現代語訳 吾妻鏡 12 宝治合戦 (現代語訳 吾妻鏡)

  • 吉川弘文館 (2012年11月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784642027199

作品紹介・あらすじ

寛元四年(一二四六)三月、北条時頼が執権に就任する。閏四月、前執権北条経時が死去するや反時頼派の前将軍藤原頼経と名越氏らが策動。これに対して、時頼は七月、頼経を京都に送還することに成功。宝治元年(一二四七)六月五日、北条氏・安達氏と三浦氏との間に宝治合戦が勃発し、幕府草創からの功臣で幕府に重きをなした三浦氏は全滅した。

みんなの感想まとめ

政治情勢が激しく変化する鎌倉時代の様子を描いた本書は、北条時頼の執権就任から宝治合戦に至るまでの緊迫した状況を詳細に記録しています。特に、反時頼派の動きや、三浦氏の急速な滅亡は驚きをもって受け止められ...

感想・レビュー・書評

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  • 1244年~1248年の『吾妻鏡』の記述。
    ・本巻の政治情勢
    ・吾妻鏡 第三十六 寛元二年(1244)5月~12月(第三十五と重複)
             寛元三年(1245)正月~12月
    ・吾妻鏡 第三十七 寛元四年(1246)正月~12月
    ・吾妻鏡 第三十八 宝治元年(1247)正月~12月
    但し、11月までは寛元五年。1月に宝治元年に改元。
    ・吾妻鏡 第三十九 宝治二年(1248)正月~12月

    注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。
    鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。
    天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。

    藤原頼経の子息・頼嗣が6歳で征夷大将軍を宣旨、
    頼経は27歳で出家し、大殿として勢力を持つ。
    名越朝時が53歳で死去、そして執権・経時も33歳で亡くなる。
    (23歳没の見方が強い)
    その1146年、実弟の時頼が執権を継承してから、事態は急変。
    時頼打倒を画策した名越朝時の息子・光時と時幸、藤原定員、
    評定衆のうち4名の失脚と頼経の京への送還が成された。
    そして宝治合戦。出家した安達景盛が高野山から鎌倉に下向、
    騒然とする中、三浦氏が安達氏の先制攻撃を受け劣勢となり、
    泰村や一族、郎党など約500人が死を選び壊滅する。
    縁座で千葉氏その他の古くからの御家人たちにも影響が。
    その後、京の六波羅探題の北条重時が鎌倉に戻され、
    連署に就任。執権の時頼を支え、様々な条々の審議と
    法の整備を行ってゆく。
    北条経時が亡くなり、実弟の時頼が20歳で執権を継承してから、
    ドロドロとした政権抗争有り、一族滅亡の宝治合戦有り。
    鎌倉幕府、怖いわぁ。
    上洛したがっていた頼経が京に送還されるのは、皮肉。
    「吾妻鏡」では記録されていないけど、
    藤原道家も10月に関東申次を罷免されて失脚してるし。(宮騒動)
    面白いのは一族完全壊滅というわけではなく、
    庶流や傍流の者が生存し、家を存続させていること。
    また、御内人の氏名が増えてきたことも、気になるところ。
    そして、長らく六波羅探題で執務してきた50代の重時が、
    連署として若き執権の時頼を支えてゆくのかは、次巻に。

  • 貸出状況はこちらから確認してください↓
    https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00249268

  • あっという間に三浦氏が、滅ぼされ、あまりの早さに、びっくりしました。エゲツナイよなぁ。

  • 鎌倉を飛翔した謎の黄色い蝶とは?

    本巻では鎌倉御家人の最強であったはずの三浦氏一族が武装蜂起したにもかかわらず哀れ北条一門の軍門に降る。寛元5年・宝治元年1247年の宝治合戦である。

    「吾妻鏡」では御霊神社付近に拠点があった安達景盛一族が挑発したために三浦氏が決起したかのように記述されているが、これは北条側がみずからの陰謀を糊塗するためのでっちあげ記事だろう。悪辣な北条ばらは、当時競合していた安達・三浦両御家人を計画的に退治するために、まずは安達を取りこみ、その連合軍が500名を超える三浦一族の武士たちの隙をついて皆殺しにしたに違いない。

    現在の頼朝の墓の下にある法華堂に集結した三浦勢は、今はこれまで、と全員が自決するが、棟梁のひとり三浦光村は誰の首だか分からなくするために刀でおのれの顔を削り「どうが、これなら分からないだろう」と仲間たちに尋ねてまわったという証言が残っているが、三浦氏とはそういう勇猛果敢な武士だった。

    もっとも彼らも、北条と一緒になって私の大好きなあの剛毅な英雄畠山重忠や和田義盛の一族を騙し討ちにしているから、自業自得といえばいえるのだが。

    本巻ではたとえば宝治2年7月小10日などに女性の財産を男性から護る条文を掲載していて、鎌倉時代までは女性の経済的権利がある程度保証されていたことが分かるが、そんなことより蝶マニアのわたくしには同年9月に2度に亘って鎌倉市内を飛び回った黄色い蝶の大集団が気になる。

    恐らくはシロチョウ科・モンキチョウ亜科に属するキチョウだろうが、その発生は通常夏であり、旧暦の9月といえばほぼ初冬であるからこんな時期に群れをなして飛翔することはありえない。三浦勢を騙し討ちにした北条がそれを天変地異に転化したり、悼んでいるかのように演出するための「作文」ではなかろうか。

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著者プロフィール

1946年生まれ。東京大学・放送大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(文学)。専門は日本中世史。著書『院政期社会の研究』(山川出版社)、『吾妻鏡の方法』(吉川弘文館)、『中世のことばと絵』(中公新書)、『絵巻で読む中世』(ちくま学芸文庫)、『書物の中世史』(みすず書房)など。

「2019年 『中世史講義 院政期から戦国時代まで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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