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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784642027212
作品紹介・あらすじ
連署極楽寺重時の出家に続き、病に倒れた執権北条時頼は出家を決意。重時の子長時に執権職を譲る。回復した時頼は僧形で執政を開始。得宗専制政治への第一歩であった。やがて時宗が元服。幕府は静かに転換点を迎える。
感想・レビュー・書評
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1253年~1257年の『吾妻鏡』の記述。
・本巻の政治情勢
・吾妻鏡 第四十三 建長五年(1253)正月~12月
・吾妻鏡 第四十四 建長六年(1254)正月~12月
但し、吾妻鏡 第四十五 建長七年(1255)の記事は欠落。
・吾妻鏡 第四十六 康元元年(1256)正月~12月
但し、10月までは建長八年。10月に康元元年に改元。
・吾妻鏡 第四十七 正嘉元年(1257)正月~12月
但し、3月までは康元二年。3月に正嘉元年に改元。
注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。
鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。
天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。
贅沢禁止を盛り込んだ新制十三箇条の追加や
物価統制、人質などの様々な幕府法が発布される。
その目的は、主に撫民。
地震や豪雨に洪水、暴風、火事、疫病等での民の困窮のため。
結城(小山)朝光、足利義氏、後藤基綱、伊賀光宗等の
実力者や宿老たちの死、前鎌倉将軍の頼経と頼嗣の死が
相次ぐ中、連署の北条重時の出家し、政村が連署就任。
続いて病が重なっていた北条時頼も出家。長時が執権就任。
但し、それは時宗が長じるまでの眼代(代理)であった。
実際、垸飯(おうはん)等の儀式では時頼が登場している。
北条氏の総領である得宗が権力を握る、
得宗専制政治の始まりとも言われている。
また、建長寺が創建され、開山は蘭渓道隆に。
この頃に日蓮が鎌倉で活動を開始しているが、記録は無し。
で、誤字や脱字が多くなっているような~。
将軍である宗尊親王関係の儀式の供奉人や引付、廂番等の
記録が多数記録されています。放生会等の儀式が多いからか、
差しさわりで欠席したい者が増えてるような感じです。
なかなか興味深かったのは競馬。
走る馬から相手に飛び掛かって組み合うのが、
迫力のシーンでした。スゴイな武士。
更に、のちの時宗の元服の記録が詳細な事が目立ちます。
7歳で実力者たちから介添えされての儀式ですが、
当時の武士の子の元服の様子が分かるのは良いかも。
でも、将来を見越しての忖度な記録と思ってしまいましたが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
地震や天災が頻繁な時期のようだ。
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