疫病の古代史 天災、人災、そして (歴史文化ライブラリー 573)
- 吉川弘文館 (2023年7月24日発売)
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感想 : 10件
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784642059732
作品紹介・あらすじ
疫病の流行により多くの人命が失われた古代。それは単なる自然災害だったのか。藤原四兄弟が全滅した天平の大流行をはじめ、奈良・平安の都を繰り返し襲った事例を読み解くと、都市環境、食料生産体制、文化や倫理など、当時の社会の構造的問題がみえてくる。疫病対策や死者数の実態に触れつつ、ヒト社会の「隣人」ともいうべき疫病の姿に迫る。
みんなの感想まとめ
疫病がもたらした影響と古代社会の構造を深く掘り下げた作品では、流行のメカニズムや当時の人々の対処法が具体的に描かれています。律令国家の土地開発と疫病の関連性を探る視点は特に興味深く、疫病が都市環境や食...
感想・レビュー・書評
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古代における疫病について、流行のメカニズムや概念を具体的に史料から洗い出し、政府や民衆がそれにどのように向き合い、対処していったのかを明らかにする内容。律令国家による土地開発の進展と疫病発生の関連を見る視点が興味深かった。
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奈良朝から平安前期を対象に、繰り返される疫病流行と社会の関係を追った本。
いい加減な要約かもしれないが、古代社会の疫病の背景に、米作に偏った重農政策のひずみを見るということであった。
米は保存が利き、収穫量も多い作物だったことから、水田耕作を推進する政策がとられる。
第一波の疫病流行により、働き手が減り、水田が維持できなくなったりすることで、飢餓状態が広がり、数年後流行の第二波、第三波が襲い、被害を広げていく。
そうか、と視界がクリアになった気分がした。
何となく勝手に作っていたイメージが次々覆される。
海外から疫病が来るという観念は当時にもあったそうだ。
が、律令制度が確立して初めて記録が残る慶雲年間の疫病流行時には、藤原京から東海道に、そして西に伝播していく様が確認できるという。
天平宝字四年、延暦九年の「豌豆瘡(モガサ)」(天然痘と推定される)などでも、都から西へという動き。
天平の前後百年の記録で、大宰府から都へという感染経路は記録上確認できないそうだ。
記録が残っていないケースもあるかも、とか、病の種類によるのか、とも思ったりするが、ともかく意外だった。
意外だけれど、言われてみて納得するのが、貴族の高い罹患率・死亡率である。
庶民より栄養状態がいいはずなのに、と思うが、これはやはり都市集住のライフスタイルの影響。
穢れの観念がどのようなものか、研究が進んでいることも本書で知った。
これまた意外に穢れは限定的なものだったらしい。
病や死から穢れが起こるのではなく、あくまでも遺体から発生するものだという。
穢れたまま神事を行うことで、神の怒りを買うことを恐れたのが「狭義の穢れの忌避」であるとのこと。
一方、疫病への忌避は、同一空間を忌む行動様式を生む。
筆者はこれが穢れ忌避の作法に投影されたのではないかと推測していた。
細かい話だが、高倉倉庫の使い方も本書で初めて知った。
米俵に入れて収納するのではなく、「稲穀(もみ殻に入った状態)」むき出しの状態でいれていくのだそうだ。
そうすることで、蔵の底面積×積み高で収量がわかるという合理性もあったとのこと。
ちなみに、保存の際には品種が分からなくなるので稲穂の状態の「頴稲」で保存することも多いというのも、なるほど、と思ったことだった。
自分にとっては勉強になることが多かった本だった。 -
疫病から古代の社会を考えるープロローグ/疫病へのまなざしと二つの大疫病(疫病という概念/奈良時代の大疫病/平安時代の大疫病/大疫病の共通点)/古代疫病流行の仕組み(都と疫病/疫病と農業/信仰と感染の観念)/疫病の時代相と人々の向き合い方(奈良時代の疫病/桓武朝の転機ー疫癘間発/古代における疫病対策)/人間社会と疫病の姿ーエピローグ
