三くだり半と縁切寺 江戸の離婚を読みなおす (読みなおす日本史)
- 吉川弘文館 (2014年11月12日発売)
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感想 : 4件
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784642065832
作品紹介・あらすじ
近世女性の立場の弱さを示すといわれた、三行半で書かれた離縁状三くだり半。しかし、実際は女性も対等な立場で、離縁を要求できた。女性唯一のアジールとされた縁切寺の実像と併せて、近世女性の地位を問い直す。
感想・レビュー・書評
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近世の離婚は、三下り半の文面から長く「夫専権離婚説」(夫が好きなときに好きなように妻を離縁できる)と考えられてきた。しかし、著者の丹念な資料調査によって、熟談離婚が普通で、女性も離婚について自分の意思を通すことが多くあったことが明らかにされた。背景に、近世における商品作物栽培の浸透とその担い手たる女性の地位向上を挙げ、そこから近世女性が男尊女卑的に虐げられていたことに異を唱える。むしろ、明治期になって法によるタテマエ強制が強まり、男尊女卑的感覚が広がっていった、と述べている。
日本における「男尊女卑」的「伝統」を歴史的事実に基づきながら打ち砕いていく叙述からは、「当たり前」と思っていたことがそうでもないとという歴史研究の醍醐味を感じさせてくれる。
とはいえ、本書でも少し語られているが、「封建社会といわれた江戸時代に、むしろ女性がしたたかに、のびやかに生活した」(p.228)とまで言い切ってしまってよいかは少し躊躇を感じる。近世社会全般で女性が男性同様の自由や権利を持っていたとまではいえないだろうし(相続や社会的地位など)。本書の射程は、あくまでも離婚という場面において、男女で対等な関係性があった、というところまでなのではないかと思うし、それで十分意義があるように思う。
また、本書ではそのような意図はないが、近世の女性を称揚することは逆に近世社会を美化する風潮に利用されてしまうのではないかと、少し懸念を覚えた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まず、約五十年もの間、「三くだり半と縁切寺」の研究に没頭してこられたという著者に脱帽。一つのことしかできないから、ひたすら一つのことだけをやってきたにすぎない、と謙遜されているが、常人には真似できない偉業だと思う。
さて、本書では、これまで語られがちだった「江戸時代の女性はとても地位が低く、三くだり半によって夫から一方的に離縁されたり、また横暴な夫から逃れる手段としては縁切り寺に駆け込むしかないような、抑圧された弱い存在であった…」といったイメージを払拭するエピソードが、さまざまな史料をもとに明かされていく。
以下に列挙する。
後妻を迎えるための離縁は「不実離婚」とされて認められないなど、夫による専権離婚は実際には社会的にかなり制限されていた。
夫から妻を離縁する場合には、妻の持参金を返還する義務があり、逆に妻から離縁を請求する場合には持参金の返還を諦める、または趣意金(慰謝料)を払うといったかたちで、離婚を請求する側がお金を支払う原則となっており、その意味において男女は平等であった。
上記に見えるように、妻の持参金は結婚後も妻の財産であり、また女性は家事や農業の合間に養蚕業や機織りなどを行い現金収入を得ており、経済的に自立していた。(これは同時期の西洋の女性たちが置かれた状況に比べて非常に解放されている。西洋の女性には財産権がなかった!!)
縁切寺に駆け込んだ事例には、自分に落ち度がありながら夫の横暴を訴えて離婚を成就させようとした女や、家を出て別の男の世話になっていた妻が夫と離縁し新しい男の妻になるといった例も残されており、案外したたかに生き抜く女性たちの姿が垣間見える。
上記に関連し、不義密通は死罪という大罪が課せられてはいたものの、実際には内済(示談)によって解決されるのが常で、浮気相手と再婚を果たす妻もいた。
妻に離縁を言い出せず、縁切寺に駆け込む夫がいたという記録も残っている。
などなど…
たしかに江戸時代には、「女大学」などの男尊女卑的タテマエはあったものの、庶民の間でホンネとして浸透していたものではなく、現実として強制されるようになったのはむしろ明治期以降のことで、「女房と畳は新しい方が良い」という言葉が男性にもてはやされたのも、明治中期以降であったという。←!!
つくづく、明治維新って何だったんだろうな、と思わされる。江戸時代は夫婦別姓だったというのはよく言われている話だし、家父長制が確立していったのも明治期以降… 政治家の方々は、「美しい日本」を明治期に求めるのはもうやめて、江戸時代の人々のいきいきとした暮らしぶりに思いを馳せることで、日本の近現代を見直してみてはどうかと思う。
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