現代語訳 吾妻鏡 6 (現代語訳 吾妻鏡)

  • 吉川弘文館 (1899年12月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (284ページ) / ISBN・EAN: 9784642027137

作品紹介・あらすじ

関東の王者となった頼朝の開催した富士の巻狩の場で突発した曽我兄弟の仇討ち。東大寺再建供養による頼朝の二度目の上洛。そして頼朝の急死によって重石を失った幕府は、若き鎌倉殿頼家の失政と有力御家人間の対立の激化により、混迷の時代に突入した。まず、頼朝以来の将軍近臣であった梶原景時が、御家人らの糾弾により失脚し、滅び去る。

感想・レビュー・書評

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  • 1193年~1200年の『吾妻鏡』の記述。
    ・本巻の政治情勢
    ・吾妻鏡 第十三 建久四年(1193)正月~12月
    ・吾妻鏡 第十四 建久五年(1194)正月~12月
    ・吾妻鏡 第十五 建久六年(1195)正月~12月
    (欠)1196~1198年と1199年正月
    ・吾妻鏡 第十六 正治元年(1199)2月~12月
    但し、3月までは建久十年。4月に正治元年に改元。
            正治二年(1200)正月~12月
    本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。
    付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。
    大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。

    後白河院の一周忌が終わり、諸国で狩猟が解禁。
    そんな中、建久四年の富士の巻狩で曾我兄弟の仇討ちが。
    黒幕の言及は無いけど、源範頼が配流されたり、
    追放や出家となった者がいたりと、何かを匂わせている。
    建久6年の頼朝の2度目の上洛は、東大寺の再建供養。
    欠けた記述の時期は、関白・九条兼実の失脚と大姫の死。
    後鳥羽上皇の院政開始。1199年正月13日に頼朝の死が。
    正治元年からは源頼家の時代となり、頼家VS重臣たちの
    十三人の合議制が始まる。そして梶原景時の失脚へ。
    御家人66名の訴状ってのが、実力者の名前がずらりで凄いけど、
    北条家の方々がいないのですね~。それと第十四あたりから、
    北条家の名前がだんだん多く登場してきています。
    のちの泰時の13歳での元服、頼朝の御加冠とはいえ、詳細だし。
    反面、頼家の過ち?があちこちに登場・・・どうなる?頼家!
    それにしても1196~1198年と1199年正月が欠けているのは残念。
    新発見で出てきたら嬉しいけど、難しそう。

  • 貸出状況はこちらから確認してください↓
    https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00209599

  • 頼朝が亡くなり、頼家の代となる。
    頼朝の死の直後までの数年分が欠落している。
    頼家批判が随所に見られる。

  • 淡々と、大事件が必要最小限書かれていて、尚且つ、贔屓側目線なので、身も蓋もなく驚かせられる。
    人妻を寝とった美男子が、ぶっ殺されて悲哀をかうとか
    小さいつまづきを、揚げ足取って関連の人々陥れて成敗されるとか、さらりとドロドロな鎌倉幕府。
    記述が空いてるなー、と思ったら、頼朝さん亡くなってるし!後継者の息子はけちょんけちょんだし。
    セキララでコワイです。

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著者プロフィール

1946年生まれ。東京大学・放送大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(文学)。専門は日本中世史。著書『院政期社会の研究』(山川出版社)、『吾妻鏡の方法』(吉川弘文館)、『中世のことばと絵』(中公新書)、『絵巻で読む中世』(ちくま学芸文庫)、『書物の中世史』(みすず書房)など。

「2019年 『中世史講義 院政期から戦国時代まで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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