富士山宝永大爆発 (読みなおす日本史)

  • 吉川弘文館 (2015年8月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (246ページ) / ISBN・EAN: 9784642065924

作品紹介・あらすじ

宝永四年(一七〇七)、富士山は六二〇年ぶりに大噴火を起こした。山麓の村はテフラに埋もれ、酒匂川が洪水を起こして足柄平野の村を押し流した。生産・住居など生きる手段を失った住民たちの生活復興への戦いを描く。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史学者 永原慶二氏が、膨大な資料から読み解いた、富士山宝永大爆発の経緯。
    本書は、2002年 永原慶二氏80歳の時の著作である。
    本書は、人間と自然、災害と社会といった、今日でも避けられないテーマを考えるひとつの材料となるよう書き遺された。

    噴火および地震による直接的な被害の状況、さらにテフラ(火山噴出物のうち溶岩を除くもの「火砕物」)による被害など、自然災害の詳しい状況。また、被災地住民の直接的被害、農地がテフラに覆われたため作物、そして農地が壊滅的被害を受けた農民の生活破壊、さらに被災地を管轄する藩の状況など派生する様々な社会的問題について、遺された資料に裏付けされたデータを提示しながらの分析。

    東日本大震災でも再認識されたが、過去の自然災害が記憶され続けた地域で人的被害等が軽減されたこと、昔から使われ続けていた街道が津波到達ラインを避けていた事実など、災害多発国である我が国にとって、過去の災害の記録から学ぶべきものは非常に多い。

    宝永大爆発によって、吹き飛ばされたテフラの量は、およそ10億立方メートルと推定され、その噴火の後はいまでも生々しく富士山の山体に残る。上空高く吹き上げられたテフラは、冬の強い偏西風に乗って富士東麓に位置する須走から、駿河、甲斐、相模の国に降り注ぐ。
    須走は、火山弾の直撃の後3mものテフラによって完全に埋め尽くされ、駿河を超え相模の国山北でもテフラの降り注いだ量は高さ60cm、藤沢でも20cm、さらにその灰は江戸の町まで到達したという。
    またテフラは、酒匂川はじめ多くの河川にも堆積し、せき止められ、また水嵩を増した河川の堤防が決壊することにより、さらに大きな被害をもたらした。

    テフラによる農地の被害は、農作物を収入源とする農民の生活を直撃し、さらには藩の財政も脅かす。
    現地入りした藩の役人は、とりあえずの救済を約束するが、あまりにも被害が大きすぎたため具体的な救済策はなにもとらない。
    幕府は、被災地救済のためと諸国に通達を出し、臨時の増税(諸国高役金)を行うが、その臨時に集められた資金の多くは、実際には被災地には分配されず、江戸城改築のための資金等となり御用金として積み立てられ、さらには勘定奉行および一部の者の懐を潤した(のちに、幕府勘定奉行萩原重秀は新井白石の弾劾によって罷免させられる)。

    これら自然がもたらした被害の状況、改善されない現地被災地住民の生活。そして、有効な対策をとらない(とれない)行政の状況、さらには、災害を利用して別の用途に資金を集めさらには私腹を肥やす中央政府の状況など、東日本大震災とそれに伴う福島原発事故で明らかになった構図にあまりに似ている。
    さらには、その後も続く原発再稼働、リニア新幹線計画など、被災地のこと被害の記憶を忘れて再起を図る既得権益層に脈々と受け継がれている。

    新聞はじめマスメディアは、既得権益層に深く取り込まれ、自らがそのメンバーとして行動するため、過去から歴史を学ぶことを無視し続ける。
    だからこそ、私たちが歴史を学び、そして、おなじ過ちを繰り返さないよう、努力しなければならないと思う。

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著者プロフィール

1922年、大連市(中国)に生まれ、東京で育つ。1944年、東京大学文学部史学科卒業。以後、一橋大学教授、和光大学教授、日本福祉大学客員教授を歴任。2004年7月9日 没。
【主要著書】日本封建社会論 日本封建制成立過程の研究 室町戦国の社会 荘園 20世紀日本の歴史学

「2023年 『中世動乱期に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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