東京都の誕生 (歴史文化ライブラリー)

  • 吉川弘文館 (1899年12月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (204ページ) / ISBN・EAN: 9784642055352

作品紹介・あらすじ

東京は江戸が単に変化したのではない。現在の東京都に含まれる周辺地域が近世以来の経済的・文化的な関わりの中で複雑に変容、発達してきた。都を移す遷都でなく京都と並立する「奠都」として位置付けられた明治維新期から、関東大震災・戦時体制をへて現代まで、東京の諸問題に人々や行政はいかに対処してきたか。激動の歩みを描く〈東京〉入門。

感想・レビュー・書評

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  • 私がイメージする東京は明治新政府が原型を作り、それが広がってきたものですが、江戸時代の「江戸」とどう異なるのかが私の長い間の関心事でした。廃藩置県により「東京府」が置かれたことは知っていましたが、それ以降の東京の歴史について、この本で私は初めて理解することができました。

    いまの東京都も市街地はほんの一部で、今では住宅地となっている区部も多くは「村」であったのですね。今までは人を中心とした歴史でしたが、地域に着目した歴史の面白さも感じることができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・明暦の大火(1657.1.18)は、結果的に都市・江戸の景観のリセットボタンを押すことになった(p11)

    ・さまざまな江戸の概念が存在していたが、1818年(文政元)に、図面に朱色で「御府内=朱引内」を示した、町奉行所の支配地域は一回り小さく「黒引」といわれた(p13)

    ・江戸幕府の支配は、武家地・寺社地・町人地(町方)と身分によって居住地域が分けられ、担当役所も異なっていた、大名は老中・大目付、旗本・御家人は若年寄、目付の管轄下、寺社地は寺社奉行、町方は町奉行、町方には面積の15%に、人口の50%が住んでいた(p15)

    ・江戸幕府は品川沖に12個の砲台を作る予定であったが、ペリーの再来(1854.1)後、1854.3に和親条約締結後の11月に5,6番を完成させた後は中止となった(p36)

    ・修好通商条約の締結によって、江戸を経由せずに輸出品が近郊農村から直接、貿易地の横浜へ向かった、当時の輸出品の主役は生糸で総額の3分の2を占めた(p39)

    ・朝廷は大政奉還で不意に政治を預けられてもなすすべもなく、政局運営を慶喜に委任した(p45)

    ・慶喜は会津藩主(松平容保)、桑名藩主(松平定敬)をつれて大阪を脱出、老中の松平正質により、幕府軍は解散された(p46)

    ・王政復古の宣言以来、都の機能の多くは京都に設置された、その中で大阪遷都も議論された(p53)

    ・江戸はその都市機能、経済的基盤を失うことなく政権交代が行われ、こ
    れは新国家建設においてきわめて重要なことであった(p55)

    ・京都新政府は、1868年閏4.27に、旧幕府直轄地には「県」を設置して、地方支配を、「府(京・大坂・江戸)・県・藩」の三治制とした、江戸府は奥羽越列藩同盟の地域との闘いの軍事拠点の位置づけ(p60)

    ・1868.7.17、東西の京を同視するという立場で、江戸は西の京に並ぶ「東京」とされた、都を遷す遷都でなく、従来の京都に加えて、もうひとつ新しく都をつくるという「奠都」という位置付け(p65)

    ・1869.2.24には京都に置かれていた太政官は東京に移されることが決定していており、これが行政機能の東京への移転で、事実上の遷都と考えられている(p68)

    ・江戸の人口は一時急減した、諸藩の武士(50%が武士)国元に戻ったのが原因(p74)

    ・1869.2に政府は改めて、市街地と郷村地の境界線(朱引線)を設定しなおした、朱引内の人口が50万人程度だったので、50区を設置した(p91)

    ・1878.7に、市街化がすすみ通常収入の多い地域を「区部」として、麹町・日本橋・神田・京橋・芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷・下谷・浅草・本所・深川の15区を設定、それ以外は6郡(荏原、東多摩、南豊島、北豊島、南足立、南葛飾)を設置(p104)

    ・1888には、上野・浅草・芝・深川・星ヶ岡が五大公園として指定を受けた(p117)

    ・1932.10には、東京市に隣接する5郡82町村は、市と合併して、新たに20の区となり、従来の15区と併せて35区で構成される東京市が成立した、面積は7倍、人口は500万人(世界2位、面積でも5位)となった(p147)

    ・グアムはアメリカ資本のもと、アメリカ文化のなかで育ってきた印象があるが、サイパンは日本人の生活を感じる(p157)

    ・都民人口は1945.11の時点で277万人程度で、ピーク時(800)の3分の1程度へ激減、特に工場地帯(荒川、本所、鎌田)の減少が多かった(p166)

    2013年6月1日作成

  •  〈東京〉形成史の概説だが、市制施行後から関東大震災前までの時期(1890年代末から1920年代前半)の記述が全くないのが残念。

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著者プロフィール

藤野 敦(ふじの・あつし)
文部科学省初等中等教育局 視学官。文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。国立教育政策研究所教育課程研究センター 教育課程調査官

「2022年 『高等学校 地理歴史科 公民科 必履修科目ガイド』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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