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Amazon.co.jp ・本 (298ページ) / ISBN・EAN: 9784642029292
作品紹介・あらすじ
秀吉は諸大名に臣従を促す方法で全国統一を成し遂げた結果、政権内に旧敵を内在させた。多様な家臣をどのように自己の権力下に編成し、秩序を形成したのか。官途叙任と氏姓授与を結びつけ一門の補強をめざした政策に着目し、身分序列のあり方を問う。また秀次事件や「五大老」「五奉行」という呼称の検討から、秀吉没後も視野に含めた権力構造を解明する。
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みんなの感想まとめ
豊臣政権の権力構造を深く掘り下げた本書は、秀吉がいかにして全国統一を成し遂げたか、その背後にある戦略や政策を明らかにします。特に、秀吉が旧敵を政権内に取り込みながらも、非殲滅主義を貫いたことで、敵対す...
感想・レビュー・書評
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本書は近年進展している豊臣政権の権力構造を解き明かす研究の流れに位置付けられる。
本書での論点は大きく次の4つ。
Ⅰ.豊臣政権の朝廷と氏姓授与を利用した身分秩序構造、Ⅱ.太閤秀吉と関白秀次の二重政権期の権力構造、Ⅲ.「五大老」と「五奉行」の名称問題と権力の所在、Ⅳ.家康による豊臣政権解体過程の諸相。
自分としてはⅠの一連の論文とⅢの一連の論文が興味深かった。
まずⅠであるが、近年の矢部健太郎の研究にみられる清華成・公家成・諸大夫成大名といった武家官位制と、「豊臣」姓と「羽柴」名字といった氏姓授与の組み合わせによる武家の身分秩序の構造分析である。
秀吉は天皇より「豊臣」姓を賜り「豊臣」の氏長者となったが、名字は最後まで「羽柴」であったとする指摘が近年みられる。秀吉はこれに朝廷の官位を組み合わせることで、武家の身分序列を形成させたとしている。すなわち、関白として武家に対する朝廷への官位推挙権を一手に握ることで、「従五位下侍従」以上の殿上人身分としての公家成大名と「従五位下」以下で昇殿を許されない身分の諸大夫成大名、そして何も任じられない身分の3つに差別化した上で、「豊臣」氏長者が「氏爵」として官位推挙する以上、される側は「豊臣」姓であることが必須であったとし、「藤原」「源」などといった伝来の姓を改姓させられたとしている。さらに有力大名に対しては、擬制的な秀吉「御一家」としての身分として「羽柴」名字が与えられたとしている。この官位と氏姓授与は連動しており、著者が考える身分序列としては、羽柴家宗家-豊臣姓羽柴名字の公家成大名-豊臣姓非羽柴名字の諸大夫成大名-非豊臣姓非羽柴名字のその他大多数の武家の順番になるといい、前田玄以の公家成(朝廷担当だったことによる)や福島正則の諸大夫成から羽柴侍従への家格上昇(正則はもともと親類筋)などそれなりの理由で例外事例はあるものの基本的にはこの身分序列に固定されるのだという。
自分としてもとても興味深い論点ではあるが、もともと関白になることで政権を構築することを選択した以上、このような身分序列を形成することはある意味自然な流れであると思われ、こうした形式的・擬制的な関係性は本来の権力の在り方にしてみれば補完的なことであると思われる。例えば、秀吉の太閤期(氏長者は秀次)や亡き後(氏長者は?)の官位推挙権の実際は秀吉だったり「五大老」としての家康であったりして「氏爵」とは言えないし、著者も論じている通り「五大老」家康の方針により非豊臣姓にて諸大夫成大名となった津軽為信の事例があり、あくまでも権力者の恣意性を覆う名目上の装置に過ぎないのであり、過度に重視することは禁物である。
次にⅡの秀次政権期の権力の在り方ついてであるが、秀次蔵入地の分析と太閤-関白間の情報伝達過程の分析はこれもなかなか興味深いものであったのだが、率直に言ってしまうと、両者で円滑な権力継承をしようとしてはいたものの、結局のところは実質的権力は秀吉のもとにあったという結論になると思われる。大きく秀次権力のイメージを転換することにはならないものの、秀次関白権力の研究はまだまだこれからだと思われるので、今後は両者の奉行間の政治の駆け引きなど、さらなる研究に繋げていってもらいたい。
Ⅲは近年、阿部勝則により提示された、当時は「五大老」は「五奉行」と呼ばれており、「五奉行」は「年寄」と呼ばれていたとする見解に対する反論で、なかなかの力作であった。著者は阿部の言う史料群がある一方で、一般的に認識されている通りの史料群も存在することに目を付け再検討した結果、家康ら「五大老」を「五奉行」と呼んでいるのは石田三成らであり、三成は彼らを「奉行」として位置付け、自らを豊臣政権の「年寄」と呼称していたのだとしている。また家康は三成らを「五奉行」と呼んでおり、お互いを「奉行」と言い合うことになっていて、ここに両者の権力の所在抗争を見るのである。
