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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784642083492
作品紹介・あらすじ
炭素14年代測定法により縄文土器の出現が約3500年、水田稲作の開始が約500年さかのぼり、日本列島の先史文化の見方が大きく変わった。奄美・沖縄や朝鮮半島との関係、英国のベイズ編年モデル、旧石器文化と古墳文化など、多彩なテーマを取り上げ縄文・弥生文化を再考。世界の先史時代との関係性も重視しつつ、新たな学問の地平を切り開く。
感想・レビュー・書評
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本文が横組みであることから察させられるように、基本的には専門書ではある。専門家は除いて、私のような素人はつまみ食い読書が、正しい読み方であると思う。しかしながら、当然、冒頭の藤尾慎一郎歴博館長の総論・その他のコラムは必読。他は、李昌熙の「紀元前1千年紀の韓日関係」、松木武彦「弥生時代から古墳時代へ」についてメモしたい。
「日本列島の先史文化を考える」藤尾慎一郎
・AMS-炭素14年代測定法により、縄文土器の出現年代や水田稲作の開始年代が大幅にさかのぼった。(土器出現は後氷期から晩水期へ、水田稲作は紀元前10世紀へ)そのことが何を意味するのか。
・縄文土器を旧石器文化の土器として考えるのか、検討が必要。
・鉄器と稲作が同時に始まったのではなく、石器文化→金属器文化へと変わっていった。
・工藤雄一郎論文は、縄文土器の出現が東アジアの土器とどう関係するのかを述べる。
・山田康弘論文は、「縄文」「弥生」の枠組みを再考する。
・西洋の農耕文化にあたる新石器時代は、弥生時代とは異なる。牧畜を前提としていない。朝鮮半島南部に15世紀青銅器時代から始まる畑作農耕こそが、弥生稲作と同レベル農耕である。
「紀元前1千年紀の韓日関係」李昌熙
←私は何度も韓国遺跡を見て回ったが、韓国の博物館図録を見ても、土器の編年対照図が表示されることは一度もなかった。
←ずっと韓国図録は、大きなくくりとして「青銅器時代」「鉄器時代」とあるだけでだった。私の韓国遺跡探訪は2012年(一部2015年)までなので、李氏の発表している土器編年(2017‥‥62p)は、非常に画期的であり、ものすごくスッキリした。
・私の予想とは違い、青銅器時代があまりにも長い。(BC15-BC4)この間に有名土器だけでも、渼沙里(15〜11)可楽洞(13〜11)駅三洞(13〜6)以上縄文土器と並行。松菊里(10〜4)は、弥生時代早期、前期までなのである。鉄器時代がBC4後半から始まり、BC3世紀から、私が苦労して行った勒島式土器が始まる。勒島式は日本と頻繁に交易しており、重要だ。BC108年には楽浪郡の設置(漢の武帝)があり、楽浪郡→勒島→壱岐の交易ルートが確立する。
・松菊里時代に日本の弥生式土器が朝鮮半島に渡ったのは少ない。わずかに金海ホォイヒョンリ遺跡の板付式土器があるが、形式からして弥生土器をみた朝鮮半島無文土器工人が真似して作った可能性があるという。日本から韓半島への文物の伝播が見えるのは、粘土帯土器(BC6〜3)出現以降らしい。
・BC3の北九州青銅器鋳造工房では円形粘土帯土器がセットで出土するので、工人が招聘されていた可能性がある。
〈紀元前一千年紀の韓日交流を4段階に分ける〉
・紀元前10世紀後半ー5世紀
松菊里型の水田稲作文化が(気候変動、人口増加、災害の可能性を持ちながら)漂流や漂着などで「生計移住型」北九州で広がる。紀元前8世紀には高知平野や鳥取平野へ、紀元前7世紀には神戸まで。直接各地へではなく玉突き拡散だったろう。
・紀元前4世紀ー3世紀
多くの円形粘土帯土器人の移住。
生計型移住と能動的な移住が共存している。
韓国式細形銅剣文化が拡散、区画墓に武器型青銅器やヒスイ製の勾玉、厚葬墓。
青銅器国産化を目的にした渡韓
・紀元前2世紀ー紀元後1世紀
交易の開始(勒島、釜山・金海、蔚山)
弥生人の移住も行われた
弥生時代が完全に鉄器時代に入る
・紀元後1世紀
韓半島では弥生土器の急減
金海で広形銅矛や仿製鏡の出土
個人の貿易よりもクニ同士の貿易に移った(勒島、蔚山貿易がなくなる)
「弥生時代の始まり」藤尾慎一郎
他の反論では紀元前8世紀が有力。
紀元前10〜6世紀は西日本では水田稲作文化ではあるが、東日本では採集・狩猟文化が続いていた。沖縄は貝塚文化、韓半島は青銅器文化である。
歴博の先史時代の比較年代表(213p)はとても刺激的である。日本ではBC380に鉄器時代が始まり、ほぼ同時に弥生中期になるとしている。また、BC50から韓半島で原三国時代が始まる。AD250を画期に三国時代と古墳時代が始まるとしている。
「弥生時代から古墳時代へ」松木武彦
・楯築墳丘墓や西谷3号墳を古墳とするか、で議論があった(間壁・石野、近藤間)→現在は箸墓古墳以降を古墳時代と呼ぶ(前方後円墳体制)→箸墓先行型の存在(纏向型、出雲東部大型方墳、讃岐型前方後円墳、東日本前方後円墳)
・(1)山陰・岡山の大型墳丘墓(2世紀中〜後半)(2)纏向型前方後円墳(3世紀前半〜中頃)(3)箸墓の出現(3世紀中頃)(4)地域色の最終的払拭と前方後円墳の全国的展開(4世紀中頃〜後半)
・(2)の頃に、西日本の甕棺や木棺の密集的な墓域の存在が無くなる。同時に一族葬の小さな単位の墓域が現れる。
・古墳時代移行に伴い、集団のまとまりを強化する役割が失われた(無文土器)
代わりに、個人の関係や地位を強化する社会的役割を持った器物(鏡、緑色石材)が爆発的展開を遂げた。
・近代初期も西洋起源の建物やインフラの大転換があったように、外部との接触交渉に動かされた人々の積極的な選択によって急速に作り変えられたのではないか詳細をみるコメント0件をすべて表示
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