- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642071086
作品紹介・あらすじ
鎌倉幕府の歴史は、正史『吾妻鏡』にいかに叙述されているのか。源平合戦、御家人の抗争、北条氏の権力確立などを年代順に辿り、『吾妻鏡』の記述と京都の公家・寺院の記録を比較検証。何が事実であったかを読み解く。
感想・レビュー・書評
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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の登場人物の関係整理のため一読してみました。
大河ドラマは三谷幸喜脚本でひじょーーに楽しいのですが、この登場人物で穏やかに死ねる人は少ないよね(´・ω・`)。しかし時代劇を読んだり見たりするのは、それぞれが賢明に生きてそうなったという過程が見たいためなので、やっぱり大河ドラマは楽しいです。
別の本ですが、大河ドラマに登場している坂東武者の血縁関係や先祖の繋がりや、頼朝が何を目指したかなどはこちらの「日本人の名前の歴史」もよかったです。武家社会の名字や官職の歴史や法則から、苗字から源平合戦を考えてみたり、源頼朝は何を目指し、何故弟たち(範頼、義経)に対して怒ったのかが書かれています。
現在の大河ドラマに出てくる東国武士たちの血縁関係(秩父と畠山、三浦と和田、など)や、そもそも多くの東国武士は平清盛と同じ桓武平氏系なので、源平合戦とは東国土着の平氏庶流が、源氏を主将にして朝廷平家と戦ったという図式が見えて興味深いです。
https://booklog.jp/item/1/4642067655
さて。
「吾妻鏡」は、以仁王挙兵の治承4年(1180年)から六代将軍宗尊親王の京都送還の文永3年(1266年)までの鎌倉幕府の実績が幕府内部の複数編纂者により記されている。
こちらの「鎌倉幕府の転換点」は、吾妻鏡を底本として、他の記録や歴史の事実(吾妻鏡にはこう書いてあるけれど、現実を考えたらこうだよね?みたいな)を比べながら、鎌倉幕府の成り立ちや、その都度の騒乱をどのように過ごしてきたか、人々の心情を読み解いているもの。
吾妻鏡に記載のある鎌倉幕府の将軍はこちら。
初代 源頼朝
二代 その長男 頼家
三代 頼朝の次男 実朝
四代 九条藤原家から迎えられた 藤原頼経
五代 同じく九条藤原家の 藤原頼嗣
六代 嵯峨天皇皇子 宗尊親王
このあとも親王将軍で九代目まで続くが、「吾妻鏡」は六代まで。
後の時代の私達としては、北条一族は頼朝の妻の一族ということで権力を持っても不思議でないと考えてしまうが、実際に北条一族の、なかでも北条政子と弟の義時の地位が固まったのは頼朝の死後、御家人たちの間で激化した戦乱に勝ち残ってからだった。
将軍主権のための粛清(上総介広常、頼朝の弟たち)、将軍代替わりの権力闘争(比企一族の乱、伊賀氏事件?)、旧臣の粛清のような戦闘(梶原景時)、所領地争い(北条時政vs畠山重忠)、北条一家の争い(亀の前事件から実朝後見のゴタゴタ)、有力御家人一掃の戦い(宝治合戦)などなど。そこに後鳥羽院との承久の乱まであるんだから、どれだけ戦争してどれだけ一族滅亡になってるんだ…。
吾妻鏡は鎌倉幕府側から書かれているので基本的に北条姉弟が滅ぼした相手は「反乱を企て」になるが、畠山重忠や伊賀氏の反乱についてはちょっと歯切れが悪いようだ。つまり本当に反乱を起こしたのではなく、北条時政や北条政子が反乱だと噂を流して先手必勝で討ち滅してしまったんだよね…ということが読み取れるような。
代替わりの戦乱は、この時代の乳母制度が大きいだろう。乳母、乳母夫(めのと)とは、主人の子供を預かって養育するものであり、その子供の後見人という立場だった。二代将軍頼家の乳母と乳母夫である比企一族は反乱により滅ぼされ、その後三代将軍になった実朝の乳母は北条政子の妹阿波局とその夫で頼朝の弟の全成(ぜんじょう)だが、全成死後は北条時政になっている。
なお、頼家の次男の公暁の乳母夫は三浦義村で、公暁は実朝を暗殺して三浦一族を頼ったけれども、遣り手の義村はあっさりと公暁を見限るのでした、…という筋書きを他の本やドラマでみかけるんだが、この乳母制度の時代に乳母夫が見限るってなかなかだな…。
…まあそういうわけで、それぞれの跡継ぎ候補にそれぞれの乳母夫やその一族がいるんだからそりゃー権力闘争になるよなあという状況ではある。。
承久の乱では、鎌倉に親王将軍をお迎えしようとした北条政子と、後鳥羽院の交渉決裂が要因にあるようだが、後鳥羽院は「相手は格下だし、急ぐことはない、交渉しよう」という態度に対して、北条としては「交渉している手間暇はないんだ!決裂!」というような、状況と交渉のやり方のすれ違いもあったようだ。
この承久の乱は、まさか戦になって驚いたのは後鳥羽院だろう。もともと後鳥羽院は「北条義時を討伐せよ」と個人名を挙げているので逆らわれる筋合いはないし、御家人たちも幕府に恨みを持つ者たちは京都側について戦っている。そもそも北条義時も兵は勧めたものの息子の泰時には「後鳥羽院自らお出ましになったら馬を降りて降参しなさいね」っていってるくらいだし、この状況でよく勝ったな、まあ寄せ集め軍団は弱いってことか。
承久の乱で勝ったことにより武家(北条)が勝った事によりで武家社会の地盤が固まったといわれるが、むしろ武家の棟梁たる将軍の役割は戦ではなくなっていく。
御家人にとっての「いざ鎌倉」は、実際に共に戦い領土を与えてくれた頼朝や、その時代から続いている承久の乱までは共有できる認識だった。
しかし摂家将軍や親王将軍になると、将軍の役割は戦争や領土分配ではなく(分配できる領土もないし)、祭事になってゆき、御家人たちが欲するのも京都への足がかりになる。
そんなこんな、吾妻鏡を通して、鎌倉幕府のその都度その都度の変換点が、時代背景や地図や血縁により解説されていてわかりやすい1冊でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代と被る部分が多い鎌倉期政治史の本。ドラマはあくまでもドラマであり歴史学的に見るとどうなのか、参考書としてこういう本を読むべきだと思う。