カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

著者 :
  • 吉川弘文館
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642081009

感想・レビュー・書評

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  • カクレキリシタンの認識が変わりました。もはやキリスト教ではなく、カクレキリシタンという日本独自の宗教へ変貌。キリストも数多いる神のうちのひとり。

  • カクレキリシタンは隠れてもなければキリシタンでもない。伝来初期から民衆はそもそも誰もキリスト教を理解しておらず、神仏教とハイブリッド化をしつつ本質は民俗宗教のまま変質しつつ継承されてきたその内容。苛烈を極めた弾圧とその秘匿性のドラマ性のみが取り沙汰され、大半の日本人が誤解をもっている実像と、消滅しつつある現状のギャップ。

    相当面白く、読んで良かった一冊。

  • 安土桃山時代から現代に至るまで受け継がれる
    カクレキリシタン信仰について微に入り細に入り解説する。
    読者がまさに知りたい内容を徹底した現地調査に基づいて
    分かりやすく納得できるよう記している良書。
    カクレの信仰とは何だったのかがスッキリと読み込める。
    日本宗教史を知る上でぜひオススメしたい一冊。

  • 主題となるテーマは面白かった・・・けど、サマリーを5ページくらいにまとめてくれれば十分な内容だね。研究者でない限り、細かい内容には興味が持てないんじゃないかしら。

  • 「カクレキリシタンは隠れているのでもなければ、キリスト教徒でもなく、キリスト教徒的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的な日本の民族宗教の一つと言っていいでしょう。」

    隠れ切支丹といえば、島原・天草の乱。キリスト教の信仰を守り弾圧に対抗し戦った人たちの末裔。そして、その系譜は現在にも残る天主堂に繋がっている...そんなふうにぼんやりとした認識しかなかった。
    だが、キリスト教にしては、カクレキリシタンのオラショ"Oratio"や行事等の風習はかなり土着化した宗教のように思えていた。
    本書はその違和感に応えてくれた。

    日本に対するカトリック布教を行ったイエズス会のザビエルは、1549年に鹿児島に上陸し、約80年間に70万人以上のキリスト教信者が誕生した。しかし、当初キリスト教に寛容であった、豊臣秀吉は天下統一がなったその日に、バテレン追放令を出し、その後徳川家康もキリスト教を一掃する政策を続けた。

    1664年に小西マンショが殉教した後、1873年までの約230年間、日本ではキリスト教の正しい(?)教義、あるキリスト教を理解し、信者を教え導く指導者がいない、信者だけが口伝えで、しかも日々の生活の基礎は仏教者(神仏習合)でもあるという特殊な事情のなか、キリスト教ではないカクレキリシタンという土着の信仰が定着していった。

    カクレキリシタンは、このキリスト教不在の時代を、日本二十六聖人から大浦天主堂までを繋ぐ糸ではなかった。

    現在はキリスト教を信仰することは自由であり、隠れる必要は無い。しかし、カクレキリシタンはキリスト教ではないので、キリスト教に吸収されることはない。そして、日本の独自文化土着信仰であるカクレキリシタンの信仰を続ける人は非常に少なくなっている。その消え行こうとしている分化を調査研究した本書は、カクレキリシタンに興味がある方にとっては一読すべきものだと思われる。

  • 宮崎賢太郎『カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容』吉川弘文館、読了。第一人者の著者は30年近くに渡る聞き取り調査に基づき、「カクレキリシタン」とは隠れたキリスト者ではなく日本化した土着信仰としてその受容を考察する一冊。 http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b147007.html

    「『カクレキリシタン』が今日まで大切に伝えてきたものは本当にキリスト教だったのか」(編集者)。キリスト教解禁後、カトリックに戻らなかった信者は多い。弾圧に耐え守り抜いたのは何か。著者は現行のキリスト教とは異なる日本的受容と見て取る。

    ラショは確かに意味の分からない経文として伝承されるように、弾圧に耐えたキリシタン像(内面)だけでないその豊かな内実(外面の伝承)を本書は明らかにする。単純な連続否定は横に置くが、絶対下における受容の足跡に学ぶ点は多い。

    昭和前期の「日本的基督教」の主張に比べると、評者はキリスト教のキリシタン化にはまだその断絶よりも僅かな連続性に光明を見る。それが先祖崇拝との混交としても次代へ伝え続けたところに魂があるからだ。権力馴致でない「和服の~」を再考するきっかけになろう。
    ※「和服の~」つうのは遠藤周作のいう「和服のキリスト教」であって、これも単純なシンクレティズムによる変容や、「皇運を扶翼する」といったかたちの権力に連動した土着化でもない、「輸入品」ではない、同地の理解といいますか、土着化でありながら、異なるものと連動したものといいますか。

  • 全く予備知識を持たない状態で手にとったので、隠れキリシタン(カクレキリシタン)という言葉が長崎限定、という事を知ったのがまず衝撃。

    通史、儀礼、祭祀で地域の事例を豊富に上げつつ、最終章では衝撃的な、現代キリスト教への疑問を投げ掛けている。

    現代キリスト教信者の日本での人口比は3%。
    これは明治期の禁教令が解けた頃が1%だったことを考えると……
    あるいは現代日本の新興宗教と較べると、どういった意味合いを持つのか。
    キリスト教への「おしゃれな舶来イメージ」の結果とは。

    是非本書を手にとって確認して見てほしい。

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著者プロフィール

1950年、長崎市生まれ。東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。同大大学院人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程中途退学。2016年3月、長崎純心大学人文学部比較文化学科教授を退官。現代も生きるカクレキリシタンの末裔たちの信仰世界を明らかにすべくフィールドワークを行い、日本人のキリスト教受容の歴史を研究している。

「2018年 『カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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