藤原冬嗣 (306) (人物叢書)

  • 吉川弘文館 (2020年7月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784642052993

作品紹介・あらすじ

平安前期、初代蔵人頭を務めた藤原北家の貴族。嵯峨天皇の信任厚く、側近として政界の頂点に立ち、のちの摂関家興隆の基礎を築いた。漢詩、薫物にも才を発揮したほか、藤原氏の族長として氏族の結束を促し、また最澄・空海を支援するなど、仏教界にも貢献した。薬子の変や頻発する自然災害に大きく左右された時代に生きた非凡な政治家の生涯に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 清和天皇の詔で十陵四墓のひとつに加えられた冬嗣
    (朝廷が尊重し使を派遣した陵墓:天智天皇陵など)
    鎌足に並ぶ兄の死に桓武帝の子の良峯安世は嘆く
    謙虚・柔和・慎ましく驕らず、穏やかで皆その人徳
    に敬慕した兄を喪うのは哀しい・苦しい・一年経過
    しても耐え難い・・・(´・ω・`)

    本書を読み終えて冬嗣は良房より大きな存在であり
    嵯峨・淳和帝に仕え、災害頻発の国難を仁政に努め
    地方行政を重視し、嵯峨帝のサロンでも文人として
    名を馳せ、合香家として歴史に名を残す万能人

    2024.9.14再読
    サロンもさることながら、奈良時代から平安時代に
    かけて文人管理が出世をしている、問題を解決する
    秀才を求めて採用試験も行われている
    遠山景元(金四郎)の父親、景晋が学問吟味で甲科
    筆頭で成り上がった事を思い出した、その傾向は後
    の『菅家廊下』から英才が輩出した様に伝統となる
    のだが藤原家の勧学院が出来てから入り込むすきが
    亡くなったやに思われる

  • 天皇の最側近で出世が約束された蔵人頭初代(の一人)である藤原冬嗣が、嵯峨・淳和の時代に廟堂の首班となって平安後期の藤原氏隆盛を基礎づけた様を解説。父の内麻呂引き立てによって嵯峨天皇の皇太子時代から側近となり、その唐風文化を基礎とした政道をよく補佐し、弘仁のうち続く災害では乗り切るため積極財政施策をとった。印象に残ったのは薬子の変は平城太上天皇の変との近年の言い換えがあるがやはり仲成・薬子兄妹が主導的とすること、勅撰漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』、法律集『弘仁格式』『内裏式』、歴史書『日本後紀』の編纂を主導したこと、父の追善供養のため興福寺南円堂を建立したこと、最初期の合香家として薫物の造詣が深かったこと、以上のように中国のものを中心に文化的素養がかなり高く、誰からも慕われる人柄だったらしいことである。

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著者プロフィール

虎尾達哉

1955年、青森県生まれ。京都大学大学大学院文学研究科博士課程中退。博士(文学、京都大学)。専門は日本古代史。著書に『日本古代の参議制』『藤原冬嗣』『律令官人社会の研究』などがある。

「2021年 『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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