本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (300ページ) / ISBN・EAN: 9784642027151
作品紹介・あらすじ
将軍実朝の迷走と、その殺害から承久の乱までを描く。承久元年(一二一九)正月、実朝は鶴岡八幡宮社頭で兄頼家の遺児公暁に殺害される。同年七月、新鎌倉殿藤原頼経が鎌倉に下向。承久三年(一二二一)幕府の混迷を見た後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を発する。政子の大演説により御家人結集に成功した幕府は大軍を派遣、朝廷軍と対決する。
みんなの感想まとめ
政治情勢の変動と文化的交流を背景に、将軍実朝の悲劇とその後の承久の乱を描いた作品は、鎌倉時代の激動を生き生きと伝えています。実朝は、兄の遺児公暁に命を奪われ、その事件を契機に鎌倉と京の関係は不安定にな...
感想・レビュー・書評
-
1214年~1221年の『吾妻鏡』の記述。
・本巻の政治情勢
・吾妻鏡 第二十二 建保二年(1214)正月~12月
建保三年(1215)正月~12月
建保四年(1216)正月~12月
・吾妻鏡 第二十三 事書
建保五年(1217)正月~12月
建保六年(1218)正月~12月
・吾妻鏡 第二十四 承久元年(1219)正月~12月(欠)4~6月
但し、3月までは建保七年。4月に承久元年に改元。
承久二年(1220)正月~12月
・吾妻鏡 第二十四 承久三年(1221)正月~12月
本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。
付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。
大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。
承久の乱における幕府方の進路。
天皇家系図、清和源氏系図、北条氏系図。
将軍・実朝を中心に繰り広げられる、京と鎌倉の文化的交流と、
往還の活発化。下向する朝廷関係者も増える。
鎌倉殿としての政策を打ち出す実朝だが、公暁により殺害される。
将軍の後継問題からの鎌倉と京の関係は不安定となり、
承久の乱が勃発。
勝利した鎌倉幕府は、朝廷よりも優位な時期を迎える。
北条氏一族の名があちこちに登場していますが、
特に政子と泰時の記録の数が増えています。
地震や大風の天変地異や、白虹、月蝕や日蝕、不吉な徴、
多い火災に霊夢など、凶兆や吉兆も多く記されています。
実朝が中国に渡るための唐船の失敗も、同様か?
公暁の不審な行動も記されています。
そのクライマックスが、公暁による実朝の殺害。
御拝賀の行列の詳細から事件とその後が、事件簿のような印象。
そして承久の乱は、鎌倉側からの視点で記録されています。
特に宇治川の合戦は戦記の如くで、他にも合戦はあったのに、
もの凄い分量の記録になっています。
東海道の大将軍の一人が泰時だったからでしょうね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
貸出状況はこちらから確認してください↓
https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00219703 -
建保3年(1215年)やたら地震。9月の記述はほぼ地震。
建保4年11月。
前世に住んでた医王山に参拝したいから唐船を作るとはw義時と大江さんに苦言を言われるも、造船決定。完成後、由比浦に浮かべようとするが浮かばず、船は空しく砂浜で朽ちた…。
建保5年(1217年)6月。
頼家の息子公暁が尼御台政子の命により鶴岡八幡宮別当に。仏堂修行のため園城寺に住んでいた。
承久元年(1219年)1月。
実朝が公暁に殺される。大江広元さんがなんかやな予感がするから、腹巻(甲冑)つけてって言ったのに、仲章が大臣・大将に昇進した人が、そのようにしたことはありませんなんて言ったもんだから、甲冑つけなかったって!おぅ、仲章…。 -
北条時政が死去し、名実共に北条義時が幕府の実権を握る。そして実朝が暗殺され、公家将軍を迎えることとなる。
承久の乱では後鳥羽院を破り、公家政権は崩壊。鎌倉幕府が頂点に立った。
と、激動の時代を伝えた一冊だった。 -
さらっと実朝が、殺され、さらっと公暁も始末された。淡々と物事が書かれている反面、妙に詳しく合戦に加わった人の事が書かれていたりもする。
忖度? -
「右大臣実朝」を読むために、該当部分のみ拾い読み。
-
5月新着
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
五味文彦の作品
本棚登録 :
感想 :
