- 山と渓谷社 (2025年2月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784635350020
作品紹介・あらすじ
世界を変えた思想や哲学、文学、詩は歩行から生まれた。
最高のアイデア、知性を生む様々な歩き方を偉人から学ぶ。
世界中に影響を与え、世界を動かした思想家、哲学者、作家、詩人の思索の多くは、歩くことによって生まれてきました。
歩くことは、最もクリエイテブな行為なのです。
また素晴らしいアイデアを出す歩き方にも様々なものがあります。
歩くことは、単なる機械的な繰り返しの動作以上のものであり、自由の体験であり、緩慢さの練習であり、孤独と空想を味わい、宇宙空間に体を投じることでもあります。
著者のフレデリック・グロが、哲学的な瞑想の連続を読者とともに探索しながら、ギリシア哲学、ドイツ哲学と詩、フランス文学と詩、英文学、現代アメリカ文学等の、著名な文学者、思想家の歩き方について探求します。
ソクラテス、プラトン、ニーチェ、ランボー、ボードレール、ルソー、ソロー、カント、ヘルダーリン、キルケゴール、ワーズワース、プルースト、ネルヴァル、ケルアック、マッカーシーらにとって、歩くことはスポーツではなく、趣味や娯楽でもなく、芸術であり、精神の鍛練、禁欲的な修行でした。
また、ガンジー、キング牧師をはじめ、世界を動かした思想家たちも歩くことがその知恵の源泉でした。
歩くことから生まれた哲学、文学、詩の数々に触れてみましょう。
感想・レビュー・書評
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面白かった。時に著名人の歩くエピソードが語られ、時に歩くことの思考を深め、それらが入り混じって歩くということについて考えていく。歩くと言っても、さまざまな歩き方があり、意味があることを考える。翻訳者が上手いのだろうと思うけど、途中、内容よりもとにかく日本語が心地良い文章が続き、読むことがとても心地よかった。それこそ、歩くように読むことができたような気持ちになった。とても面白かった。
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私は歩くことが好きで、歩きながら良く考えていること、歩くことで心も体もすっきりすることからこの本を手に取りました。偉人達がこのように考えて、生き抜いてきた様々なエピソードを知ることができ、歩きながらきっとまた思い返すことになるだろうな。
翻訳も素晴らしく心に沁みる。あとランボーとルソーのところが好き。ウォークスやウォールデンも読みたい。すごく素敵な本です。 -
最近仕事忙しすぎて深夜徘徊にハマってる限界サラリーマンの自分にはド刺さった。
・急いでいる時、時間はどんどん速くなる。時間が飛び去る、ということは、急いだその時間のために、結局、一日の長さが短くなるということだ。
・仕事をし、キャリアの機会を逃さまいと気を抜かず、人のものを自分のものにしたくなり、スピードアップをはかり、人がどうしているのかを気にかける。いつも、いつも、そうやって何かをしているけれど、存在はしているのだろうか?
・歩くことは時間の無駄であり、浪費であり、いかなる利益も生み出さない、死んだ時間だ。
だが、わたしにとって、私の具体的な生にとっては確かに益がある。 -
正直にいうとやや内容が雲を掴むような感じで捉えどころがなく難しかった。
全てを受け止めることはできなかったが、とっつきやすい部分もあった。
ところどころ登山に関する話もあり、自分の脚でたどり着いた世界が何なのか、なぜそれが良いのかを考えさせてくれた。 -
歩くことか、空っぽになるためにも大切である。
肉体と精神は繋がっている。 -
1. ランボーの逃走の欲求
- 背景: ランボーは冒険心や逃走の欲求を持ち続け、様々な地域を旅する。
- 経歴: 彼はアデン、ハラール、マルセイユ、シャルルヴィルなどを行き来し、度々病気にかかる。
- 職業的活動: 商業活動を行いながらも、常に新たな挑戦と冒険を求める。
2. 旅の詳細
- 一八七五年からの旅: スイスを経由してイタリアに向かうも、資金が尽き徒歩で移動。
- ハラールへのキャラバン: 300キロ以上の厳しい道を馬で進み、二週間以上かけて到達。
- 商業活動: コーヒー豆の選別などの仕事をしつつ、常に新たな計画を立てる。
3. 冒険と失敗
- 一八八五年の計画: 大量の武器をメネリク王に売る計画を立てるも、協力者を失い、経済的に行き詰まる。
- 病気との闘い: 彼の健康は常に脆弱で、特に熱病による影響を受ける。
4. 自由の探求
