鎌倉幕府の滅亡 (歴史文化ライブラリー 316)

  • 吉川弘文館 (2011年2月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784642057165

作品紹介・あらすじ

源頼朝の鎌倉入りから一五三年続いた鎌倉幕府は、元弘三年五月、新田義貞を主将とする倒幕軍の総攻撃を受け呆気なく滅亡した。至高の敵後鳥羽院、空前の敵モンゴル帝国との戦いに、不敗を誇り続けた幕府はなぜ敗れたのか? 政変や戦乱の経過のみならず、幕府政治の根幹を成す御家人制の質的変化に注目。定説にメスを入れ、幕府滅亡の真実に迫る。

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

鎌倉幕府の滅亡に迫る本書は、幕府がなぜ突然崩壊したのかを探求しています。著者は、表面的には堅固に見えた幕府の内部が実は寄生虫によって蝕まれていたと指摘し、その結果として無敵と見なされていた幕府があっけ...

感想・レビュー・書評

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  • 鎌倉幕府滅亡の主因を特権階層武士(貴族化した武士)による幕府の私物化とし、滅亡を避けるには室町幕府的支配統治機構が必要だったとする。これは、物語化した方が面白いテーマだったような気がする。ただ、室町幕府化が鎌倉幕府の進む道であったとするが、守護大名に対して非力であった支配統治機構が果たして根源的な解決法であったのかどうかちょっと疑問だ。まだ、江戸幕府化とか明治政府化とした方が納得感はある、実現性は度外視して。それに、そもそも、鎌倉幕府の後継武家政権が室町幕府であったことを考えると、室町幕府成立は鎌倉幕府の高家格家であった足利家による鎌倉幕府の室町幕府化と言えるのでは?言葉遊びかもしれないけど。

  • 貸出状況はこちらから確認してください↓
    https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00275336

  • 久しぶりに再読。細川重男先生の著作でも一番まとまって面白いと思う。
    そもそも鎌倉幕府がなぜ滅んだのかという問いへの納得できる答えを求めてという目的がいい。
    応仁の乱や明応の政変から徐々に衰亡した室町幕府、強大な力の侵入への対応に誤り、そこから滅亡した江戸幕府と違い、鎌倉幕府は突然倒れた、では何故というのは誰しも一度は考えたのではないか。
    言うなれば、癌が発見され闘病の果てに死んだ人、老いたところに事故にあってそれが原因で死んだ人はわかるが、多少の老いはあれど矍鑠として、元気いっぱいに、見えた人が突然死ねばみな驚くというもの。

    著者の見立ては、一見壮健だった鎌倉幕府は中を寄生虫が食い荒らし、空洞のようになっていたというもの。だから、一見弱々しい敵でも一撃で倒されてしまったということか。

    ここで言われる特権的支配層による厳格な前例踏襲主義は、我々から見ると極めて馬鹿げたことをしているように見えるが、江戸幕府の後期の厳格な大名への身分統制や現代の政党政治のやり取りも儀式めいて見えるのは同じではないか。

    鎌倉幕府が室町幕府が実現した地方分権などの改革を行えば、そのアイデンティティを失うからできず、現実その拘束に耐えきれなくなった時に彼らは滅亡した。

    制度にはそのアイデンティティがあるため、それを超える改革はできずに、現実との摩擦が大きくなればそれが破壊される。
    マルクスの止揚に類似した概念のように思う。

    北条氏や幕府首脳部は無能でなかっただけに、鎌倉幕府という制度が軋みを上げて、ある日突然爆発したように感じられる。
    そう思うと、無敵の鎌倉幕府を倒幕したとして、後醍醐天皇は過大評価されていたのかもとも感じる。

  • あまり知らない鎌倉時代後半の歴史について、学べる一冊。

  • 鎌倉殿の13人の影響で、ちょっと鎌倉時代ずいている。
    内容としては、鎌倉時代末期の政治体制が主題。幕府があまりにあっけなく滅亡してしまった要因となったということろで、タイトルと繋がっている。
    頼朝・義時・泰時・時宗のような有名な武将は出てこないし、合戦の話もないので、地味な話なんだけど、文体も読みやすく、あきずに楽しめた。

