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Amazon.co.jp ・本 (284ページ) / ISBN・EAN: 9784642058360
作品紹介・あらすじ
「八雲立つ」と称される古代の出雲は、奈良時代に入る頃、大きな変革を迎えた。土地の様子や特産物、地名の由来などを記した地誌『出雲国風土記』を考古学の成果から再検証し、地域社会の実像に迫る。役所である国府や郡(ぐう)家(け)、整備された道路、数々の寺院を復元し、律令国家の地方支配の実態を解明。古代都市としての出雲国の成立を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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私は普段特に内容を確認せず、表紙やタイトルで判断して本を買ったり借りてしまうことが多いので、実際に読んでみて、求めていたものと違ったなぁと思うことがよくある。しかし、そのおかげで新たな分野への扉が開けたりもするので、この「ジャケ買い」というものはなかなかやめられない。まあそのせいで読みたいと思う本がたまってしまい、後々処理に困ることになるのだが...。
『出雲国誕生』という書籍名と、裏表紙に見えていた「風土記」という文字から、古代出雲の神話や律令制に至るまでの出雲の風土や氏族について記された本だと思って読み始めたのだが、実際はむしろ逆で、天武朝以降、国境が定まってからの出雲国の姿を検証して明らかにしようとする目的の下に叙述された書籍だった。記紀の書かれた年代に近い7世紀末、おまけに他の風土記と違い完全な形で今に伝わる『出雲国風土記』を文献資料として使えるとなれば、出雲国府の姿を解き明かすことなど容易なのだろうなと軽く考えていたのだが、そう簡単にいく話ではなかった。
文献や各地の遺跡の調査結果に従い通説通りにいくならば、出雲の国庁が瓦葺きになるのは全国国庁の8世紀中頃に遅れること数十年、8世紀末になる。この説に疑問を持った著者は発掘された瓦を丹念に調べ上げ、その製作年代が8世紀中頃になることを突き止めた。これで全国と同じように740〜760年頃に出雲も国庁を瓦葺きにしたのだと確定しようとしたのも束の間、別の研究者が鴟尾(屋根の両端に取り付けられた装飾瓦)を発掘し、なんとその制作年代は7世紀末にまで遡る可能性があるという。こうなると出雲だけでなく多くの地域における瓦葺きの年代も覆されかねない。新たな発見は喜ばしいことだが、多くの研究者が寝食を忘れて調査して築き上げた通説が一気に崩れ落ちるのは、本当に恐ろしいことだろう。
持統朝の時点で日本全国には500を超える寺院が存在しており、神祇を司っていたため他の地域に比べて仏教の導入が遅れていた出雲にも、多くの寺院が建てられていた。そのほとんどが金堂・塔・講堂から構成されているのだが、文献に「講堂」しか記載がない寺院が存在する。『風土記』の記述のうち、「講堂」を「経堂」の誤字と見て解釈するのが定説のようだが、経堂(金堂)のない寺院は存在しない証拠もない、と著者は疑問をなげかける。寺院にしろ官庁にしろ、この時代は現代のようにそれぞれの建物にほとんど区別がなかった上、発掘調査で明らかになるのは礎石や柱跡に過ぎず、建物の確定が困難なのだが、著者は妥協せず、現状証拠から断定することを良しとしない。
本書は必要な情報を惜しみなく与えてくれるが、それによって問題が明らかになるわけではない。むしろ、その情報によって新たな謎が生まれるようになっている。読み手の中にはこの流れに不満を持つ方もいるだろう。しかし、曖昧模糊とした古代の姿に不安を感じて安易に断定して問題解決を図ろうとしない、研究者然とした著者の姿は評価すべきではないだろうか。天平5年から300年以上下る資料や、他国の風土記を徹底的に調べ上げ、同じ国府の遺跡と比較検討しつつも出雲の独自性を洗い出す、その過程に一切の甘えがない。だからこそこのような内容になるのであって、それを理由に本書に低い評価を与えることは間違っているだろう。むしろ自らの知識の無さを恥じるべきだ。
こんなことを言いつつも、私自身国府や古代寺院についての知識が少なく、本書を存分に楽しむことができなかった。私も恥ずべき人間の一人である。巻末の参考文献を探しながら、この分野の知識もこれから深めていけたらと思う。その上で再読したい。
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出雲国がどのような様子であったのか、主に政治の場と寺院の立地を描き出している。『出雲国風土記』が残っているため比較的容易に研究できると思いきや、むしろ発掘されたものが『出雲国風土記』に合致しない、あるいは『出雲国風土記』とは異なる場所で発掘された場合の検証が必要となるところに難しさがある。写本の過程でのミスなのか、『出雲国風土記』以降に移動したのかといった点を検討しなければならず、史料が残っているが故の苦労がうかがえる。
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