円仁 (人物叢書)

  • 吉川弘文館 (1899年12月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (338ページ) / ISBN・EAN: 9784642051583

作品紹介・あらすじ

日本天台宗の開創者である最澄のあとを継ぎ、その教義を顕揚し、また新たに天台密教を根づかせた円仁。入唐して揚州・五台山・長安における修学と書籍の求得に、ひたむきに心をかたむけたその真摯な姿、会昌の破仏という未曾有な出来事に際会し、幾多の辛酸を嘗め、強靭な精神に支えられた足掛け10年のおよぶ苦難の旅。その生涯を克明に描いた伝記。

感想・レビュー・書評

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  • 延暦13年(794年)、下野国都賀郡または安蘇郡に豪族壬生氏の子として生まれる。

    9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子

    大同3年(808年)、15歳のとき、比叡山延暦寺に上り、最澄に師事。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせる。

    承和5年(838年)6月13日、博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。 請益僧

    承和7年(840年)、五台山を巡礼→長安へ
    ・大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法
    ・青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。
    ・金剛界曼荼羅を長安の絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

    会昌2年(842年)10月に会昌の廃仏がはじまり、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。強制的に還俗

    承和14年(847年)9月19日条)博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』

    仁寿4年(854年)4月3日、円仁は61歳で第3代延暦寺座主に

    864年2月24日、薨去

    貞観8年(866年)
    応天門の変(おうてんもんのへん)

  • 最澄の弟子は偉かった。師匠が出来なかった事を、唐まで探究に出る。師を乗り越える伝統が比叡山にはある。だからこそ、日本を代表する宗祖が析出したのだろう。

  • 1989年刊。元北海道大学文学部教授。

     最澄の優秀な弟子として、彼の教義の不十分な点を埋めるべく遣唐使に参画。多くの密教関連の文物を携えて帰国の後「入唐求法巡礼行記」を著すなど、比叡山・天台宗の隆盛に努めた人物の評伝が本書である。
     特に、遣唐使での東シナ海の苦難の航海は勿論、在唐中に仏教を禁令した皇帝が出現する等、苦闘に充ちた人生模様が際立つ。

     海の道が人物往来を妨げなかったというのは事実だが、かといって日中間の交流が対馬海峡を往来する、あるいは列島沿岸を航海するのとは一味違っていた模様が感得できる

     また、平安前期における未開の地・東北における教義普及に勤しむ円仁、あるいは筆写の量のすさまじさに代表されるように愚直に則を求めていく生き様は清廉だ。
     あの親日派駐日大使ライシャワーが関心を寄せた人物というのもむべなるかなの感。

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著者プロフィール

1925年生まれ。1957年、東京大学大学院修了。法政大学第二高等学校校長、北海道大学文学部教授、成城大学文芸学部教授を歴任、文学博士。2005年没。
【主要著書】新撰姓氏録の研究(全9冊)、日本古代の政治と社会、日本古代氏族の研究、研究史邪馬台国、慈覚大師伝の研究 ほか。

「2020年 『聖宝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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