  • <目次>
    プロローグ 「不敗神話」の崩壊
    第1章   幕府の職制
    第2章   特権的支配層の成立
    第3章   鎌倉幕府の滅亡

    <内容>
    著者の細川氏にとって、長い長い博士論文だったらしい。分かりやすい文章で、鎌倉幕府の創成期からなぞって、幕府の滅亡を書き上げている。その論理も分かりやすく、御内人などの特権的階層(土地を持たない都市層の御家人)が、本来の御家人の思想を理解できずに、権威主義に走った結果、幕府が滅亡したという。納得の論理であった。

  • 「1333年、鎌倉幕府滅ぶ」は小学校の教室の歴史年表にも書いてある周知のことだけど、たしかに冷静に考えると六波羅探題といい鎌倉といい、実にあっけなく滅んでいる。

    確かに正規軍を率いた足利高氏が六波羅探題を急襲したら、もしかしたら負けちゃうかもってのはわかる。でも鎌倉が、上州からぐおーっとやってきた新田義貞がものの十数日であっけなく陥落させてしまうのは、あれっと思う部分がある。

    本書の答えとしては、滅んだのは鎌倉幕府中枢で「貴族化」した特権階級であり、ある日「コイツラいなくて良いんじゃね?」と思ってしまった空気を読まない天皇(後醍醐)によって日本全国が「それ」に気づいてしまったことによる、としている(※個人の感想です)。

    よく、鎌倉時代後半は幕府が公権力化、全国化していくとあるが、実は失敗していた、と本書は言っている。そのチャンスはあったのだが潰されてしまった(それが霜月騒動)結果、万事「今まで通り」を頑なに守る者だけが残ってしまったと。

    誰もが「これではいけない」と薄々思っていたのかもしれない。暗愚と言われる北条高時が、なぜか長崎高資を排除しようとしてかえって負けてしまう事件がある。この時期すでに北条得宗も将軍と同じように制度の中の単なる機能となってしまっており、彼もまた「これではいけない」と憂いていたのかもしれないと思うと、感慨深いものがある。

    建武の新政はそうした制度疲労をグレートリセットすることとなった(そしてそれは南北朝の内乱まで暫く続く)と感じた。もしかすると日本にはこうしたグレートリセットが定期的に必要なのかもしれないと思うと、少々胃が痛くなるが…。

  • 最初は滅亡の原因とされた「武士の貴族」って何ぞや、と思ったけども読み進めていくうちに納得がいくものだった。御家人制度の変遷がわかりやすく著述されてて最後まで興味深く読めた。

  • この先生・・・面白い
    もっと本を書いていたらいいのに
    残念すぎる

  • 書名は「鎌倉幕府の滅亡」ですが、
    その流れを通史的に追った本ではありません。
    正中の変や元弘の乱は本書の最後に少しだけ出てくる程度です。

    では、何について書かれた本なのか。
    鎌倉幕府が滅亡した理由を、
    鎌倉幕府の構造や職制、政治方針などの政治史を、
    頼朝期から検証して考察した本なのです。

    ですから、『太平記』的な内容を期待するとがっかりするかもしれませんが、
    視点が新鮮で、かつわかりやすく書かれていて、
    なかなかおもしろかったです。

    巻末に諸氏の系図もまとめて掲載してあり、
    参考になりました。
    贅沢を言えば注文はいくつかありますが(笑)

  • 20120115読了

  • 著者が抱いていた「無敵のはずの鎌倉幕府はなぜ滅亡したのか」という疑問に、長年の研究から導きだした回答を記した本。

    プロローグに記されている一般的な研究成果として挙げられている「鎌倉幕府滅亡の原因」。
    これで納得できる人がいるだろうか?との問いかけ通り、確かにすっきりと納得できないのである。

