはない。近くの山でも出掛けたい。

  • この事件をしって色々気になってしまい遭難系の本を読み漁ってしまったその中の一つ。
    定期的に読みたくなりそう。

  • 全く知らなかった事件。私も旅行は基本的にツアーだ。ツアー登山とツアー旅行は違うかもしれないが、リスクマネジメントの甘さを大いに指摘された気がする。それにしても会社もガイドもツアー客も誰もが低体温症について知らなかったことや、全く知らない山をガイドさせたこと、ガイド同士の連携が無かったこと、ターニングポイントにおける判断の甘さ…など読めば読むほど起こるべくして起こった遭難事件のような気がする。生存者の中には事件後も同じ会社のツアー登山に参加してる人もいて、何というかすごいメンタルだと思った。私が例えば同じ状況で生還したとしたら再び同じ会社でツアーに行くだろうか?山は安易な気持ちで行ってはいけないんだなあ…

  • 非常に臨場感があり一気に読んでしまった。
    山は恐ろしい。低体温症も恐ろしい。また兎にも角にも知識(夏でも低体温症になるなど)がやはり必要で、かつその知識を有効に活かせるかが大事なところ。この著者の他の本も読んでみようと思う。

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著者プロフィール

1961年埼玉県生まれ。ノンフィクションライター。長野県山岳遭難防止アドバイザー。山岳遭難や登山技術の記事を、山岳雑誌「山と溪谷」「岳人」などで発表する一方、自然、沖縄、人物などをテーマに執筆活動を続けている。おもな著書に『ドキュメント 生還』『ドキュメント 道迷い遭難』『野外毒本』『人を襲うクマ』(以上、山と溪谷社)、『山の遭難――あなたの山登りは大丈夫か』(平凡社新書)、『山はおそろしい――必ず生きて帰る! 事故から学ぶ山岳遭難』(幻冬舎新書)などがある。

「2023年 『山のリスクとどう向き合うか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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