また著者は、「五大老」は「五奉行」の上位機関というわけではなく、実質的政治の権限は「五奉行」にあったのだとし、主従的支配権の根幹を成す「五大老」による知行充行状も秀頼の奉書としての実施であったとして上で、「五大老」は「五奉行」による政治の実権の追従や権威付けを行う集団であったと位置付けている。
そして、ⅢからⅣにかけてはこうした豊臣権力を政治的に克服すべく立ち振る舞う「五大老」家康の政権奪取構想が論じられる。
非豊臣姓のままの官位推挙による豊臣身分秩序の逸脱行為、伊達や蜂須賀といった諸大名との姻戚関係構築、他の「五大老」毛利・宇喜田不在の隙をついた豊臣蔵入地の諸大名への恩賞化、「五大老」前田利長や上杉景勝への恫喝による服従化など、関ヶ原の戦いのような一大会戦によりケリをつけるリスクを負うよりも、本来は換骨奪胎するような構想があったのだとしている。中でも、全国に220万石しかない豊臣蔵入地を徐々に諸大名への恩賞として減少させていくやり方は、豊臣蔵入地の管理者でもあった「五奉行」に大きな危機感を抱かせたのだとしている。
家康の政権奪取構想については実証論文というよりもやや著者自身の見解部分が先立つところもあり、選書レベルでもいいような論じ方ではあるが(笑)、話としては信憑性もあるし面白かった。
最後に、あとがきによれば著者は大学講義で、信長・秀吉・家康の誰が好きかと学生に尋ねるそうであるが、大学の知的レベルや品性を疑われるような質問なのでこれは止めてほしいと思う・・・。(笑) -
本能寺の変による織田政権が崩壊してから、秀吉が全国統一を成し遂げるまで要した年月はわずかに九年。迅速に統一できた要因として、機内を中心とする先進地域を押さえ、経済的に圧倒的優位な地歩を得たことに加え、非殲滅主義が挙げられる。敵対した大名の領土を奪うことはほとんどしなかったのが、秀吉への徹底抗戦を断念させることにつながった。秀吉に滅ぼされた大名は北条氏ただ一人という事実は大きい。但し、結果として多くの旧戦国大名を政権に内在させ崩壊の因子孕む要因にもなった。本書は、豊臣政権の権力構造及び当時の大名編成の実態を解明しようというもの。新たな視点でこれまでにない分析が施されている。とりわけ三成と一大会戦を行うことによって一気に天下の趨勢を決するという家康の関が原計画。これに対する異説がまことに出色。家康の真の狙いは、同格の存在である「五大老」に対して、秀頼への謀反を口実に諸大名を動員。これを攻撃し滅亡もしくは屈服させて、恩賞に充てるという形で豊臣家の土地を奪って弱体化させ、そのまま大名たちを自分の家臣同然としてしまうことと言う。関が原決戦のような数的に対等な敵との大会戦を行うというリスクを冒すわけがないというもの。かなりの勢いで目から鱗。大河ドラマの「真田丸」が俄然おもしろくなった。
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清華成についての考察と五奉行・五大老の役割の再検討、徳川家康による政権奪取過程。
どれも面白かったけど、中世権力の克服過程としての章があったらもっと面白かったのに。
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感想 :

コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
へっ?こちらには不審な通知はありませ...
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
へっ?こちらには不審な通知はありませんでしたよ。(^o^)
自分もたまに操作を間違えたりするので、お気になさらずに・・・。(^_^)
戦国の世の比べっこでお決まりの3人ですが
何時頃から 話題になってるんでしょう?
やっぱり 明治ですかね?
戦国の世の比べっこでお決まりの3人ですが
何時頃から 話題になってるんでしょう?
やっぱり 明治ですかね?
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そうですね~。古くは江戸時代からなのでは。
例のほとと...
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
そうですね~。古くは江戸時代からなのでは。
例のほととぎすの話も江戸時代からあったようですし。
何といっても中世から近世への転換点の主要人物ですからね!(^o^)
最近知ったのですが(笑)、「三英傑」と言われているそうで、これはここ10年くらいの話ではないですかね?(笑)