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Amazon.co.jp ・本 (324ページ) / ISBN・EAN: 9784642027144
作品紹介・あらすじ
頼家が将軍となるが、病気を契機に実権を奪われる。これに不満を抱く比企能員は北条時政に討たれ、頼家は出家、程なく修善寺で没する。かわって実朝が将軍になるが、今度は平賀朝雅将軍擁立計画が露見、これに関与した時政は出家し伊豆に隠居。時政の子義時が幕政を主導、和田義盛との合戦に勝ち、義盛の保持した侍所別当の地位を手中にした。
みんなの感想まとめ
物語は、頼家と実朝の代を通じて、北条氏が権力を掌握していく様子を描いています。頼家の将軍就任から始まり、彼の病気や出家、さらには実朝の将軍としての葛藤が展開され、権力争いの緊迫感が伝わってきます。特に...
感想・レビュー・書評
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1201年~1213年の『吾妻鏡』の記述。
・本巻の政治情勢
・吾妻鏡 第十七 建仁元年(1201)正月~12月
但し、1月までは正治三年。2月に建仁元年に改元。
建仁二年(1202)正月~12月
建仁三年(1203)正月~9月
・吾妻鏡 第十八 建仁三年(1203)9月~12月
元久元年(1204)正月~12月
但し、1月までは建仁四年。2月に元久元年に改元。
元久二年(1205)正月~12月
建永元年(1206)正月~12月
承元元年(1207)正月~12月
但し、9月までは建仁二年。10月に承元元年に改元。
・吾妻鏡 第十九 承元二年(1208)正月~12月
承元三年(1209)正月~12月
承元四年(1210)正月~12月
建暦元年(1211)正月~12月
但し、2月までは承元五年。3月に建暦元年に改元。
・吾妻鏡 第二十 建暦二年(1212)正月~12月
・吾妻鏡 第二十一 建保元年(1213)正月~12月
但し、11月までは建暦三年。12月に建保元年に改元。
本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。
付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。
大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。
梶原景時の与党による反乱がある一方で、蹴鞠三昧の頼家の姿。
千葉常胤、新田義重等の重鎮の死去。阿野全成の誅殺。
比企氏の滅亡は何やら改竄された感じが漂っている。
次いで、頼家は幽閉され、近習たちの遠流、
そして頼家23歳での死はその事実しか記録されていない。
1203年、実朝征夷大将軍に。12歳で元服。
畠山氏の滅亡からの北条時政の失脚と、平賀朝雅の誅殺。
ついに北条義時が表舞台での権力を握る。
第二十一は和田合戦の記録で圧倒の量。
重鎮の逝去の他、出家、誅殺、遠流、一族滅亡と、
血腥い権力争いの果ての、幕府上層部の刷新ですね。
北条氏だけでなく、中原(大江)広元や三浦義村、二階堂氏、
三善康信等の名前も頻繁に登場するようになりました。
反面、頼朝の親族の記事の少なさ。頼家の死はほんの僅かな
記録だし、数年前に配流された範頼は皆目出てきません。
実朝は和歌に心を寄せながらも政治にも参画し始めました。
その前後から、朝廷との遣り取りも増加し、
こちらも後鳥羽院の動きが活発になり始めています。
また、1208年の三善康信の家火事で、文庫に収蔵されていた
累代の文書が灰燼に。せめて「吾妻鏡」編纂時まで、
これらの文書があったらと残念に思ってしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00213391 -
頼家は犬を飼っていたのか。
建仁三年(1203)年正月少ニ日
「今年中に関東で事件が起こる、若君(一幔)が家督を継いではならない〜」と大菩薩から巫女を介して託宣があった。
のに、蹴鞠してるw
1203年九月十五日
阿波局が尼御台所に「千幔は時政んちにいるけど、牧の方は何かにつけて笑顔の中に害心が含まれており、守役として信頼できない。」って言って、義時、義村、結城朝光に迎えに行かせた!
1213年5月21日
和田合戦の後、大地震が起きた。
その後も地震頻回。
頼家は蹴鞠、実朝は和歌。 -
頼家、実朝の代を通じ、畠山重忠、和田義盛を滅ぼし、北条氏がついに実権を握る。いや、恐ろしい話ばかりだ。
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太宰治の「右大臣実朝」を読むために借りた。該当部分だけ拾い読み。訳が読みやすい。
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