    本書は滅亡の原因を導き出すため、鎌倉幕府の成立過程からの権力構造を記している。これにより、鎌倉幕府後半のみではなく、鎌倉時代史という観点が加わっていることがとても興味深かった。
    御家人制の成立、またその変化やそもそも鎌倉幕府は東国国家であり、全国への影響力はなかったという点、また「鎌倉」は幕府終末期にはもはや幕府支配者層のための都市でしかなかったというような指摘は大変面白い。
    これまで数多の鎌倉幕府に関する本を読んできたが、この本はその中でも大変分かりやすく、納得のいく説明がされていると感じた。

  • メモ

    鎌倉幕府の滅亡の要因としての体質や構造の変化の過程が上層部(特権階級)の権力から分析されていて非常に面白かったです。将軍の前では平等のはずの御家人の格差。なんだか今の日本国民や共産主義国と同じような気もします。いつの世もピラミッドなのでしょうか。得宗専制にも変化があったことに驚きました。巻末の家系図は貴重です。北条氏は、たった約130年でここまでの「繁殖力」です。詳細に判明すればえらいことになるでしょう。


    不敗の鎌倉幕府滅亡の要因・・・通説
    権門体制論(黒田俊雄)と東国国家論(佐藤進一)
    三段階 将軍専制→執権政治(合議制、評定衆)→得宗専制(寄合)
    研究の進歩で定説は揺らいでいる。

    御家人の抗争、侍所・問注所・政所、連署・評定衆・引付衆
    武士と文士(貴族、下級官吏の子孫)

    中央集権国家
    六波羅探題、守護の大犯三箇条
    安堵・給付・訴訟の採決・人事・官位推挙など幕府の御家人直接支配
    家格の固定・世襲、御家人の格差(寄合・評定・奉行家など)
    得宗家の私的機関からの御内人、執事などの家格固定
    →「武士の貴族」、「鎌倉武家貴族」=王朝貴族

    特権的支配層の家々
    北条家・・主に義時の子孫の得宗、名越、極楽寺、政村流、伊具、金沢
          時房の子孫の佐介、時村流、大仏
          寄合衆8家(執権・連署・寄合衆)、評定衆12家
    文士・・長井氏(大江氏)、摂津氏、二階堂氏、三善氏、清原氏など
    武士(外様)・・安達氏、佐々木氏、宇都宮氏、後藤氏
    武士(御内人)・・平・長崎氏、諏訪氏、尾藤氏、工藤氏、安東氏
    →各家々50から60家から寄合衆家、評定衆家などに分類される。北条氏は半数には及んでいない。全国散在の所領を点で支配、ほとんどが財力がある鎌倉都市民。地方領主の守護級豪族(室町時代の守護大名は所領を面として支配)とは性質が異なる。一般御家人、西国武士との格差が生まれ、鎌倉は「特権階級の都」だった。

    得宗専制の三区分 寄合合議制成立期→同成長期→同完成期

    後期鎌倉幕府は中央集権を維持しつつも、王朝の衰退などで室町幕府的地方分権をせざるを得なくなったが、特権階級の支配には矛盾した。安達氏が目指したものの、非御家人の御家人化は手をつけられず、源頼朝以来の御家人のみ優遇、しかし元寇などで動員がありつつ御恩がなく奉公のみになっていった。北条時宗、貞時は婚姻も含め得宗家専制を志向し、他の北条家一門と対立。安達泰盛と平頼綱。完成期は安達氏と長崎氏(平氏)が復活し、形式、先例偏重主義へ。得宗の北条高時は寄合の合議のための装飾になった。

    悪党や後醍醐天皇の討幕活動が源頼朝以来の幕府の変質に気付かせた。鎌倉幕府は本来東国政権であったが、承久の乱以降王朝の衰退で西国にも関与せざるを得ず分を過ぎた。全国の武士のニーズにこたえるには武士すべてを御家人化し室町幕府的な地方分権しかなかった。

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。立正大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。現在、中世内乱研究会総裁。著書に、『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館)、『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館)、『執権 北条氏と鎌倉幕府』(講談社学術文庫)、『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』(朝日新書)など。

「2022年 『論考 日本中世史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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