平安京の生と死 祓い、告げ、祭り (歴史文化ライブラリー 593)
- 吉川弘文館 (2024年4月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784642059930
作品紹介・あらすじ
平安時代、死者は夢や巫女の託宣を通して、現世の人に饒舌に語りかけた。人々は死者や霊魂、異界をどのように捉えていたのか。遺体に対する意識、御霊による疫病、浄土へのあこがれ、巫女の能力と権益、現世と異界との境界などから究明。「生と死の交流」を通して生まれた建築・絵画・文学・祭礼などに触れ、都市の生活と豊かな精神文化に迫る。
感想・レビュー・書評
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平安時代の死生観というと、死の穢れが思い浮かぶ。
本書では、それにとどまらない、というか、それ以外の側面に多く紙幅を割いて説明していく。
その意味で、自分にとっては新鮮な部分が多かった。
例えば、墓。
藤原伊周・隆家兄弟が大宰府に流される前に、父道隆の墓所を訪ねる場面が取り上げられていた。
兄弟は父の墓を探し当てるのに苦労したという記述があるそうで、それは単に夜だったからではなく、当時墓に参るという習慣がなかったからであり、これほどの高位の人であっても、墓は年月が経てば荒れ果てるものだったという。
五所神社、六所、八所神社というのは、各地にある。
あれは御霊信仰に関わるものというのも(恥ずかしながら)今回知った。
疫病の流行は御霊の祟りと考えられていたという話は以前聞いていたが、筆者の問いの立て方が面白い。
当時の人は、御霊について、恨みをぶつけるべき政敵ではなく、なぜ無差別に都市の住民を襲うと考えたのか、と問うのだ。
村落から切り離されていた都市の住民は、地縁ではなく、職場を同じくするような間で結束していた。
そのため、新興宗教のようなものが生まれやすい状況があり、祓えなどをすることが増えていくのだが、そこに衛府の官人が関わる(場合によってはおしかける)ことがあったらしい。
そこから、御所の御霊への祀りが一般の人々へ広がった可能性がある、ということだった。
衛府の官人たちは祓えにやってきて、祭祀を行い、臨んだ報酬が得られないと「神が怒っている」と恐喝まがいのことをしたというが…。
貞観八年には、「祓除神宴」と「焼尾荒鎮(初任官の祝宴で、一族郎党がごちそうにあやかりにおしかけたという)」の禁止令が出た―ということは、それだけ横行していたということだろう。
自分は全くしらなかったことだったので、とても興味がひかれた。
焼尾荒鎮については、ずっと後の枕草子の「すさまじきもの」の章段に描かれた場面が思い出されるのだが、関係はあるのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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著者プロフィール
五島邦治の作品
