倭国と渡来人 (歴史文化ライブラリー)

  • 吉川弘文館 (1899年12月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (234ページ) / ISBN・EAN: 9784642055994

作品紹介・あらすじ

古代日本の「外」からやって来て、列島に大きな影響を与えたといわれる渡来人。われわれは今、その「内」なる「日本」をどう捉えるべきか。倭国と国際社会の関係を人・モノの移動から眺めれば、「古代のわが国」というイメージとは全く別の、社会や境界が浮かび上がる。民族・国境を超えて、知識や技術が伝来し受容されるさまに、東アジアの交流史を知る。

感想・レビュー・書評

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  • 従来の「帰化人」という律令的な枠組み(天皇の徳を慕って定着した民)から離れ、渡来人を「移動者(移動する主体)」として捉え直す研究書。本書の特色は、渡来人を「技術を運ぶ単なる教師」ではなく、倭国のパワーゲームに参加し、時に王権を揺るがす「政治的なアクター」として描く点にある。なぜ天智が無理をしてまで百済を助けようとしたのか、その裏に「百済という文明の看板」を自国に取り込みたかった王権の焦燥が見えてくる。

    「質」と贈与外交が主要論点の一つ。5世紀の「質(人質)」は、軍事援助の見返りとして高度な技能(五経博士等)を倭に供給する「外交官」の側面が強く、渡来人は互酬的な贈与関係の中で移動したとする。質(しつ)とは、王の身代わりとして修好を保証し、外交・軍事援助を働きかける存在で、五経博士などの専門知識集団を伴うことが多かった。

    首長の権威と須恵器については、初期の須恵器や鉄素材は、有力首長が王権外交を通じて独自に入手した「異域の文物の象徴」であり、これを自らの葬送儀礼で誇示することで地域共同体への権威としたと論じる。

    ミヤケと技術の環流も重要な論点。6世紀のミヤケ制は、各地の生産・交通拠点を広域ネットワーク化し、渡来系技術の成果を王権が常に回収・分配する「環流型システム」を構築したことが王権復活の鍵となったとする。ミヤケは単なる経済拠点ではなく、水上交通と文字技術(帳簿・木簡)を駆使してヒト・モノを掌握する王権の戦略的ネットワーク拠点であった。

    「帰化人」概念の成立については、天武・持統期に至り、それまでの流動的な移動者を、一元的な戸籍支配に組み込み「天皇の民」と定義し直すことで、現在の「日本」と「帰化人」の枠組みが完成したとする。

    今来漢人(いまきのあやひと)は、5世紀後半以降、百済等から新たに渡来した新来の技能者で、後の品部・雑戸制の前身組織となった。

    倭系百済官人は、倭人の出自を持ちながら百済に留まり、百済王権の官人として倭国との交渉に当たった「越境的な人々」を指す。

    中臣鎌足と金庾信については、668年、鎌足は公式ルートとは別に新羅上卿の金庾信へ船1隻を贈与しており、王権中枢者同士の個人的・重層的な外交チャンネルの存在を示す興味深い事例である。

    王辰爾(おうしんに)の解読については、572年、高句麗からの国書(鳥羽の表)を解読した事例が紹介される。文字技術が外交の「武器」であり、百済系の文字文化が倭国の外交を牽引した象徴的事例である。

    法興寺(飛鳥寺)の刹柱儀式では、蘇我馬子が百済服を着用して列席。百済王権との親密さを誇示することで、倭王権内での蘇我氏の地位を正当化した。馬子の「百済服コスプレ」という表現からも分かるように、ドラマチックなエピソードの史実的背景が学べる。

    白猪屯倉(しらいのみやけ)と胆津(いつ)については、新たな文字技術を用いて田部(耕作者)を籍帳に検定した事例が示される。百済の行政制度の影響下にある、書面による組織的支配の先駆けとして位置づけられる。

    天智期関連では、中大兄皇子の台頭と東アジア情勢について、645年の乙巳の変は、隋唐帝国の成立に伴う高句麗・百済・新羅の権力集中化(泉蓋蘇文や義慈王のクーデター)と連動した「国防体制の構築」の一環と位置づけられる。

    百済王子余豊璋(よほうしょう)については、643年に「質」として来倭。蘇我蝦夷らと親交を結び、天智天皇(中大兄)即位前には「最高位の織冠位」を授けられ、百済王として本国へ護送された。

    亡命百済人の処遇と「百済王」氏については、白村江敗戦後、天智は百済の王権秩序をそのまま倭王権にスライドさせ、豊璋の弟・善光らに「百済王」の姓を与えて温存することで、倭王権自らが百済を上回る「中華」であることを演出したとする。

    外交形式の転換については、天智期前後から、それまでの「大臣・群卿による個別的な贈答(賂)」を王権が点検・把握するようになり、外交が「一代限り(王の死で断絶する)」の関係から国家的な永続的システムへと移行したと論じる。

    注意点として、著者は文献史学だけでなく、オンドル状遺構や須恵器の型式などの考古学的データと歴史叙述を極めて慎重に結びつけている。5世紀の倭王権が「治天下」と自称し始めた理由を、単なる成長ではなく「対中外交の行き詰まりによる正統性の再構築」とする視点は、単なる万世一系的な発展論とは一線を画している。

    第2章で詳述される「渡来人」と「帰化人」の用語定義の厳密さに注意が必要。本書の「渡来人」は移動者全般を指し、後世の「帰化(定着)」イメージとは切り離されている点に留意して参照すること。

    吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」の概説書として非常に読みやすいが、後半の「帰化」の法制史的な議論はやや専門的。中大兄、鎌足、蘇我氏らがそれぞれどの国の渡来人と繋がり、それをどう政治利用していたかが明確に描かれており、天智まわり関連度は極めて高い。鎌足が新羅の重鎮にこっそり船を贈るなどのドラマチックなエピソードの史実的背景が学べる一冊。

  • 日本と朝鮮半島諸国との間で往来・移動、そして居住した「渡来人」が倭王権に与えた影響や、古代国家の形成に果たした役割について論じています。

  • 古代国家形成に渡来人が深くかかわっています。あと、本の評価に全く関係ないですが、このシリーズ少し字が大きいです。

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