アジアのなかの戦国大名: 西国の群雄と経営戦略 (歴史文化ライブラリー 409)

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642058094

感想・レビュー・書評

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  • 織田氏、豊臣氏といった天下統一を志向した中央の戦国大名とは対照的に、アジアとの関係の中で自らの領国制のアイデンティティを模索した大内氏、大友氏、相良氏、島津氏といった西国大名による対外交易史が語られているのが本書である。

    明応の政変以降、弱体化した将軍権力は、その求心力維持のために九州の大名に勘合符を頒布していた。勘合貿易と云えば、一般的には大内氏だと思われるが相良氏や大友氏も遣明船を送っていた。大友氏は、有効勘合や「日本国王」上表文を保有しない状況で明へと交易船を送り込んだ。当然ながら明側から入貢を拒否されたのだが、沿岸警備が手薄な福建地方に回り込んで盛んに密貿易を行っていた。大友氏だけでなく勘合不備により、入貢を拒否された大内(義長)氏も密貿易を行っていた。筆者は「日本の地域大名が明に派遣した遣明船は、明政府から日本国王船として認められれば正式な朝貢貿易船として振舞い、認められなければ密貿易船として南方海域で私貿易を行うという、表裏を使い分ける二面性を有していた」 (P.48) と述べている。十六世紀の遣明船派遣において、正式に明側に入貢貿易として認められたのは四回だが、私貿易で実利のみを得た遣明船はその数倍を超えていたようだ。(P.50)

    日本から海外に向けた硫黄の輸出の歴史は、十世紀末から確認できる。硫黄鉱石の需要が高まった中世後期から近世初頭にかけて、九州の大名は日明貿易・南蛮貿易・朱印船貿易において硫黄鉱石を主要輸出品の一つとしていた。特に島津氏は硫黄島(鬼界島)、大友氏は九重硫黄山鉱山、塚原伽藍岳鉱山といった大きな硫黄の調達先を領国内に所有しており、これらの大名は、国内消費のみならず、対外交易の主な主要品としての硫黄資源の取り囲みに力を入れた。筆者は、海外に向けて盛んに硫黄が輸出されたこの時期を「サルファ―ラッシュ」と名付けている。(P.103)

    九州の戦国大名は、中国王朝だけでなく、東南アジアの国々とも外交関係を樹立して交易活動を盛んに行っていた。シャム(タイ)と交易を行っていた松浦氏やカンボジア国王と外交関係を結んでいた大友氏が例として挙げられている。大友氏のような「日本国内の一地域公権力の定義を超えて、大陸に近い九州の地の利を活かして、アジア史の史的展開の中に自らの領国制のアイデンティティを追求した大名」を「アジアン大名」と本書では定義付けている。

    全体的な感想として、本多博之『天下統一とシルバーラッシュ』の前半で描かれていた西国大名による海外との交易史を広げた感じである。本多博之、本書の鹿毛敏夫と共に広島大学出身で年も近く、しかも本書と『天下統一とシルバーラッシュ』の出版も2015年で共通点が多い。『天下統一とシルバーラッシュ』と『アジアのなかの戦国大名』は合わせて読むと、中世における西国大名についての理解がぐっと深まると思う。こちらもお薦めです。

    評点 8点 / 10点

  • 西日本の戦国大名におけるアジア交易への志向性の観点から領国経営のあり方を見る一冊。遣明船貿易の展開、主要交易品を生んだ硫黄鉱業の詳細、渡来人社会の実相など当時の国際感覚をうかがわせる内容が興味深かった。

  •  京都・畿内に「天下」としての強い求心力を認め、信長・秀吉による天下統一の過程を中心に戦国史を描写する一国史的な理解が、現在は主軸である。そうした理解が一概に誤っているとは言えないとしても、果たして戦国史はそれだけなのだろうか?本書は「天下」以外の世界、具体的にはアジアを志向する九州の戦国大名たちの動向を通じ、国際色豊かな戦国史を活写する試みである。

     本書はまず、九州周辺の大名たちが遣明船などを通じ、中国との交易を志向し、そこから多くの利益を得ていたことを説明する。続いてその中でも、16世紀に主要な交易品となった硫黄に注目し、東シナ海交易で硫黄が果たした重大な役割を明らかにする。九州各地、特に島津領と大友領で盛んに硫黄が採掘され、硫黄のほとんど産出しない中国へと輸出されていったのである。

     更にこの時代、多くの「唐人」が九州に暮らして大きな役割を果たすとともに、現地の社会と次第に融合していったことも示す。唐人町は存在したが、唐人たちは決してその中に閉じこもることはなく、日本人と混じっていった。そして最後に、九州諸大名は東南アジアとも交易し、特に大友氏は自ら船を派遣するなど積極姿勢を示したことを指摘する。鎌倉期より一貫して強いアジア志向を有する大友氏は「アジアン大名」として位置付けられるべきで、その長い歴史のなかから「キリシタン大名」としての大友氏が生まれたと、筆者は主張する。

     本書はともすれば国内的視座に偏りがちな戦国史における、国際的視野の重要性に気付かせてくれる。16世紀、即ちいわゆる「鎖国」の直前、東シナ海を中心とした海域において、これほど多様で豊かな交流があったのかと驚かされた。従来の枠組みを相対化する好著である。
    (文科三類・2年)(1)

    【学内URL】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000026424

    【学外からの利用方法】
    https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/literacy/user-guide/campus/offcampus

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    この本をよむことで全ての戦国大名が天下統一を目指しているわけではないことがわかる。
    戦国時代といえば火縄銃とキリシタンのイメージからヨーロッパ諸国との関わりが強く印象に残っているが当然のことではあるが日本列島は東アジアに属しており、戦国時代の中国は明朝が存在しており、朝貢という形で日本も交易が何度も行われている。
    また、中国との交易のために硫黄採集のためにの開発が進められていたのも面白かった。
    最後に西国大名がキリシタン大名になったことが信心からの転向ではないことがこの本を読むと多少なりとも理解できた。もちろん、この本で言及されたことだけが全てではないと思うがキリスト教が訪れる前から中国と交易していた大名が交易相手を中国からヨーロッパ諸国に切り替えるためという理由が存在していたことが分かる。

  • 日宋貿易や日明貿易では、日本から中国への輸出品として火薬の原料となる硫黄が重宝されていた。特に島津氏や大友氏など西国の大名は、群雄割拠の中から天下統一を目指していったという従来の戦国大名像とは異なる性格を持っていたという。琉球、中国、朝鮮、東南アジアまでも視野に入れた領国経営していたことが興味深い。

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著者プロフィール

名古屋学院大学教授。専門は日本中世史。
主な著書に『アジアのなかの戦国大名―西国の群雄と経営戦略』(吉川弘文館、2015年)、『戦国大名の海外交易』(勉誠出版、2019年)、編著に『戦国大名大友氏と豊後府内』(高志書院、2008年)、『大内と大友―中世西日本の二大大名』(勉誠出版、2013年)、『描かれたザビエルと戦国日本―西欧画家のアジア認識』(勉誠出版、2017年)、『戦国大名大友氏の館と権力』(共編、吉川弘文館、2018年)などがある。

「2021年 『交錯する宗教と民族 交流と衝突の比較史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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