ビジネスの歴史 (有斐閣アルマ)

著者 :
  • 有斐閣
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784641122284

作品紹介・あらすじ

これまで大企業を中心に管理手法や制度の説明に力点を置いてきた「経営史」を、中小企業を含めモノとサービス、そして金融取引のあり方の盛衰をも含めて事業(ビジネス)をトータルに捉えて説明する「ビジネス・ヒストリー」の新しいテキスト。

感想・レビュー・書評

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  • SY7a

  • ひと昔前の経営史の教科書。従来の経営史の教科書(ふた昔前の教科書に相当する同じ有斐閣の『経営史』など)との差異化を図るため、従来の製造業の大企業中心、国単位の叙述を廃し、地域に根差した中小企業やサービス業についても論じられており、タイトルもそれまでの「経営史」から「ビジネスの歴史」と改められている。

    製造業の大企業の組織の変遷や労使関係に関してはふた昔前の教科書である有斐閣Sの『経営史』(1987年)の方が、記述が詳細であるものの、本書にはアメリカ合衆国の企業や研究所による新技術の開発について多くの章が割かれており、トランジスタ、コンピュータ、マイクロプロセッサー、パソコンなど、1940年代以降に発展したIT技術産業についての概要を知る事ができることが大きな強みとなっている。両方合わせて読めばそれが一番良いだろうけれども、どちらか一冊を選べと言われたならば間違いなく後者を薦めるものである。

    2004年刊行であるため携帯電話、iPod、スマートフォン、GAFAやアリババやtwitterなどの21世紀以後に発展した製品やサービスや企業については記述が無いものの、今後の経営史の教科書では恐らくその部分が大幅に加筆されていることであろう。

    【メモ】
    ・19世紀のヨーロッパで機械導入が進んだ産業は素材産業である繊維産業と鉄鋼業だけであった(7頁)。地理的にも大陸欧州でイギリスから近代工業が伝播したのは、ベルギー、北フランス、スイス、ドイツのライン地方など、北西ヨーロッパに限られた(4頁)。ヨーロッパでもその他の中欧、南ドイツ、スイス、南フランス、北イタリアなどでは在来型の手工業が発展した(23頁)。リヨンの織物業、ゾーリンゲンの刃物業、ジュラの時計業(アナーキストであるクロポトキンが時計工と出会った地である)、プラハのガラス、デルフトの陶器、北イタリアのリボンなどが機械化しなかった地域での在来型手工業の例である。

    ・株式会社が登場し始めるのは、イギリスでもフランスでもドイツでもおおむね1860年代から(35-36頁)。フランスで初となる投資銀行である商工業一般金庫が生まれたのは1837年、本格的なものであるクレディ・モビリエが生れたのは1852年とこの分野ではフランスは各国を先行しており、フランスのクレディ・モビリエを模範にドイツでもダルムシュタット商工業銀行(1853年)、発券銀行(1853年)、南ドイツ銀行(1855年)などが生まれ、鉱工業や鉄道への投資を進めた(36-39頁)。

    ・18世紀まで国際金融の中心だったアムステルダムを、手形交換所の設立(1773年)や保険業の成立などのソフト面での充実によってロンドンが追い越すのはナポレオン戦争中の19世紀初頭(11-12頁)。第一次世界大戦を契機にアメリカ合衆国が債権国となった後、ロンドン=シティの凋落は1931年に始まり、ブロック経済化と第二次世界大戦を挟んでニューヨークが国際金融の中心となるのは1950年代(236-241頁)。

    ・本書では有斐閣S『経営史』で自明とされていた、19世紀の工場の労務管理は、会社が直接労働者の管理を行うのではなく、熟練工(親分)が不熟練工(子分)を会社に代わって管理する「内部請負制」であったという説に異議を唱えている(49-50頁)。19世紀の近代的労働者が低賃金・長時間の労働を強いられていたという従来のイメージは、不熟練工に限れば真実に近いらしい(48頁)。逆に熟練工が強い裁量を持ち、経営者も容易に統制できなかったことも真実らしく(49頁)、この点を私が判断する術は現状存在しないが、労働者の内部格差問題ということに帰着するのかもしれない。

    “ 内部請負制が見られたのは,一部の産業や工程であった。製鉄所の高炉,圧延・仕上作業,造船業の鉄工作業がそうであった。これらは,半熟練主体とする職場であった。その割合は,19世紀後半の工場全体の雇用の数パーセントを占めるにすぎなかった。内部請負制が行われた工程では,労働力の内部化が進んでいたが,これは逆に言えば,イギリスをはじめヨーロッパでは,一部の分野を除いて近代的工業部門に内部労働市場は発達しなかった,ということもである。”(本書50頁より引用)

    ・日本の場合、江戸時代に既に専門的に経営を担う奉公人がいたことにより、所有と経営の分離は成立していた(154頁)。

    ・トランジスタの開発はAT&T社の関連研究所であったベル研究所の研究員、ショックレーによるもので1947年のことであった(202頁)。当初民需では採算が取れなかったため、陸軍の通信部隊が最大の市場となった(202-203頁)。1952年にAT&T社は独占禁止法対策のためにトランジスタの特許を公開する(203頁)。ショックレーは1957年にフェアチャイルド社を立ち上げ、シリコン・トラジスタの発明により真空管への技術的優位を決定づけるプレーナー技術を発明する(204頁)。インテル社はこのフェアチャイルド社の職員が
    スピンアウトしてできた企業であった。

    ・集積回路(IC、マイクロチップ)の開発は1961年(205頁)。

    ・1945年の最初のコンピュータであるエニアック発明後、それまでパンチカード計算機の会社であったIBMが1952年に701型を発売し、701型は冷戦構造の中で軍需によって先行のレミントン・ランド社を追い抜く(208-212頁)。

    ・コンピュータと半導体はインテル社によって開発されたマイクロプロセッサーにより、1970年代に一体化する(341-343頁)。初めてのパーソナル・コンピュータの原型となるアルテア8800の発売は1975年、ビル・ゲイツとアレンが1976年にマイクロソフト社を創業して発明したプログラミング言語BASICの影響もあり、オタクを中心に独自の発展を遂げる(345-346頁)。1977年に創業したApple社のAppleⅡにより、パソコンはオタクの趣味を抜けて事務処理機能を備えるに至る。ここから書かずとも皆知っているパソコンの世界が始まる。

    ・日本初のスーパーマーケットであるダイエー1号店が開店したのは1957年9月、大阪であった(309頁)

    ・イタリア北部の大工場(本書には記述がないがフィアット社の自動車工場などであろう)は1950年代の会社の存亡がかかるほどの大規模な労働争議の末、少なからぬ熟練労働者やホワイトカラーが会社から出て行ったとのことが、中小企業の活力の源泉となったとのこと(377-380頁)。

  • テーマ史

  • 読みにくいが、ビジネスを俯瞰できるので読む価値はあると思う。

  • 非常に濃厚な本。
    軽工業から重工業、ITに至るまで、ヨーロッパ、アメリカ、日本など幅広い地域の産業の歴史について語る本。

    歴史的に、カルテルを結ぶことはよく行われてきたし、
    市場を独占することは何度も試みられていた。
    しかし、市場を独占しても、参入障壁があまりないのでは、独占の価値がなく、とても無様に散っていく例も挙げられている。

    ビジネスの歴史はそれほど長いものではないが、過去の先達が起こした失敗を、今でも我々は繰り返している。

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授

「2014年 『ソーシャル・エンタプライズ論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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