- 自由の概念: ランボーは自由を求め、常に新たな経験を求め続ける。
- 歩行と自然: 歩くことで得られる自由や自然との結びつきを強調。
5. 孤独と内面の探求
- 孤独の価値: 孤独の中で自分自身と向き合い、自然との一体感を得る。
- 内面的な対話: 歩行中に自分の身体や魂との対話が生まれる。
6. 歩行の意義
- 哲学的な視点: 歩行は思考を促し、内面的な探求の手段とされる。
- カントやニーチェの考え: 歩行が創作や思索において重要な役割を果たすことが示される。
7. 結論
- ランボーの生涯の意義: 逃走の欲求は彼の人生の中心であり、冒険と自由を求め続けた姿勢が彼の作品や思想に影響を与えた。
- 日常への帰還: 旅の終わりには日常に戻るが、その中でも自由と冒険の精神を忘れない。 -
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山歩きや散歩など、身体を動かすことなくして思索はできないと数多の哲学者や思想家、そして詩人が随所で語っています。本書はこうした数々の先人の著作や言も引きながら、歩くということの素晴らしさを語るエッセイのようなテイストです。タイトルにある哲学という言葉に怯む必要は全くなくサラサラと読むことができます。本書が「山と溪谷社」から刊行されているのも宜なるかな、読めばわかります。純粋に歩くということの魅力の詰まっている本です。
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歩くことは、スポーツではない
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「訳者あとがき」で触れられている通り、本書で取り上げられている歩く哲学者たちは、総じて男性ばかりであった。初版の段階ではなかった「献辞」が、さりげなく新版で加えられたことを、訳者は「そっと指し示す」と表現していて、それでいいのか?とも思ったが。まあいいか
本書で触れられている通り、歩くという営みは、中から外へ、あるいは外から中へ、つまりは家という居住空間から飛び出し、それを所有し、融和していくような過程である。それならば、歴史的にみるときやはり、歩くということ、ただ生活空間のその先へと踏み出していくという行為が、いかに女性たちにとって非日常であったのかは容易に想像がつく。そのあたり、レベッカ・ソルニットの歩くことの考察は、同じ「歩く」ということのアンソロジーであっても、自分にとって相当の説得力をもつものだったなと、この本を読んで再評価した。
本書で触れられていたソローの『冬の散歩』の一節がとても気に入ったが、日本語訳はないようだった。 -
部屋でじっとしていても何もならない。
とりあえず歩け、ということ。 -
歴史上の哲学者達が歩くことと思想をどう捉えたか
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フレデリック・グロ
1965年生まれ。パリ政治学院政治思想学教授。パリ高等師範学校(ENS)に学び、1999年にフーコーについての研究によりパリ第12大学博士号を取得。『歩くという哲学 世界を動かした小説、詩、哲学は、歩行によって生まれた』より
「ソローは朝を信じている。というよりも、朝は人に信じさせる力を持っていることを知っている。歩く時には、世界の誕生に寄り添えるように、明け方に出発すべきだ。まだ青い時刻には、自然の鼓動が感じられ、我々の意志など何ほどのものでもないということが感得される。意志することとは、寄り添うことの対極にあるからだ。朝に歩く時は、急に回れ右をしたり、何かを決意したりすることなく、ただ一歩一歩、朝を追いかけるだけだ。一日が始まるということは、とにかく間違いのないことなのだから。もうすぐ日が昇り、すべてが始まるだろう。どれほど厳粛で声高な改心の決意も、たいていは脆いものだ。一日というものは、決して一大決心のようには訪れない。朝に歩いてみると、意志の力によらない、自然な始まりの力を知ることができる。」
—『歩くという哲学』フレデリック・グロ著
「そう、「歩く者」は、王者なのだ 88。大地が彼の領土である。「必要なもの」をひとたび獲得した者は、もはや不足を感じることはない。なぜなら、それはどこにでもあり、誰もに属し、かつ、誰のものでもないからだ。そこから、究極の逆転が生じる。豊かさが貧しさに、貧しさが豊かさに転じる。」
—『歩くという哲学』フレデリック・グロ著
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