大学で学ぶ 東北の歴史

制作 : 東北学院大学文学部歴史学科 
  • 吉川弘文館
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本棚登録 : 39
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642008341

作品紹介・あらすじ

日本の歴史を、「東北」から見るとどのような姿になるのか。日本史の流れに東北の歴史を位置付けるために最適なテーマを選び、遺跡・争乱・人物や自然災害など東北独自のトピックスを盛り込んだ通史テキスト。簡潔な章立てと、わかりやすい叙述で、高校生・大学生はもちろん、歴史愛好家や社会人など、歴史を学びなおしたい人にも最適な入門書。

感想・レビュー・書評

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  • 「大学で学ぶ東北の歴史」という素気無い題名に、そんなに期待しないで軽い読み物として手にしましたが、どうしてどうして濃厚で豊潤で面白く、自分にとってはツンデレ本でした。原始・古代、中世、近世、近代・現代という通史は高校の日本史で体験しているつもりなのですが、①大学というグレードアップ②東北という領域限定によって、なにか初めての感覚が揺さぶられました。①は日本史だけでなく考古学、民俗学、さらにはアジア史、ヨーロッパ史と大きな問題意識を持ち込んでいて、②は、これは個人的に自分の出身地という当事者意識で読めたような気がします。特に京都や東京を中心とする日本史において東北の歴史は付随物のように思えていましたが、東北の統治の問題が中央政権のあり方を変える、という気づきは大きかったです。自分の中でのモヤモヤゾーンの鎌倉後期から室町の始まりをもうちょっと勉強したいと思いました。本書の巻末コラムにある「情報との向き合い方 より深い学習のために」で、ハーバート・サイモンの説く「関心の稀少性」というキーワードに触れた時、本書によって得られた感覚は、これだな!と気が付きました。やっぱり、これからはテーマ読書なのかも。でも、期待しないで読む、こういう本との出会い方もあるからなぁ。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/533825

  • 大学教養レベルを念頭に、東北の歴史を通史的に扱った一冊。東北学院大学の歴史学科編纂。吉川弘文館発行。

    東北の歴史は、文字史料が相対的に少ない時代が多くなかなか解釈の難しい所がある。そこを当然のごとく踏まえたうえで、「ここまでは正しいといえる」部分をちゃんと踏まえて、それをどう考えていくかまで意識して書いてくれている一冊。当たり前のようですが…それを一定の読みやすさも維持したうえで書いてる教科書ってありそうでない。

    興味深かった記述をいくつか。
    まず弥生時代の東北は、西日本と同じく水稲農耕を基盤にしていたものの、環濠集落や高地性集落がないし、墳墓に大小の差があまりないことから、「有力支配者層のいない社会だった」という部分(p.22あたり)。歴史知識のない人間からすると何を読み取ったらいいかわからん出土品からその社会性を読み解くことができることも驚きだったし、「コメは備蓄できるから資産になる→支配者層ができやすい」という常識は必ずしも真ではないらしい、というのも驚きだった。

    坂上田村麻呂前後の東北統治が、さらっと日本史を学んでいる人間がイメージするより全然統治できていないことも興味深かった。
    水稲栽培が広まっていることと、ヤマトと同じ社会観・価値観を共有することは全く別(それが別でないなら、日本は大陸や半島の統治をもっとうまくやれていたはず)。価値観のすりあわせをしないまま、力任せに勝ち負けを決めたところで、結局なにも解決しないんだな~、という事実を、はるか昔の東北でヤマト政権はすでに突きつけられていたんだな、というのは興味深かった。

    中世~近世への城の変遷から社会構造を読み取る旨の記述も興味深く。
    戦国時代の東北の城は「群郭式城郭」という「中心がはっきりしない構造」の城が多いらしく。それはタテではなく「ヨコの権力構造(p.102)」を持つ組織であったことを示唆するらしい。
    その後織豊期に入り、石垣などを持つ「織豊系城郭」が東北にも増えるんだけど、それもその前の群郭式城郭を部分的に改築したものが多く、織豊系城郭の条件を全部備えるものは少なかったのだとか。

    城跡に関しては、三陸地域での高台移転工事にかかわって発掘例が増えている、とも聞く。それに関する書籍が積読になっているので、この背景を理解した上で再読せねばな、と思う。

    「遠野物語」を書いた柳田國男氏が、明治三陸津波の25年後に書いたというエッセー(『二十五箇年後』)も興味深い。
    高台移転する余裕があったお金持ちはその後商売がうまくいかず、食うのが大事と浜辺にもどった者の方が生活がうまくいっている、という旨の記述(p.196-197)。
    それが今にそのまま適応されるかはわからないとこはあるけど…そういう観点ももって今後の東北沿岸部を見ていかなければならないのかな、と思う。

    チャグチャグ馬コが必ずしも本来あった「農耕馬の無病息災を願う」という目的そのままにひきつがれているわけではなく、そのときそのときの地域の産業構造や背景の影響を受けて変遷しているという分析は、東北に限らず「歴史的伝統的なにか」を解釈するうえで参考になる(p.203)。同様の指摘は東日本震災後に津波被災地のあちらこちらで出た祭事復興に関する記述でも指摘されていて、(p.237-)津波被災地の今後を考える上でも大切な観点だと考えられる。

    p.246からの「特論」と銘打たれた6ページのエッセー(?)は、東北外の読者必読の一節。
    相馬在住の筆者が、原発の影響を気にしながら過ごした時期の心情を淡々とした文体で語りあげている。
    筆者が避難しなかったことを、まわりには「何、びっくらこいて腰を抜かして動けなかっただけよ」とはぐらかしてしまういかにな「東北人しぐさ」(それを素朴さ、とよそ者は文字通り解釈してしまってあとでえらい目に遭うw)、大学の教授と言えども当然のごとく把握している農事暦とそのとおりには行かぬ状況との板挟み、相馬の農民がこぞって5月12日に田植えを行ったことの意味。
    機会があったらぜひこの6ページだけでも(立ち読みでもいいから)読んでほしい。



    最後に…この本は「その内容=東北」を、「東北の中の人」と「東北のよその人」がそれぞれどう評価するのか、という観点が必要な本だと思う。
    この本を自分が購入したのが9月28日。たまたま仙台にいて数店の本屋を巡ったのですが、この本を「平積み」にしていたのが「全国系」の書店であったのは気になっているところ。郷土書籍に強い地場資本書店の金港堂にはおいておらず…結局、仙台を出る直前に駅ビルに入居している全国系の書店(くまざわ書店)で購入した。そもそも2020年10月1日発行の本なんで…全国系書店だけがフライング販売していた可能性もあるが…その後の展開は気になる。

    そして…この本を読む「東北の歴史を今作っている人たち」がどう解釈するのかがもっと気になる。おそらく編纂した東北学院大学の学生は教養課程で確実に読まされることになるであろう教科書。この教科書を元にどのような授業展開をするのか、そしてそれを読む多くの「東北の中の人」と少なからずの「東北のよその人」がそれをどう受け止めたのか。
    もし…機会があればそういうことを記事にしてほしいな、と。

    「東北に10年強住んだことがあるよそもの」には楽しく、そして刺さるところも多い一冊でした。

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